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今の社会構成は、精神障害者の行動を制限させることに賛成している。

 2023年1月7日(土)。10時01分。公務員試験本番の日。

 はい。こんにちは。井上和音です。

 はい。更新していいのかという話になりそうですが、時間があるので更新します。特に書く内容はないのですが。

 書けば書くほど、自分の情報を赤の他人に知られてしまうという点で、ブログという趣味は非常に危険というか。普通の人はしないだろうなと薄々感じていました。

 一昨年くらいに、一回カクヨムにブログを立ち上げて、結局は全部消してしまった。という経歴はあるのですが。その頃から続けていたらどうなっていたでしょうね。

 まだまだ社会を知らない甘ちゃんで──今もそうかもしれませんが──コンプライアンスの問題とかで、色々問題になっていたのかもしれませんし、それはこれから先もコンプライアンスの問題とかで色々問題になるのかもしれません。

 一回ブログを立ち上げて、消したという経歴を以って痛感したのは、何事にも本気で向かうということはいかに馬鹿馬鹿しいか──色々なことに神経を尖らせて、何もない、楽しくもなんともない人生を送ることが、いかに馬鹿馬鹿しいか。そんなことを思い付いたりしました。

 何をやろうとも変わらない。何を言おうとも変わらない。自分が主役になることなど人生において全くない。

 学生という、教えられて当たり前で、宿題やレポートなどを書いてもなんの報酬も出ないのが当たり前で。それでも授業に出席したりしなかったり。たいして忙しくなかったり、将来を見据えて何かをしたり。

 しかしながら、そんな学生生活というのは、実は親のお金が全てを管理していたと思うと、なんというか、申し訳なくなると同時に、お金を稼ぐのがこんなにも大変なんだという気持ち。というか、精神障害者の統合失調症かつ発達障害とかになると、子供をもうけて育てていくこと自体が、まず無理という、そちらのほうが常識となっていきます。

 障害年金には子の加算がありますが、その程度で生きていけるわけがないでしょうと思っています。

 大学に行くのが当たり前だと思っていました。旧帝大に行くのが普通だと思っていました。こういう思考に至るのは、全て高校が進学重視というか、進学以外に進路がいないというような高校だったので、簡単に言えば常識から外れた高校時代を送っていました。

 大学に行ったからなんだ。という話になるとは思ってもみませんでした。大学受験さえ頑張れば、就職だって上手くいくし。だから幼いころから勉強を頑張りなさい。いい高校に行きなさい。いい大学に行きなさい。それだけを言われてきた結果、辿り着いたのは現実を知らない、甘い大学生活を送っていた、特にとりえなど何もない人間。かつ、統合失調症という不幸と、発達障害という不幸を合わせ持った、生きているだけでももったいないかのような人間が生まれてきてしまいました。

 私の高校時代を振り返ってみても、何をしたかったのだろうか、と思うのですが、結局何もしたくはなかったのだろうな、というのが実状です。『親が勧めるから』『友達もやっているから』みたいな感じで、一日一日の行動を決めていたかのように感じます。そして、それらの行動の一つ一つに親が金銭的な補助であったり、部活の送迎だったり、何かしらの手助けをしてくれたおかげで、なんの苦労もなく高校時代を過ごしていたのだなあ、とか今なら感じます。

 今日、公務員試験なのですけれど、このテンションで大丈夫なのか不安ですね。

 結局自分に自信がない。統合失調症で自分の選択は全て間違っていた、と否定され続けるような毎日を過ごしており、現実として、間違った人生を歩んでしまい、結果として、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになるのですが、生きなければよかった。生きてこなければよかった。どこかで断絶してこの世とおさらばしていれば、こんな人生を歩むことは無かった。そういう真実しか頭に思い浮かびません。

 「今、死ぬのが怖い」「今、死ぬのが怖い」「今、死ぬのが怖い」を繰り返してきて、今の自分があります。今の自分でも、「今、死ぬのが怖い」という気持ちは変わっていません。しかし、「あの頃死んでおけば良かった」と思うであろう気持ちは、徐々に徐々に大きく膨らんでいくのだろうなと思っています。人生を歩んでいくうえで。更なる窮地に追い込まれていくうえで。

 未来は決まっていない。という人がいますが、逆を言えば過去は決まっていて、そこにスポットライトを当てると「あの頃死んでおけば良かった」と思う気持ちは大きくなっていきます。「ネガティブだな」「空でも見上げれば」とか言われそうですが、「生きていってなんになるん? 何か報酬でもくれるのですか。何かいい職にでも就くのですか。私の場合は公安警察になるための試験だと思い込んでいましたが、一向にオファーは来ません。一体なんの人生だったのですか。もう人生の1/3が過ぎ去りました。私はなんのために」という気持ちが、恐らくは一生続いていきます。

 居ても居なくても変わらない存在。

 実は居るのですね。高度化した現在においては。

 そういう人たちを障害年金で救うという社会保障はできたのですが、さて、その人たちに何か職を与えるというか、役割を与える社会制度はまだ出来ていません。

 就労移行支援事業所とか。作業所とか。実際は実社会の中で歯車としての役割は与えず、健康な人たちにとって、目に映らないところに、障害者を安置するために創られている。そんな風に思ってしまいます。

 義務教育の裏の面と似ていますね。

 子どもが昼間からぎゃーぎゃーと騒いだら、社会を円滑に進めるために邪魔で仕方が無いので、同じ年齢の子どもたちを、朝から夕まで学校の中に閉じ込める。実は義務教育は監獄の役割も果たしていると聞いたことがあります。

 自分がなんで統合失調症になってしまったのか。恐らく一生、というか一生がどれだけあるか分かりませんが、一生分かることはないでしょう。

 しかし、監獄の中に入れられて。薬という名の手錠をはめられて。通院という経過観察を一生することを義務付けられて。そういう人間になってしまいました。

 本当にこれから公務員試験に行くのか、というくらい低いテンションの話になりましたが、現実を見たら、精神障害者って哀れだな。特に、親がお金持ちとかそういうわけではなんでもない精神障害者って、恐らくそこで代が途切れるというか。救いがないというか、《《障害者だから普通に生きなくていいよね。》》みたいな空気が、いまだに日本のなかには流れているような、そんな気がします。(2023年5月22日(月)現在。申し訳ございません。)

 公務員試験頑張ってきます。

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