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『台湾の日本人 証言と史料が示す「親日」のルーツ』日本統治の批判も知りたかった(日本の歴史、世界の歴史)


 日本が統治していた台湾では、現地人の志望専攻は「医学部」、韓国では「法学部」を目指した。その理由は儒教の影響だという。それだけ李朝時代500年の影響は大きい。この本にはないが、朱子学では忠孝を重んじる。特に忠を成立させるため、中央集権の李朝時代に人々はソウルに集中した。今のソウルの家賃高騰や半地下生活の原因は「忠」の影響によるソウル一極集中にある。日本は江戸時代には分散統治だったため江戸への一曲集中はなかった。

 台湾と韓国の「新日」「反日」は需要の価値観の浸透度による。漢民族の中心は黄河中流域の「中原」が世界の中心でそこから離れていくほど野蛮で、特に中国が清王朝(満州人政権)となると、韓国こそが儒教的価値観の正当な体現者だという意識が生まれたという。
 台湾の台湾帝大(現在の台湾大学)、韓国の京城帝大(現在のソウル大学)のそれぞれのWebサイトを比較すると、台湾大学は当時教鞭をとった日本人教授の銅像や記念室があるが、ソウル大学には京城帝大とのつながりは一切ない。当時日本の帝国大学は9つあり、国内に7つと、台湾と韓国に2つあったのだ。

 台湾の民族の歴史は、清の統治下の17世紀に移住してきた福建系や広東系の漢民族と、南洋系の先住民族が混在していた。そこに日本統治が行われ日本語が標準となり、鉄道が道路が整備されることで、交流が進んだ。

 敗戦後に台湾にいた日本人は300万人以上。台湾の戦後復興に必要な人材(学術研究、医療、産業分野の専門家)2万4千人が台湾に残された。1945年(昭和20年)に国民党の陳儀が台湾にやってきて、暴政や圧政を行ったことが日本統治への郷愁を抱かせたある。台湾統治の基礎は明治維新の負け組である奥州越列藩同盟(会津、仙台、盛岡)の中の仙台藩後藤新平が第4代台湾総督である児玉源太郎の下で行政を担当した。ここで生まれたのが有名な以下の言葉だ。

「よく聞け、金を残して死ぬものは下だ。仕事を残して死ぬものは中だ。人を残して死ぬものは上だ」

 この言葉のとおり、後藤新平は多くの逸材を台湾に残し、亡くなった。
 台湾統治において難しい問題は20万人の乗用車がいるアヘン問題だったようだ。アヘンをいきなり全面禁止とするのではなく、総督府の専売の「薬」とし、その収益は台湾の衛生問題解決などに充てた。

 水力発電所などの建設、飛行場、鉄道などのインフラにも貢献したことが例をあげて解説されている。今の親日を支えている日本統治時代の功績についてまとめたものであるが、やはり、日本統治の欠点や批判なども掲載されていないとバランスが悪い。

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