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【科学哲学】時間について ~WATER BLUE NEW WORLD/Aqours~ を参考に

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 元々は『哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき』の中の『時間について ~WATER BLUE NEW WORLD/Aqours~ を参考に』(https://kakuyomu.jp/works/16816700426481165138/episodes/16816700426482303316)になります。哲学のレベルはとても低いので面白おかしく読んでいただければ幸いです。
 文字数が約2600字といつもの1000字前後よりも若干長めです。これを読んで哲学に少しでも興味がわいていただけたら幸いです。

 では、本文をどうぞ!

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 ラブライブを食わず嫌いしていました。

 しかし、この歌を聞いて、感動しました。

 中でも考察したいのが、この歌詞のなかにある
『この瞬間のことが 重ねっては消えてく』
 というひとフレーズです。

 時間を瞬間に分けて、すなわち時間を連続体として見るのではなく、微分して見ていくという考えにビビッときました。

 普通人間は時間を連続体のアナログなものとして捉えがちですが、実際は離散的なものではないかという考察です。

 数学で言えば微分です。物理で言っても古典物理学です。ニュートンですね。

 この世の時間が離散的なものだとしたら、どうして我々は連続したものであると捉えてしまうのでしょうか。確かに、極限まで、今、の感覚を短くしていけば、必ず離散的な状態になるはずです。時間に区切りをつけるというのは常識的にも思えます。

 ここで、大学にいたころは「○○という哲学者が△△と言っていたので、それを踏まえての私なりの考えでは……」といった論理展開ができるのですが、現在は実家にいるのでそれができません。だから、頭の中(記憶)だけで整理していかないといけません。

 問題となるのは、
 1、時間とは離散的なものなのになぜ連続的に捉えてしまうのか
 2、時間とは、個人個人が同じ感覚を持って流れているものなのか
 3、本当は時間など無いのではないのでしょうか
 4、実存的独我論について
 5、神による予定説の可能性

 5本立てですね。あ、書くのがめんどくさくなってきた。

 とりあえず片付けていきましょう。
 1、時間とは離散的なものなのになぜ連続的に捉えてしまうのか
 
 この問題は因果論と結びついていると考えられます。

 例えば、あなたが、ペンを持っています。
 それを、紙に書きました。

 では問題です。紙にインクが付いているのは何ででしょう。

 答えは簡単! あなたがインクを付けたからです……、と答えてしまいがちです。
 普通ならそうなので、そう考えた人は安心してください。

 時間を連続的に捉えるならば『あなたがペンを持ち、紙にインクを付けた』から紙にインクが付いているのです。

 しかし、時間を離散的に考えるならば、『ペンを持ったこと』と『紙にインクが付いていること』は全く別の事象が存在していることになります。

 つまり『紙にインクが付いている』のは『紙にインクが付いている』からであり、それ以外の答えは存在しないことになります。

 つまり、時間を離散的に捉えるならば、『この世の因果関係は存在しない』というにわかには信じがたい事実が浮かんできます。

 これを言ったのは、確か、イギリスの……、調べました。ヒュームですね。デイヴィット・ヒューム。

 この『この世の因果関係は人間の脳内で勝手に創られる、概念的なものにすぎない』という考え方は当時の哲学に衝撃を与えると共に、なんとかこの論題を突破しなければ、あらゆる学問の前提が崩れる、ということになりかねないのですね。ここで登場するのがカントだったりヘーゲルだったりします。

 個人的にカントやヘーゲルは嫌いなので深入りはしません。

 
 書くのがめんどくさくなってきたので一気に行きます。
 
 2、時間とは、個人個人が同じ感覚を持って流れているものなのか
 3、本当は時間など無いのではないのでしょうか
 4、実存的独我論について

 まず、実存的独我論について。この世界にあなた一人しか実は存在していない、という論です。

 つまり僕からすれば、僕自身。あなたからすれば、あなた自身。なぜこの独我論が成立するかと言うと、自分が死ぬと《《世界を認識できるもの》》が存在できなくなるので、自分が死んだ後の世界など、あってもなくても変わらないもの、つまり不確かなものに変貌してしまうのですね。

 この実存的独我論をもってすれば
 2、時間とは、個人個人が同じ感覚を持って流れているものなのか
 4、実存的独我論について

 この二つは突破できますね。問4って、もはや問になってないと、今さら気が付きました。

 3、本当は時間など無いのではないのでしょうか
 
 これにつきましては、古代ギリシアのアリストテレスさんに口寄せ願いましょう。『時間とは物体が動く、運動のことである』

 僕もこの意見に賛同しています。例えば、一日が24時間で、一時間が60分で、一分が60秒、などと言うのは人間が勝手に決めた尺度でしかなく、『時間なんてそもそもあるの? 太陽の動きに合わせて人間が勝手に創り出した概念にすぎないのではないのか?』という解答を導き出せます。

 もの(原子の運動)が動く、それだけだと思います。

 この原理を応用すれば過去にも未来にも行くことができます。というか、過去も未来もありません。ただ、ものの運動さえあればいいので、恐竜が見たかったら、恐竜の原子配列を調べ上げ創り上げ、その時代にあったであろうシダ植物の原子配列を組み立てれば、そこはもう7000万年前の白亜紀に相当するのが妥当であると思われます。

 最後。

 5、神による予定説の可能性

 これが証明されれば、時間などこの世に無いことがそのまま証明されることになります。何故なら運動していることが、判断していることが、すべて神の御心のままだったら、時間とは、運動するために創られた、箱、のようなものに過ぎないからです。

 統合失調症になり、全てが予定説のように感じてしまうから、この世は予定説だ! という論調ではどうもね……誰も相手にしないでしょう。

 しかしまあ、統合失調症になり、色々なタイミングで、自分が判断したことを先読みされたり、自分しか知らない秘密を、誰かが知っていたり、それを告げられたりした経験のある人は、予定説について賛成の人も、少しはいるのではないかと願っております……(最後を統合失調症でしめるのは、なんとなく歯がゆい気持ちがありますが、まあ仕方ないです……)

 では終わります。

 ps.野球日本代表、金メダルを取りましたね。おめでとうございます!

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