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「be」あり方を大切に「他人軸のA面」から「自分軸のB面」へ。自由なBboy心を忘れず…

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「be」あり方を大切に「他人軸のA面」から「自分軸のB面」へ。自由なBboy心を忘れずに、Let it be. 四角大輔オンラインサロン「LifeStyleDesignCamp」メンバー #超ミニマル主義 #超ミニマル・ライフ

最近の記事

僕らがいずれ終わる人生を生きる意味って、何なん?かもめのジョナサン読後記録

僕らは、「もっと何かを得ていかなくてはいけない」と思ってしまいがちだが、本当は「持っているものに気づいていく」だけでいいのかもしれない。 しかし、「持っているものに気づいていく」ためには、自分でない憧れのものを求めて、それを得ようともがいて、ようやく得た後にそれを捨てるプロセスを踏むしかないのかもしれない。 最初から「気づく」段階に行けばいいものを、ずいぶんと遠回りをしてしまう。なんとも面倒でややこしい構造だなと思いながらも、それがこの世の愉しみ方であって、味わいなのかも

    • 2種類の時間「クロノス」と「カイロス」。「かもめのジョナサン」Part Two へ。

      時間は、2種類ある。 古代ギリシャの人々は、そのことにすでに気がついていた。時間には「2つの種類」があることに気づき、それを2つの「神」として表現した。1つを「クロノス」と呼び、もう一方を「カイロス」と呼んだ。 この話が出てきたきっかけは、今朝の「かもめのジョナサン」読書会。そこに、その描写があったからだ。今朝読んだのは文庫版のp66-73。「Part One」 から 「Part Two」 に入り、描写される世界が大きく変わった。 いままでとは違う世界へ。すぅ〜っと、さ

      • 僕らの感性。思い出す未来。意思ある選択。

        「かもめのジョナサン」の読書会が始まった3日目は、Nさんが興奮気味に「あ!!!気づいた!」というインスピレーションのシェアから始まった。そしてそのまま、せいじ先生との気づきの対話へ。その記録。 (※最後に、ある書籍の紹介もしています) Nさんの気づきかもめのジョナサンがアメリカで出版されたのが1970年。 1970年は戦後25年。大阪万博が開催された年。 Nさんは当時6歳だった。万博には5回行った。 各国で万博が開催されていた。 それが日本でも開催された。 これから行くよ

        • 僕たちのなかにある光と影。どう生きるかを考える物語。1歩目の朝。

          2024年4月16日、「かもめのジョナサン完全版」の音読会がはじまった。音読会の後にせいじ先生が語った言葉たちを、スピードが追いつかなかったけど、拾えた分だけ載せておきます。主に読書会のメンバー向けに。 (※音読会に参加したい方は、こちらのLINEオープンチャットからどうぞ。耳だけ参加からスタートできます。) ーーーーーーーーーーーーー せいじ先生のコメント ーーーーーーーーーーーーー ほとんどのかもめにとっては飛ぶことなんて関係ない 食べることを重要視している。サバイブ

        僕らがいずれ終わる人生を生きる意味って、何なん?かもめのジョナサン読後記録

          N氏とD氏の対話メモ 2024.4.4

          とある場所で自然発生的に展開された、 とある対話の私的メモ。 正確性を問うものではない。 並んだ言葉たちから漂うものを感じ取っていただければ、これ幸い。 * * * N氏 イメージが未来をつくっていく。 経験したことからしかイメージできない。 経験が想像力を生んでいく。 昨日(2024年4月3日)、10年来の友人とFacebookライブで対談をした。その友人とは2人でポッドキャストをやっていた時期がある。いつから始めたのかと確認したら2019年4月3日で、同じ4月3日

          N氏とD氏の対話メモ 2024.4.4

          浮かび上がる後悔を成仏させるには

          「なんで、あんなことやっちゃったんだろ。」 「あのとき、もう少しこうやってればなぁ…」 苦い思い出が、フラッシュバックする。脳内で記憶がリピート再生。あのときの感情が蘇り、「うぐぅ…」となる。あれはなんなんだろう。過去を急に思い出す装置が、人間には、なぜだか内蔵されている。 後悔がない人は、おそらくいない。 村上春樹さんも過去の作品について、こう語っている。 これは小説に関しての話だが、僕らの人生も同じこと。「今ならもっとうまくやれるんだけどな。」と過去のあれこれを思い

          浮かび上がる後悔を成仏させるには

          外の世界に強い刺激を求めるのではなく、小さな物事から世界をそこに見出す

          自分に対して「なんて、“普通”なんだ。」と思っていたことを以前に書いたが、 春樹さんもそれほど変わった育ちや経験をしたわけでもなく“平凡な少年時代”を送ったらしい。 戦後の混乱や革命も経験していなければ、飢えや貧乏で苦しむこともなく、穏やかな郊外の平均的な勤め人の家庭で育った。特別に幸せというわけではなく、ひどく不幸ということもなく、学校の成績も良くも悪くもなく、これといって特徴のない"平凡な少年時代"を送ったと書かれている。(『職業としての小説家』ハードカバー本P121

          外の世界に強い刺激を求めるのではなく、小さな物事から世界をそこに見出す

          動きたいけど動けないときに、どうするか

          「魔女の宅急便」の原作者の映画『カラフルな魔女』が1月26日から公開されたようで、そのインタビュー記事を読んでいたら、村上春樹さんとも共通する「やりたいと思ってるんだけど、できない…」を解決するヒントのようなものが見えてきました。 「やりたいとは思ってるんだけど…」年始に立てた目標、ダイエット、筋トレ、積ん読している本、他にもありそうですが、まぁいろいろと「やりたいけど、やれてないもの」が、僕らの人生には出てきます。 こうやって記事を書くことに関しても、「書きたいけど、書

          動きたいけど動けないときに、どうするか

          "普通な自分"と"オリジナリティー"

          「なんて、自分は“普通”なんだ。」 そう思いながら、「変わってるね」と言われている友人をうらやましく見ていた時期がある。 こんなことを思い出しているのは、村上春樹著「職業としての小説家」の〈第四回 オリジナリティーについて〉を読んでいるからだ。 今ではそれなりに歳を重ねたが、若い頃は「何か特別な自分」になりたいという感覚が強かったように思う。「何か特別なもの」を持っている自分になることで、自信を持ちたいとも思っていたのだろう。 アイデンティティが確立していない時分には

          "普通な自分"と"オリジナリティー"

          人生が軽くなる読書会で起きた不思議な一致

          まったく異なる世界線で、それぞれの世界が進んでいるにもかかわらず、不思議な一致を見せられることがある。今朝もそんなことがあった。 最近、2つの音読読書会に参加している。 参加者が音読し、文字を追いながらそれを聞き、感想を数名がシェアするという約15分間の音読読書会。そこで取り上げられている2冊の本。 2つの本はまったく異なる本。とはいえ、つながりはある。「職業としての小説家」は「超ミニマルライフ」のなかで参考文献として紹介されている。内容としては、まったく違う内容の本で

          人生が軽くなる読書会で起きた不思議な一致