モウ春ヤネ

 漱石や熊楠の様に、グローバルな視点を持ちながら日本の土を踏みしめてたたかったかつての巨人たちが好きだなぁとしみじみ思いながら、都営大江戸線の深い地下へ潜って勝ちどき駅で電車を降りた。

 最近は日銭を稼ぐ関係でタワーマンションからの眺めを見ることが多いが、一旦見慣れてしまうとこの鉄の山には生理的な感動はない。しかしそれを選択できるということに意味は存在していて、そのような意味は意図的にこの都会にばら撒かれている。

風の堆積

 季節の変わり目の心をたてかける故郷の景色は私の中にありながらそれはやはり実物よりも心許無い。ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、というのは頭ではわかりながらもやはり心の方では水槽を拵えて自分の中で約束された世界を構築したいという欲が起こる。

水上の分譲

 この矛盾。水槽。ミネラルウォーターの自宅の在庫を切らし苦い顔をして水道水を飲む時の、どっちが正しいのかわからなくなる感じ。春。



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