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時間の多様性

私たちは時計を見て生活しています。1分、1秒という単位を誰もが同じものだと疑わないでしょう。しかし、時間も近代の産物だという指摘もあります。

このような話をするときによく指摘される実例は、ヨーロッパの話です。ヨーロッパには必ず広場があり、時計台があります。その時計を基準にして生活をしています。それはだれもが同じ時間、すなわち時間の均等性を示しています。

そのため、揺るぎないものとして考えられている「時間」ですが、時間を共有してきた歴史はそれほど長いとは言えません。社会・集団生活のための手段として発明されたと言う見方もできるかもしれません。そのことは、時間が公的には均等であるということなのですが、一方で個々の時間というものがあることを示唆しています。

個々の時間は、私たちが生活していると感じることが難しいです。しかし、落ち込んだ時、反対に楽しい時間を過ごしている時を思い返してみると、時間が「同じ」とは言いにくいでしょう。私自身、辛いときは世の中が動いているような、いわば共通的な時間として考えることができず、自分の時間だけ止まっている感覚があります。そんなときは抗わず、自分自身の時間感覚に従うようにしています。

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