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浮かび上がる後悔を成仏させるには

「なんで、あんなことやっちゃったんだろ。」
「あのとき、もう少しこうやってればなぁ…」

苦い思い出が、フラッシュバックする。脳内で記憶がリピート再生。あのときの感情が蘇り、「うぐぅ…」となる。あれはなんなんだろう。過去を急に思い出す装置が、人間には、なぜだか内蔵されている。

後悔がない人は、おそらくいない。
村上春樹さんも過去の作品について、こう語っている。

僕自身、過去に書いた作品については、決して満足しているわけではありません。「今ならもっとうまく書けるんだけどな」と痛感するものもあります。読み返すとあちこち欠点が目についてしまうので、何か特別な必要がなければ、自分の書いた本を手に取ることはまずありません。

村上春樹著「職業としての小説家」ハードカバー本P154

これは小説に関しての話だが、僕らの人生も同じこと。「今ならもっとうまくやれるんだけどな。」と過去のあれこれを思い出しては、1人で顔を赤くしたり、落ち込んだり。

後悔が無い人はいないが、後悔との「付き合い方」は、それぞれに随分違っているように思う。

「後悔ですか?無いッスね。」と言う人が稀にいるが、それは後悔のとらえ方が違うだけで、後悔するような出来事が無いわけではないだろう。

その人が続けて言う。「まぁ〜そりゃいろいろありましたよ。でもね、まぁ、ぜんぶ良い思い出ッスね。」と。つまりは、その出来事を「後悔」という箱に入れて引きずりまわすのではなく、「思い出」というアルバムに入れて味わっている。

ただ、そうであればいいが、もしかすると後悔を「無視」することで、無理して「ポジティブにいなきゃ!」と自分を鼓舞していることもあるかもしれない。その場合は、どこかのタイミングで鍋底がパカッと開いて、悶絶することになる。

後悔はネガティブだが役に立つ

後悔を「悪者」として見ているが、後悔が「存在している」のは、それなりに何かの役割や良い面があったりするんじゃないかとも思う。ふと、後悔の「効用」について調べてみると、面白い記事が見つかった。

以前に「ハイ・コンセプト『新しいこと』を考え出す人の時代」を読んで、面白い著者だと思っていたダニエル・ピンクが、

2023年12月に「THE POWER OF REGRET(後悔の力)〜振り返るからこそ、前に進める〜「後悔」には力がある」というタイトルの本を出していた。

この書籍の抜粋記事に「後悔への3つの反応パターン」が書かれているが、たしかに僕らはこのパターンのいずれかを無意識にやっている。

後悔の痛みを感じたとき、人が取りうる反応は3種類ある。

「感情は無視すべきものである」と判断して、それを見えない場所にしまい込んだり、軽んじたりすれば、現実が見えなくなる。

「感情は感情のためにある」と考えて、それにどっぷりつかれば、絶望に襲われる。

では、「感情は思考のためにある」と考えて、
思考を修正する材料にすれば?

その後悔の感情は、意思決定の質を改善させ、課題に対するパフォーマンスを向上させ、人生の充実感を高めるために、有益な教訓をもたらす。

感情が思考のためにあり、思考が行動のためにあるとすれば、後悔は私たちをよりよい人間にする役割があると言えるだろう。

東洋経済「ネガティブな「後悔」の感情が人間に必要な理由」

上記は抜粋文で、前後の文章がないためか、少しわかりにくく感じてしまった。個人的な解釈を入れながら表現を変えて、下記に書いてみた。

後悔を「無視」すると表面的にはポジティブになれるかもしれないが、現実を正しく認識できているわけではないので、地に足のついていない浮わついた状態となる。幻想モード。

後悔を「感情的」に扱うと、湧き上がってくる恥ずかしさや自己嫌悪の渦に飲み込まれ、堂々巡りの無限ループの末、絶望感へと至る。自爆モード。

しかし、後悔を「気づくきっかけ」として扱えば、自分の思考パターンに気づき、今後のパターンを切り替えていくための「チャンス」として活用することができる。賢者モード。

さらにこれを、それぞれのモードの人の「セリフ」で表現すると面白そうなので、やってみた。

後悔を無視している幻想Aさん「(正直やっちゃったなと思ってるし、心はダメージを受けているけど)私は大丈夫!全然問題ない!全然気にしてないよ!ほんと気にしてないから!!明るくいこうよ〜!!(自分に言い聞かせている…)」

後悔の感情に飲み込まれた自爆Bさん「(布団に丸まりながら)あぁーーーなんてことをしてしまったんだ!もうダメだ。どの面下げて生きていけばいいんだ。もう立ち直れない… 人生終わった… 生きてる価値なんてない… 」

後悔を気づきのきっかけにした賢者Cさん「あちゃーーやっちゃったなぁ。まぁ、残念だけど終わったことはしかたない。間違うこともある、人間だものby相田みつを。今度からはこうしないように気をつけよーっと。さて、お腹すいたなぁ。なに食べよ?」

