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移動する自由

ジョルジュ・アガンベンというイタリアの哲学者がコロナ禍の際に指摘した有名な批判があります。そのポイントは、イタリア政府の「移動の制限」についての批判でした。しかし、この指摘は、特にイタリアが多くの犠牲者を出したこともあり、多くの人々に否定的に受け止められました。

とはいえ、「移動できない」こと、それは人間の根本的な自由を奪うという指摘は、現在の私たちも考えるべき問題です。日常的に「自由」という言葉を口にしますが、私たちは「自由」なのか、移動の自由は与えられているのかとちょっと考えてみましょう。

身近な状況を考えると、会社での単身赴任の場合を挙げてみましょう。国内であれば週末に帰ることができると思いますが、移動の自由は制限されています。会社や学校、病院など、至る所で「移動の制限」が設けられています。ただし、ここで考えてみたいのは、社会的なルールや制約だけでなく、忖度とかしがらみのようなもので、自らが自己制限や他者の期待によって移動の制限を課すケースもあるということです。

誰もが自分の時間があります。そして、自分自身も自分の時間も有限ですから、自分の行きたいところ、会いたい人をよく考えてみようと思う今日この頃です。

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