大日本プロレス・登坂栄児社長の「徒然インディー」をようやく読む

週プロモバイル決済がいつのまにかuqモバイルにも対応してたので、前から読みたかった大日本プロレス・登坂栄児現社長の「徒然インディー」をようやく読む。

全部で163回。読むのに4日かかったが、読めてよかった。 

SWSから始まってNOW、大日本プロレスと仕事をしてきた登坂部長(現社長)の回顧録。
連載なので時系列順で進まず、ホットなトピックがあると話が中断したりする。

読んでると 

・取引先への支払いを放置して当日券売場の現金を持ち帰って自分の懐に入れる小鹿

・選手にギャラを支払わないのに家族とは焼肉を食べてたという小鹿

・プロレス事業は真面目にやらずに「小鹿さんのネームバリューがあれば飲食店やればすぐ儲けられますよ」という自称経営コンサルタントの口車に乗って何の地縁もない仙台のロードサイドに数百万かけて「ちゃんこ小鹿」をオープンさせるも、お客は知り合いが一日に一組来る程度で、それなのに「POSシステムを入れれば売上上がるし、従業員の不正も見抜けますよ」というコンサルの甘言を信じてメニューは一種類、お客も一日数組でPOSを入れようとする小鹿

・「インドネシアで興行やれば500万円の利益が出ますよ」と吹き込まれて反対を押しきって向かうもお客が集まらず現地イベンターに「払えない」と言われて大喧嘩し、結局当初の何分の1に減額させられた少額だけもらって帰ってくる小鹿

・日本各地にいる「興行に首突っ込んで『ここは誰が仕切ってるの?』と声かけてきてお金を支払うことで引き下がってくれる界隈の方々」とはもう縁を切る、と登坂さんが宣言したのにビッグマッチをやることになったら最初にその地域の界隈のボスみたいな人に連絡してしまう小鹿。さらにはそんな文字通りの¨ビッグボス¨に「すみません、うちの小鹿がああ言ったんですけどやっぱりお力は借りなくて大丈夫です」と言わなければいけなくなった、登坂さんの長い一日の話

などなどなど、とにかく「よく辞めなかったな…」としか思えない濃厚エピソードがいっぱいです。

そもそも「当日券売場に集まる現金=自分が好きに使えるお金」という認識の社長でよく団体が持ったな…と思うけど、似たような話はかつての全日本女子プロレスやW☆INGでも聞いたことあるし、90年代くらいまではプロレス界はそういう認識だったのかもしれない。
結局全女やW☆INGが潰れて、大日本が今も残ってるのは登坂さん的な「ちゃんとした人」がいたかどうか、という部分な気がする。
DDTもそんな感じなんでないだろうか。高木三四郎さんがいなかったら…ねえ。

どうしても小鹿の強烈なエピソードに覆いつぶされてしまうんですけど、山川が大怪我したときの話、CZWとの舞台裏、SWSで仕事をしていた日々、大日本プロレス27年のあんな話こんな話、みんな面白い。

1990年代後半~2000年代前半くらいってまだSNSがないんですよね。スマホもない。インターネットはパソコンがないと見られず、写真を上げるにはホームページが必要だった。
今よりもっと、いや今とは違って、「何かとんでもないこと」が起きててもテレビか新聞が伝えなければ世の中の人はみんな知らなかった。
だから2階からパワーボムで相手を落としたり、後楽園ホールで火炎攻撃してたり、果ては秋葉原の空き地(JRが管轄)で無茶苦茶なファイヤーデスマッチができたりする。

あんなん今やったら通報!通報!で文字通り炎上ですよ。
けど当時は「その場にいる人だけが楽しめる」演者と観客の共犯関係が成立していて、部外者が知るシステムが弱かった。
(秋葉原のこの近隣のビルの人たちからすると迷惑だったでしょうけど)
要するに「公園で野球ができた時代」でした。

アーリー大日本を追ってた人間からすると、やっぱり思い出深いのは2001年12月の横浜アリーナですよね。
「インディーだって夢を見る」(byIWAジャパン)という感じで2000年に開催発表して、ファンも団体も勢いつけて向かっていくはずだったのがエース本間の電撃退団、山川の大怪我離脱で全然違う形になって。
CZWが発表と全然違う試合に変更したり、やりたい放題やった末に「今日で俺たちは大日本とサヨナラだ」みたいなことを宣言してお客がポカーンとなったり、それが関係したのか松永光弘が「大日本にはもう出ない」とキレて帰ったり、メインイベントこそ「山川復帰戦」でなんとか形としては収まったものの、登坂さんが当初思い浮かべてた形と全然違う形になってしまって。
夢舞台だったはずが「ぐちゃぐちゃの内情」を見せつけられる、なんだか後味の悪い大会でした。

いろんな人の思い出話もまた興味深いです。
金村キンタロー、FMW荒井社長、天龍源一郎、橋本真也、中牧昭二…。

「そんなことがあったんだね」という話がいろいろ出てきます。

天龍さんの「交渉における圧力のかけ方」が勉強になりました。
俯瞰すると、登坂さんも必死だったけど、天龍さんも必死だった…って話ですねあれは。

読める人はぜひ読んでみてください。
登坂さんの文章が若干ポエムに流れる部分はありますが、貴重な証言録です。

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