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『峠 最後のサムライ』ユダヤ人が死海のほとりの400mの岩山に立てこもり耐えたのは3年間(日本の歴史)

 幕末の西軍と東軍との戊辰戦争において、長岡藩の牧野家家臣・河井継之助は、幕府側、官軍側のどちらにも属することなく、越後長岡藩の中立と独立を目指していた。しかし結果的に、幕府側につくことになる。私の生まれ故郷の郡上藩青山家は、会津の白虎隊に凌霜隊を送り込むことで、官軍側と幕府側の両方につくという二股戦略を立てた。

 映画を観てしみじみ思ったのは、長岡藩は中立を目指したのに4日間で戦いに負け、戊辰戦争が1年という短期間で終わっていることへの疑問だ。

 ヨセフスのユダヤ戦記と比較すると、ユダヤ人が死海のほとりの400mの岩山に立てこもり耐えたのは3年間もの間だ。狭い頂上には960名が暮らしたため、畑もあるしサウナもある。この映画の主人公がつながりのあったスイスは永久中立だが、彼らにはヒトラーも攻め込めなかった山岳地帯がある。イギリスもロシアもアメリカも支配することができなかったアフガニスタンも山岳だ。イスラエルのマサダの要塞も岩山だ。

 長岡には鋸山がある。そこを要塞化して官軍側に抵抗すれば、中立的な立場を堅持することができたかも知れない。この映画を観る限りだと武士の魂は潔く諦めてしまうことのように思えてしまう。結果的にマサダの要塞に残った960名は集団自決したが、ユダヤ魂は、現代にまで受け継がれている。江戸時代にヨセフスのユダヤ戦記が翻訳されて、日本に流通していれば、もっと面白い映画になったのに...

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