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【思い出】京大室町寮は京都の中でも随一に輝いて見えた。

 忘れないうちに書いておきたい。京都のことを。

 夜になって涼しくなってきた。木の枠でできた窓を開け、縁側に座って、うちわでパタパタあおぎながら、風鈴の音がした。時たま涼しい風が吹く。遠くで花火の音が聞こえた。また、聞こえた。木造でできたこの寮は、年月は経てど何も変わらないのが凄いところだ。本当に、この寮に入れてよかった。冷やしておいたラムネでも飲むか。

 
 全部妄想である。しかし、この寮の元ネタはある。京都大学室町寮だ。室町寮の異世界観には、初め見た時には度肝を抜かれた。

 「ここは京都だぞ。古風な建物などいくらでもある。なのになんで、この建物は他の建物よりいっそう古風に見えるのだ?」と。

 調べてみると、それが京都大学室町寮という建物らしかった。京大よりも同志社のほうが距離的に明らかに近いところに建っており、スーパーや古本市に出かけるときによく目の前を通って行っていた。

 孤独を楽しんでいたので、住みたいとは思わなかったが、一度は入って見たかった。あの古風な建物の中は一体どうなっていたのだろうか。

 西尾維新の戯言シリーズに出てくる“骨董アパート”は、京都大学室町寮が元ネタなんじゃないかというほど、京都の中でも異彩を放っていた。

 調べてみたら、京大の更に大学院生しか入寮することが許されていなかったらしかった。京都大学室町寮を見て思い出すのは、西尾維新の「戯言シリーズ」。森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」。まさに京都の学生を謳歌している、その結晶のように京都大学室町寮は輝いて見えた。

 京大に友人がいたので、京都大学熊野寮には入ったことがあるが、室町寮とは比較にならなかった。熊野寮には熊野寮の良さがあるが、室町寮には品格があるように感じた。静かで、住宅街に忽然と現れるあの室町寮は、一生に一度、入れたら一生の思い出になるだろうなと思いながら、目の前の通りを自転車で通り過ぎていっていた。

 まあ、K大の施設に三ヶ月間、強制的に住まわされた経験もあることはあるのだが。ここだけ伏字にして何か意味があるだろうか。

 思えば地獄だったが、異世界には行った。入院中の後半には、ケアマネージャーと一緒に鴨川でぺちゃぺちゃと水遊びをした。

 鴨川と言えば、二回ほど夜通し友人たちと語り合ったこともあった。同志社の哲学科の友人たちと、京大に行った高校時代の友人たちとだ。今思えば、何であのとき眠くならなかったのかわからなかったが、夜に語り合うのは大学生の特権なのかもしれなかった。

 同志社の中国からの留学生は、実家が出版社だった。「いつか私の小説がデビューしたら中国でも出版を頼むよ!」とか言っていた思い出がある。「もちろん! いいよ!」と言われ、何も否定してこなかったことに嬉しく思った。

 話は逸れたが、京都大学室町寮は本当に輝いて見えた。いつか、あの輝きも忘れてしまいそうだから、覚えている今のうちに書いておく。京都は最高だった。

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 すいません書くのを忘れていました。エッセイ・ノンフィクション週間ランキングで21位→19位になりました。応援いつもありがとうございます。

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