とまぁ、こんな感じかな。

後悔は、取り扱い方を意識すれば「薬」にもなる。後悔があるからこそ、僕らは「もうあんなことにはならないように…」と努力したり、「もうあんな想いを誰かにさせないように…」と優しくなったりもするわけで、そう思えば、「後悔」を必要以上に悪者扱いせずにすむ。

だからといって、湧き上がってくる後悔を「『無視』もせず、『感情』にも飲み込まれずに、『気づきのきっかけ』にするぞ!」なんて、ロボットみたいに割り切れるものではない。それこそ、人間だもの by 相田みつを。

ダニエル・ピンクさんが書籍でどう解説しているかはわからないが、この3つの反応は「パターン」というよりも「時間が経つにつれ、自然に変わっていくプロセス」のように思う。

後悔が成仏していく3段階プロセス

プロセス1:後悔するような出来事を思い出すと、どうしたって最初は『無視』したくなる。しょっちゅうしょっちゅう思い出して、気にしてたんじゃ、身が持たない。僕らは「いい具合に忘れる」から生きていける。

プロセス2:でも『無視』してばかりでは前には進めないので、もう無視しきれなくなるほどの状況になったり、今後の自分の生き方を改めて考えるようなときに、後悔した出来事を振り返り、反芻して、感情に飲み込まれる。自然発生的に感情が湧いて、引きずり込まれるエリアでもある。

プロセス3:感情の渦に飲み込まれて、ひとしきり絶望感や劣等感を味わった後に、「あー、もういいや!」と闇を抜ける。過ぎたことは変わらない。自分の糧にしていくしかない!気づくきっかけになったし、良しとしよう。

こんなプロセスを自分自身がやっているが、おそらく多くの方がそうなんじゃないだろうか。そして、そのプロセスを進めていく速度は、歳を追うごとに速くなっているように思う。もちろん出来事の重さによっても、プロセスを進められる速さは異なるが。

たまに僕のことを「ポジティブやな〜」と言う人もいるが、プロセス1&2で感情の渦に飲み込まれている時間もある。ガッツリしっかり落ち込んでいる。ただ、プロセス3への転換が速くなっているので、まるで瞬間的にプロセス3に行ったように見えているのだろうと思う。

巷のポジティブに見えている人は、プロセス1のエセポジティブか、このプロセスを進めるのが速くて、常にプロセス3に見えるが、実は内部的にプロセス1&2をシュパパッと高速処理している人の2パターンだと見ている。

高速プロセス3の人は、本人も無意識すぎて、もはや処理していることにも気づいていないだろう。僕自身も「ポジティブやな〜」と言われても、「いやいやけっこう落ち込んで、しおれたほうれん草みたいになってまっせ」と言っているが、外側からはそうは見えない。

もちろん、すべての物事を高速処理でプロセス3に持っていけるわけではないので、重めのやつはプロセス1のまま「保留ボックス」に入れておいて時が来たら、スロージューサーのようにじわ〜っと消化して、プロセス2を味わった後に、昇華させていく。

なにも高速処理で素早くプロセス3に持っていくことばかりが、いいわけではない。ゆっくりと消化させていくプロセスで、物語や創作物が生まれたり、優しさが生まれていったりもする。それを味わうことが生きることの醍醐味であり、豊かさでもあるようにも思う。とはいえ、苦いから嫌だなぁと思っちゃうけどね、後悔は。

春樹さんも、時間をかけることの大切さを感じているようです。

時間は、作品を創り出していく上で非常に大切な要素です。
とくに長編小説においては、「仕込み」が何より大事になります。

自分の中で来るべき小説の芽を育て、膨らませていく「沈黙の期間」です。「小説を書きたい」という気持ちを自分の中に作り上げていきます。

そのような仕込みにかける時間、
それを具体的にかたちに立ち上げていく期間、
立ち上がったものを冷暗所でじっくり「養生する」期間、
それを外に出して自然の光に晒し、
固まってきたものを細かく検証し、とんかちしていく時間……

そのようなプロセスのひとつひとつに十分な時間をかけることができたかどうか、それは作家だけが実感できるものごとです。

そしてそのような作業ひとつひとつにかけられた時間のクォリティーは必ず作品の「納得性」となって現れてきます。目には見えないかもしれないけど、そこには歴然とした違いが生まれます。

村上春樹著「職業としての小説家」ハードカバー本P155

時間をかけること、そのプロセスを実感すること、そこからにじみ出てくる納得性。それは小説も、僕らの後悔という感情に対しての向き合い方も同じであるように、この一節から感じたのでした。

とはいえ、後悔が蘇ってくることもあるし、はたまた外部から批判されることで自分がグラつくということもある。次回は、そんなときに「自分を支えて守ってくれるプロテクター」が、何になるのかについて書いていきたいと思います。


※村上春樹さんの「職業としての小説家」を読む読書をしているなかで得たインスピレーションをもとに書いています。下記の記事は、その読書会で得た「気づき」があふれだして書いたnote記事1本目。読書会の詳細や参加方法についても、下記の記事末尾に書いています。


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