うみ。

想ったことを、自然にそっと書いていく。

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最近の記事

なぜ、人は渋谷に集まるのか?

僕は東京生まれ東京育ちで、都会好きだ。 いわゆる、「シティボーイ」みたいな? 新宿や渋谷が街としてイケていると思っていた。 東京の街は、無関心で冷たくて泥まみれで。 でも、孤独や虚無感をそのまま許してくれる、そんな優しさが好きだ。 高いお金と引き換えた服を身につけ、仮面を被り、顔を上げて堂々と歩く。 「渋谷って、すごく変じゃない?」 ある日のキャンプ場。 お世話になっている知り合いが独り言のように呟いた。 周囲の反応を待たずに続ける。 「新宿とか渋谷は、なんか変。み

    • 僕は今日も、海を聴く。

      海と暮らす町、 京都府与謝郡伊根町。 エメラルドグリーンに藍色を二、三滴落としたような水面。 そこに浮かぶように木造建ての舟屋が横並ぶ。 かすかな波とその飛沫が、海と舟屋の境界線を消す。 猛禽類の鳥たちが湾を沿うように空を飛ぶ。 港では、地元のおじいちゃんが釣りをする。 海に浮かぶ舟屋は、永遠に見ていられた。 静かに寄せる波がより一層時間を遅らせていた。 上手くいかない時、考えすぎてしまう時、自分を自分で受け止められない時。 僕は自然と海に行く。 どこまでも続く水平線

      • 未熟な僕は根を伸ばす。

        今日から茶道を習い始めた。 理由はいくつかあるけれど、何だかんだおじいちゃんの影響が大きい。 おじいちゃんは数年前までお茶屋さんを営んでいて 幼い頃から、お店の手伝いをしたり日頃からお茶を飲んだりする機会が多かった。 1月中旬、少し遅めの新年の挨拶に会いに行った時に、おじいちゃんが裏千家の茶名をもっていることを初めて聞いた。 おじいちゃんが目を輝かせて、遠くを眺めながら昔を思い返して話してくれた。 稽古初日に出会ったのは、相生の松の掛け軸だった。 相生の松とは、「雌株・

        • 深く。溺れる。底で歩く。

          アンコウは泳げないらしい。 代わりに、海底を歩く。 海の生物は、すべて泳げるものだと思っていた。 海といっても、砂浜、深海、潮流が速いところなど、それぞれの場所は違う景色が広がる。 生き残るために、その場所に最適な進化を遂げるのは当然だろう。 ぼくも泳げない。溺れている。 波を上手に乗りこなすこともできないし 周りにいる仲間と並んで泳げない。 イソギンチャクと踊るクマノミに恋をする。 でも、逃げられて。傷ついて。 自分とは違うヒレがほしくなって。 泳ぎ方を変えて。 小

        なぜ、人は渋谷に集まるのか?

          僕は今日も、空を想う。

          おばあちゃんが亡くなった。 朝目を覚まし、携帯の通知を見ると父親から何件もの着信があった。 その後、父親から電話で訃報を聞いた。 病気で、もう何年も寝たきりの状態だった。 最後にことばを交わしたのはいつだろうか。 死んでしまうこと、二度と会えなくなること。 いつかは必ず来る、そう思っていた。 その時が来た。 ただそれだけだった。 もっと話したかった。 21歳で少しは大人になった自分を見せたかった。 将来について、他愛もない妄想を共有したかった。 ありがとう。 大切に

          僕は今日も、空を想う。

          「男らしさ」のアレルギー

          付き合ってた彼女から、別れを告げられた。 「亭主関白っぽいのが気になった。」 「え、なにが?」 言葉では理解できる。 自覚がない。 自分のどんな行動や言葉が亭主関白だったのだろうか。 それとも雰囲気なのだろうか。 「亭主関白かどうかはわからないし、そんな感じではないけど、自信に満ち溢れてるよね。自分が正しい、自分はできるみたいな。」 後日、女の子の友達から言われた。 自分でもわかる。 完全に自覚ありだ。 でも、、。 自信はあるけど、そんなに強くない。 むしろ、弱く

          「男らしさ」のアレルギー

          「男らしさ」から逃げて、「おとこ」に向き合う。

          男。漢。オトコ。おとこ。 20年間おとことして生きてきた。 そして、おとこのそばで生きている。 だけど、「おとこ」を1番理解できていないかもしれない。 世間からの「男らしさ」という期待と束縛に、自分にギブスをはめて生きてきた。 そろそろ歪みが現れてきた。 仕事、恋愛、友人関係。 少しずつ息をするのが苦しくなる。 ひとりでいる方が楽になる。 「男らしさ」から逃れて、 「おとこ」に向き合おう。 プライドと見栄を捨てて、弱さに向き合おう。

          「男らしさ」から逃げて、「おとこ」に向き合う。