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『ロボット-RUR』最後は人間は神となる(技術の歴史)

 チェコのカレル・チャペックのロボットという戯曲だが、これでロボット言う言葉が生まれた。この戯曲におけるロボットは、生きた物質のような反応をする物質を発見したとあり、ねばねばしたコロイド状のゼリーの塊で、自然が関知することなく、はるかに簡易かつ柔軟に、短期間に作ることができたとあるので、イメージ的にヒューマノイドなのだろう。そして、ロボット会社は科学用いて神を引きずり下ろそうとし、どんな神も必要としないことを証明したかったのだ、と。

 作られたロボットは、英語、フランス語、ドイツ語、チェコ語の四つの言葉が話せる。ロボットの組立工場は自動車工場のように組み立て、その後、話すこと、書くこと、計算することを学ぶ。しかし、新しいことは自分で創造できない。つまり、人間との左は創造力ということだ。
 労働は以下の四つに分類できるというのなら、1)と3)はロボットでもできるということになる。

 1)知識を伴わない定型労働
 2)改善労働を伴う非定型労働
 3)知識を伴う定型労働
 4)複数分野の知識を伴う創造的知識労働
  『タレントの時代』(講談社現代新書、酒井崇男)より

 ロボットの労働により労働力は価格が下落し、食費も含め、ロボットは1時間につき75セントで十分。経営者は笑いが止まらない。工場という工場が倒産するか、製品の価格を下げるためにロボットを買うかのどちらか。

 そのうちロボットが種族組織を作り出し、人間こそが敵であり、全世界から追放すべきだという「ターミネーター」の世界が描かれることになる。人間は皆殺しとなり、最後にひとりになったが、残ったひとりはロボットの作り方が分からない。すると、絶滅を避けるためロボット同士が解剖してその作り方を学ぼうとするが、解剖の志願をした二人の男女のロボットが譲り合うことで愛が生まれた。神として位置づけられた最後の人間が二人のロボットをアダムとイブとして送り出し、物語は最三幕で終わる。この第三幕は後から付け足したもののようなので、欧米でよく知られた物語は、まさにロボットが人間を支配して終わっている。ロボットという言葉のルーツが共産圏だったチェコにあるのも面白いが、最後は人間が神となり、ロボットに魂が生まれるというのも面白い。

Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。