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『奇蹟がくれた数式』数式は彼が生み出すのではなく、彼にやって来るもの(世界の歴史)

 第一世界大戦が起きた1914年、イギリスのケンブリッジ大学の数学者ハーディ教授のもとに、インドから1通の手紙が届いた。そこには驚くべき数学の発見が記されていた。彼は手紙の差出人であるインドの事務員ラマヌジャンを大学に招聘するが、他の教授たちは身分が低く学歴もなく、独学で数学を学んだラマヌジャンを拒絶する。そんな中、二人は共同研究をするが、ハーディは無神論者、ラマヌジャンは熱心なヒンドゥー教徒だ。

 英語のタイトルは『The Man Who Knew Infinity』となっている。Infinityとは無限大を意味する。ラマヌジャンのいくつかの研究は、現在、弦理論やブラックホール、量子重力の研究を行う物理学者や数学者を支えているという。つまり、無限大に偉大な男ということだ。

 無神論者のハーディは神を信じない。なぜならその存在を証明できないからだ。ラマヌジャンは思いついた数式を証明しない。ハーディは証明しなければ認められないとする。この衝突が映画では描かれているが、それにはラマヌジャンは数式(公式)は創るものではなく、すでに存在するもので、類まれなる知性に発見されるのを待っている、という考えが根底にあるからだ。

 ラマヌジャンが眠るときや祈るときに、女神ナマギーリ(インドのタミルナード州で信仰される女神で、ヒンドゥー教のラクシュミーという女神のローカル版)が、舌の上に数式を置いていくというのだ。ラマヌジャンにとり、それを証明することに意味はない。方程式が神の御心でなければ何も意味がないからだ。

 彼はインドに帰国後、奥さんと1年間を過ごし、結核で死んでいくが、女神ナマギーリはラマヌジャンの舌の上に、なんと3,900近くの恒等式と方程式などを置いていった。Wikiによると、その後多くの数学者の協力により、彼が26歳までに発見した定理に関して証明が行われた。その作業が完了したのは1997年であり、「ノートブック」と「失われたノートブック」の全文が出版完了したのは2018年だという。

 数式は彼が生み出すのではなく、彼にやって来るものだったのだ。まさに浄土教の他力本願ではないか。
 ちなみに、ケンブリッジ大学の各研究所の入り口には、「神の御わざは偉大なるかな、そこから得られるものを人間が知ることにまさる喜びがほかにあるだろうか」という旧約聖書の言葉が必ず書いてあるという。

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