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「生産的でなくてはならない」という落とし穴。

ここ最近、一週間ごとに目標を立ててそれをやってみるということを繰り返しています。

その目標は本当に小さなもので、人によっては「そんなん目標に立てなくてもできるべw」というようなもの。

例えば、お風呂に毎日入るとか、朝8時に起きるとかそういうものです。

一時期は「湯船につかる」という目標でしたが、「お風呂に入る」という目標に変わりました(妖怪風呂嫌い)

「朝8時に起きる」という目標も「遅刻しない」に変わりました(とにかく寝たい)

目標というより自分との「小さな約束」みたいなもの。

継続していくことって本当に難しいですからね(お風呂は毎日入れや)


この前読んだ午後さんという方の「眠れない夜はケーキを焼いて」というコミックエッセイでは、「継続できないのは意志が弱いのではなく、潜在意識がノーと言っているからだ」ということが書いてあって、なるほどなぁと思ったことがありました。

自分が自分のことを把握している部分の顕在意識と、自覚できてない部分の潜在意識。

潜在意識は表面に出ていないので、把握ができている顕在意識は本当に氷山の一角のようなものなのではないか、と。

だから自分が「簡単にできる」と思っているものでも、潜在意識が「ノー」と言えば継続することは難しい。

そんな時は自分の能力の低さを嘆くのではなく自分自身との折り合いを見つけるのが大切という旨が書いてありました。

私の潜在意識は「お風呂に入らなくてもいける」と思っているのかしらね。(入りなさいよ)


小さな小さな目標を立て始めたのは、自分に多少余裕ができてきたのもあります。

前にnoteで書いたのですが、基本的に何かを始める時は必ず何かをやめることにしてます。

私の場合非常に不器用なので、余白を作ってからじゃないとできないのです。


20代の頃は、芝居の道を志していたこともあってだと思うのですが、みんな毎日を忙しく生きているんだから余白を作ってはいけない、サボってはいけない、常に自分を追い込んで努力しなくてはいけないみたいに思ってしまっていました。

昨日と同じでは成長できてない、今が一番若いのだから今日何かやり始めなきゃと焦ってしまうのです。

休日をただ寝て過ごしてしまうと何もやらなかったことに自己嫌悪になってしまうことも。

そして何かをやることに「意味」や「目的」を見出そうとして、やるたびに苦しくなるし無意味に感じてしまうのです。

「生産的でなくてはならない」

私に襲いかかってくる、ある種の呪いのような言葉でした。


私は「〜せねばならない」という武士のようなマインドでいたがために心身ともに疲れてしまい、「どう休んだらいいのかわからない」という状態になりました。

寝ていても何かに追われるような、孤独で押し潰されそうな、とにかく毎日が誰かに責められることなく過ぎ去っていってくれるのをひたすら願うというような日々。

今日が終わったらほっとして涙が止まらなくなっていたし、明日という日がまた来ることに絶望していました。


これらをなんとか乗り越えていって「今」があるわけなのですが、この乗り越え方は本当に人それぞれなのだと思います。

こればっかりは自分で見つけるしかない。

でもこの時に注意してほしいのは自分と向き合いすぎないことです。

トラウマや過去と深く向き合ったところで人はそんなに変わりません。

開き直って忘れるのも手ですよ。

「忘れる」って最高の武器ですから。


幾度となく孤独な夜を乗り越えてきたのは自分だけの宝ものです。

あの痛みや悲しみはいつか自分への優しさに変わるものだと信じてます。

明けない夜はありません。

共に生きていきまっしょい!!!

わっしょい!!!!!🙌✨

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