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神戸たねまき寺子屋 ~「海賊と呼ばれた男」出光佐三~

神戸市東灘区の「専念寺」というお寺で、毎月第2・第4土曜日に「神戸たねまき寺子屋」を開催しています。
ここでは学校で学ばないような偉人や生き方を教えて、強く正しく生きるための心を育むことを目的としています。
5人の世話人で順繰りに講師を担当しますが、テーマの選定・話の組み立て・子供に分かりやすく伝える工夫・プレゼンイメージなどで準備に少なくとも10時間以上はかかります。
とても大変ですが、その時間は全て自分の学びになるので、楽しく取り組めています。

昨日は私が担当し、私がもっとも尊敬する偉人である出光佐三を紹介しました。
『海賊と呼ばれた男』のモデルとなった方です。

出光佐三の生涯(前半)

1885年に福岡県で生まれ、神戸高等商業学校(現・神戸大学)に入学します。
そこで校長から「士魂商才」の精神を学び、生涯のモットーとします。
また、日田重太郎という富豪の息子の家庭教師をし、甘ったれを半年でシャキっと成長させ、日田に人を育てる才能を見出されます。

卒業後は大手商社ではなく、酒井商店という個人商店に就職します。
小麦の取引で海外進出を果たし、会社の成長に多大な貢献をします。

しかしその頃実家の愛染業が立ち行かなくなり、一家が離散したという知らせを受けます。
佐三は独立して家族を呼び戻したいと考えますが、資金がありません。
それを察した日田が、資金の提供を申し出ます。
「貸す」ではなく「提供」なので、返済も利息も無用と言います。

佐三は深く感謝し、家族を集めて油を扱う会社を立ち上げます。
しかしこの業界は既得権益や賄賂で成り立っており、新参で賄賂を嫌う佐三の会社は取引を増やすことができません。
3年経ち倒産の危機となり、日田に報告に行くと、最後の家を売って再び資金を提供すると申し出ます。
「それでもあかんかったら、一緒に乞食をしようや」と。
佐三この日田の覚悟に感謝と感銘を受け、「人間尊重」を生涯貫くことになります。

油の改良に取り組み、それでも既得権益で売れない状況を打破するため、海上で直接船に売り込み始めます。
同業者からは佐三のことを海で客を奪いとる「海賊」と呼びます。
これで息を吹き返した佐三は、満州鉄道への車軸油導入にも成功し、海外に次々と拠点を作っていきます。

出光佐三の生涯(後半)

戦争に負け、海外資産を全て失い石油の仕事もできなくなり、借金だけが残った出光でしたが、「人間尊重」を貫く佐三は一人のリストラも許しませんでした。
農業・漁業・ラジオ修理、何でもやって社員の生活を守りました。

しかし、石油を自国で賄うことは国の独立のために絶対に必要だという信念を諦めてはいませんでした。
そんな折、GHQより「全国8カ所のタンク底に残った油を全てさらえば石油の取り扱いを認める」という指示があり、他のどの石油会社も渋る中、出光はこれを引き受けます。
ガスが充満する過酷な仕事を1年余りにわたって続け、ついに完了させた出光は石油という翼を再び得ることになります。

タンカー「日章丸」を建造し、アメリカの油元売り会社と直接取引を始めますが、日本の石油市場を独占したいアメリカやイギリスの石油会社達「セブンシスターズ」の妨害に遭います。
セブンシスターズの管理下にない油の仕入れ先が必要と判断し、折しも出光に助けを求めてきたイランからの要請を受けいれ、イランとの油取引を決意します。
イランはイギリスに著しく不当な条件で油を抑えられており、これに不満を募らせたイランは油田を国有化します。
これに怒ったイギリスはイランの油取引禁止と世界中に圧力をかけ、イランの油を運んだ船は全て拿捕すると通告します。
実際にイタリアの船がイギリスに拿捕されるという事件もありました。
いくら油を持ってても売れないイランは困り果て、出光に助けを求めてきたという経緯になります。
日章丸をイランに派遣し、帰り道をイギリス軍艦が待ち構えるマラッカ海峡を避けて過酷なジャワ海を経由し、見事日本に油を持ち帰ります。
この事件により、佐三は世界中に「海賊」として知られることになりました。

昭和天皇は佐三が亡くなった時「国のためひとよつらぬき尽したる きみまた去りぬさびしと思ふ」と詠み、その死を悼みました。
天皇が個人の死を公式に悼むのは異例のことです。

佐三の功績

石油は復興に不可欠な資源であり、この取引自由化をもたらした佐三は、まさに戦後復興の立役者です。
そして今でも重要なエネルギー源である石油ですが、これをアメリカ・イギリスの支配下から脱し多角化への道筋を開いた佐三の功績は、今の日本にも恩恵をもたらしています。
ウクライナ情勢によって高騰を続けるエネルギーですが、日本は多角化を進めていることによって今のところ影響は最低限に抑えられています。
ロシアに依存している国がこの冬を乗り越えられるかの危機的状況を迎えているのを見れば、佐三の開いた道筋がいかに重要であるか分かるというものでしょう。

子供に伝えたいこと

佐三の生き方や考え方から、みんなにどういう考えをもってほしいかを伝えました。

1.感謝の心を持つ

世のため人のため、未来のために頑張ってくれた人がいるから、今の日本があります。
当たり前の生活は知らない誰かが作ってくれたものであることを自覚し、感謝の心を持っていきましょう。

2.人のための志を持つ

自分のためではなく、人のための志を持てば、必ず応援してくれる人が現れます。
佐三も「人間尊重」を貫き人のために尽くしたからこそ、社員も佐三を慕い付いていき、ライバルも手を差し伸べ、日田という恩人に出会うこともできました。

3.世のため人のためが自分のため

2の続きになりますが、結局、世のため人のために頑張れる人に、素敵な出会いも幸せもお金も転がりこんできます。
これは「福に憑かれた男」にも同じことが書いてあります。
過酷な人生を送ってきたはずの晩年の佐三はとても穏やかな顔をしており、日田も非常に満ちた人生だったことでしょう。

子供に今日からしてほしいこと

本当に幸せになるためには、世のため人のために頑張れる人にならなければなりません。
そんな人になるために今からできることを2つ伝えました。

1.友達や兄弟と、仲良く真剣にいっぱい遊ぶ

子供の遊びは共感力を育むのにとても大事なことです。
共感力が磨かれれば人が何を欲しているか感じ取れるようになり、また困ってる人がいたら助けたいという気持ちが育まれます。

2.当たり前に感謝する

伝えたいこと1でも触れましたが、例えば目の前のご飯は、自分で用意したものではありません。
誰かが食材を作ってくれ、それを父母が働いたお金で買ってくれ、料理してくれたからおいしいご飯を食べることができます。
「いただきます」や「ごちそうさま」を言う時に、そのような感謝の気持ちを込めて言ってみましょう。
それを続けるだけで感謝できる心は育まれます。

雑話

寺子屋は子供に向けて行っているものですが、自分自身の課題でもあり、子は親の鏡なので大人に聞いてもらいたいという裏テーマもあります。
お金のためではなく世のため人のために仕事をしているか。
遊び心を忘れていないか。
当たり前に感謝できているか。
大人が実践し子供の手本となることが、子供の教育にとって何よりの方法だと思います。


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