失踪した父、パワフルな母、そして盛田さんと濃い大人に育てられた僕。 そして、忘れてはならないのが祖父と祖母。 母が働いていたので、大半の時間は祖父と祖母と過ごした。 祖父はザ田舎の訛りの強いおじいちゃんという感じで、畑仕事と必殺仕事人を観ることが大好きな人な温厚おじいちゃんだ。 おじいちゃんが怒った所はほとんどみたことない。 唯一怒った所をみたのは、僕が幼稚園の時に地元にできたばかりのファミリー焼肉店でのこと。 ここはうちの地元にできた唯一の大型焼肉店。 リーズ
ここで母の事を書いておこう。 母は25歳の時に僕を産んだ。 とてもパワフルな母で、実は全国ネットの番組にも3回、地方のバラエティ番組にも2回、R1グランプリ1回に出ている。 ちなみに我々はコンビで、ネット番組に1回しか出ていないので、母に完全に負けている。 そんな母は見た目は若々しく、かわいらしいおばちゃんなのだが、 とても気が強く、学生時代は聖子ちゃんカットのスケバンヤンキーで、かなりの負けず嫌いだったらしく、 学校行事の大縄跳び大会の練習中に足を引っ張ってた生
その後、父親は失踪した。 失踪してから20年会うことはなかった。 (20年後の遭遇についてはまたいつか) その後、現れたのが盛田さんだった。 盛田さんは僕が5歳の時に東京から単身赴任でやってきた。 40を超えたくたびれたスーツの長身のおじさんだ。 盛田さんはうちの祖父が経営してた小さなアパートに暮らしており、 気づいた頃には何故か母と姉と僕と盛田さんとよくお出かけをしたり、盛田さんの家で盛田お手製パスタを食べたりしていた。 子供だった僕は当時は何とも思ってなか
3歳になった時に父親が急に姿を消した。 父は婿養子で、母と母方の祖父母、祖父、祖母と姉と僕と7人暮らしをしていた。 うちの母方の家計は女の子しか産まれてこなかったらしく、僕が久しぶりの男の子だったらしい。 なので、うちは女性陣が実権を握っており、とても気が強くたくましい。 そのせいなのか、反対に男性陣はとても物静かで大人しい。 そんなある日、役所の人から道路を広くしたいので立ち退いてほしいと連絡があり、それを聞いてうちの女性陣は大激怒。 父に役所にクレームを言って
この5100gの巨大児、後にある騒ぎを巻き起こすお笑い芸人になる。 実はお笑い芸人時代に改名を8回している。 その話はまた後々話していくのだが、親から名付けられた【龍之介】この名前も実は改名している。 生まれて数日後、龍之介と名付けられたビッグベイビーだが、 父親の両親にこの名前を伝えた所、『なんだその名前は!だせぇ!!古くせぇ!!!やめろ!!!』 と反対とされた。(※あくまで当時の個人の感想です) すごくハッキリいう。 父親の両親は当時からヤンチャだったらしく
1989年5月9日15時43分。九州の片田舎に5100gの男の子が爆誕した。 その日産まれた赤ちゃんは退院するまでガラス越しにズラっと並べられるらしい。 他の子と比べても明らかにでかい。 『え、何この子すごくデカくない?!』 『もう成長してる子いるんだけど!!』 と、横綱赤ちゃんの前にギャラリーができ、産婦人科に衝撃が走ったらしい。 そのギャラリーのせいか、身内の人間は恥ずかしくて近づけなかったと言っていた。 ちなみに、人生の人気のピークは今の所この瞬間が最高頂
昔、昔というほどでもない少し昔。 九州の片田舎に男の子が誕生日した。 出生時の体重は5100g。 産まれた瞬間、産声をあげることもなく息をしていなかった。 現場は大変な騒ぎだったという。 一生懸命処置をしてくれている助産師さん。 もうダメだろうな、と思った次の瞬間 産まれた赤ん坊が助産師さんの顔面にしょんべんをぶっかけた。 その瞬間、赤ん坊がやっと産声をあげた。 そして、分娩室に大きな笑いが起きた。 緊張と緩和。 この頃できていた笑いの手法をなぜ今はうま
大分県出身、芸歴16年目、年齢非公開の居残りサミットの奥口という吉本芸人。 2024年4月4日からこのnoteに19歳から始めたこれまでの芸人人生と何故芸人になってしまったのかという事を全て書いていこうと思う 全て言います。ノンフィクションで。 内容ダメそうなものは、吉本から怒られるまでは載せます。 もしくは、それだけは有料公開するかも。 ノンフィクションで真面目に書こうと思います。 いや、ボケたくなったらたまに盛るかも。 なので、ほぼノンフィクションのそんな半