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『儒教文化圏の秩序と経済』山本七平が絶賛するほど面白い(環境研究、世界の歴史)

 山本七平氏の著書で、韓国の文化を知るにはこの本がもっとも面白く、人に貸すと帰ってこない本として紹介されていたもの。確かに面白いので、赤ペンだらけになってしまった。

 著者の金日坤氏は、韓国釜山大学の教授で、名古屋大学に外国人客員研究員として半年間研究来日した経験がある。本書は、韓国では壬辰倭乱(じんしんわらん)、日本では文禄慶長の役と呼ばれる秀吉の朝鮮出兵以後の李朝社会と徳川社会を比較したものだ。

 プロテスタンティズムの文化圏だけでなく、日本、韓国、台湾、香港、シンガポールなどの儒教文化圏が急速に経済発展した。儒教は家族倫理的な生活の指導原理が、国家の権力構造にそのまま反映され社会秩序を形成したため、国王などに対する改革の動きを心情的に難しくした。韓国は地続きである大陸と海からに対する根強い抵抗が、韓国の文化を形作った。逆に海に囲まれた日本は、中央集権国家のある大陸との緩衝地帯として半島があり、大陸の激しい影響を受けることはなかった。韓国は李朝時代、仏教が腐敗や巨大な寺院に対する財政負担、あるいは僧侶の妻帯(仏力が弱くなる)などから排除され、儒教、特に朱子学によって政治と経済が方向づけられた。ヨーロッパからすると神の概念のない儒教は宗教ではないが、祖先崇拝、老人の尊重、国家ないし国王への忠誠など、すべてが人間集団内部の「生き方に関する教え」と位置づけることができる。

 朱子学の秩序原理は、第一に中央集権的な政治体制、第二に忠孝一致という人間関係の倫理体系、第三に平和主義の傾向、第四に農本主義の経済だ。忠孝一致の「忠」は国の秩序、「孝」は家族の秩序を指す。李朝が中央集権体制を以下の2つで維持し、徳川政権は参勤交代制により集権的でありながらも分権的な体制を維持した。

1)地方官の任命において、本人の出身地には絶対行かせない相避制
2)一定期間だけ地方官として在職できる任期制

 しかし、相避制と任期制は地方官衛の下級官僚は替わらないという問題点を抱えていた。この連中の悪行が極めて多かったのである。李朝は集権体制の強化を図るあまり、李朝五百年の間、今の国防大臣にあたる武官(兵曹判書)をひとりも任命していない。逆に日本は、戦国時代から徳川時代が終わるまで、武家政治が行われた。天皇制を温存しながらの幕府体制は二元体制だが、儒教の政治体制では容認できるものではない。なぜなら、儒教は元来、「一君万民体制」であって二元体制ではない。この二元体制に対し、尊王論が維新の原動力となり、一元体制へ復元をもたらした。また、李朝は首都だけが中央集権体制で反映して大きくなり、地方都市はほとんど発展しなかった。日本は二百六十の城下町が形成された。

 李朝時代の一番大きな試練は、秀吉による七年間にわたる壬辰倭乱で、中国の清政権における大規模な軍事侵略があった。このような外侵による耐えがたき試練にいつも耐えながら生きてきたのが、韓国の民衆だ。戦乱の中で生き延びる術として、頼れるのは家族だけ、特に血のつながった家族だけが頼りになった。人と人のつながりの違いなどからも韓国と日本の違いを解説しながら、文化からの経済認識に論を発展させ、儒教文化圏の将来として、日本はオリジナリティーから欧米の文化と経済を乗り越えていかなければならないとしている。しかしこれは、1984年の論説だ。残念ながらその後の日本は、失われた30年となる。

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