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【論考】山上容疑者は「大学に行きたい」とだけ願っていた。

 2023年1月15日(日)。15時25分。共通テスト二日目。受験生の皆さんはお疲れさまでした。

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 タイトルから書いています。話が逸れていったら申し訳ありません。

 何かを主張したいわけでもなんでもありません。また、社会評論家でも政治評論家でもなんでもないことをここに記しておきます。何かを擁護したいわけでもなんでもありません。
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 はい。こんにちは。井上和音です。

 こんなタイトルを共通テストの終了日に出すのもどうかと思いますが。

 山上容疑者って誰? って人は、あの人です。奈良県で演説中の安倍元首相を手製の銃で殺害した人です。事件を起こした当時は41歳の無職の男性です。

 この前、NHKnews7で、山上容疑者が精神鑑定を終え、正式に殺人罪で起訴されることが決定したとニュースの報道でありました。

 そのときに、山上容疑者が妹に述べている思いがただ一言だけニュースの中で報道されました。

 山上容疑者はただ「大学へ行きたい」とだけ願っていました。

 「大学へ行きたい」。今日、共通テストを受けた人の大半は大学へ行くか、もしくは浪人生活を送るか。もしくは。就職活動に舵を切るか。そんな人が大半だと思われます。

 しかし、山上容疑者は旧統一教会の献金により家庭が崩壊し、大学へ行くためのチャンスすら掴むことなく、41歳になり犯行に及びました。

 今、少し経歴を調べましたが、高校も進学校に通うも、高卒での公務員試験を目指して専門学校へ通うようになったそうです。

 大学へ行く進路は全く無かったようです。年齢からすると高校時代は共通一次テストの頃ですかね。専門学校へ行ったということは恐らく共通一次テストも受けてはいないでしょう。

 海上自衛隊に入ったり。測量会社のアルバイトを転々としながら、事件の2ヶ月前くらいに退職し、2ヶ月後に事件を起こします。

 山上容疑者を責めるのは当たり前のことであり、重罪が課されることは間違いないだろうかと思われますが、NHKnews7に出てきた解説者は、こうも言っていました。

 「この事件は未然に防止することは出来なかったか?」

 安倍元首相と旧統一教会との繋がりは、もはや大事件が起きた後では明白になっており、旧統一教会の式典にはビデオメッセージを送っていることも、もう既に多くの方が知っての通りだと思われます。

 事件が起こる因果関係としてはいくつかあります。

 山上容疑者の家庭が旧統一教会の献金により崩壊を迎えた→山上容疑者が旧統一教会により人生が破壊された→恨みだけが人生に残った。

  →安倍元首相が旧統一教会の式典にビデオメッセージを送っていた→それを見た山上容疑者が安倍元首相に一方的な恨みを持つことになった。

  →手製の銃を創り犯行に及んだ。

 となりますが、山上容疑者には人生においてチャンスが巡ってくることも無く。最終的には無敵の人として人生を、終わっていませんが、ほぼ全ての人から『記憶に残る重罪人』という看板を背負うことになり、彼の人生は止まったという言い方がいいのかもしれませんが。止まりました。

 裁判員裁判で審理が行われるそうです。審理という言葉が適切かどうかは分かりません。法律にはあまり詳しくはありません。

 しかしです。考えてみれば因果関係の矢印で示した通り、全てに論理が通っていて、筋が通っていて、共通テストが終わった今日に言うこともなんですが、大学へ行くという、進学校の高校ではほとんどの人が辿るであろう道すら通ることができなかったくらいに家庭が崩壊していて。

 ことの発端は家庭が崩壊してしまったことであり、そこで高額な献金をしてしまった親に責任はあるとも取れます。しかし、その責任の追及が難しいことから、高額献金を止めるための新しい法律まで施行されました。

 何度も言いますが。法律には全く詳しくないので、法律用語の間違いなどはスルーしてください。

 問題は、山上容疑者が犯行に至るまでの経緯で、その根底にある因果の初めは「高額献金をしてしまう親の元に生まれてきてしまったこと」という、本人ではどうしようもない事象が、犯行の動機、並びに、犯行に及ぶまでの因果関係の始まりなのです。

 大学に行って奨学金を借りたけれど、就職しても稼ぎが少ないためにお金が返せない。といった問題とは、もう根底から不幸のレベルが違います。別に奨学金の問題を上げる必要性は無かったのかもしれませんが。

 大学へ行くチャンスすら無かったのです。

 今日、共通テストを受け終わった人とは、もうその時点で山上容疑者よりも幸福な人生。並びに幸福な親の元に生まれてきたと言ってもいいのかもしれません。山上容疑者は進学校に行くほど、もしくは手製の銃を自作できるレベルで頭は良かったはずなのに。裁判では本人に責任の追及がなされますが、果たして政治的な責任などはこれから先も徹底されていくのか。果たして疑問に思います。

 今は2023年ですが、山上容疑者の公判が終わり罪が確定した後の数年後の未来に、旧統一教会という言葉を覚えている人はどれくらいいるのでしょうか。

 政治家にとって、ボランティアで自身に協力してくれる宗教団体は選挙の際には重要なパートナーとなるのは必至で、これから先も宗教団体とは関係を持ち続けるのであろうと思われます。政治家と宗教の絡みの問題の際に「旧統一教会」のみをターゲットにして責任を追及していったのは、他の宗教団体もクローズアップされると、政治活動やその中の選挙活動において不都合が生じるからですね。宗教団体との基盤があるからこそ、安定して選挙で勝つことが出来ると政治家だけでなく、誰であれそうであると考えるのは自然なことなのではないのでしょうか。

 宗教と政治と。政治家の元に集まるボランティアの中には、宗教との協力があるからという方も大勢いるでしょう。その宗教の存在の根底にあるのは、日本のなかの目に見えない、高額献金で家庭が崩壊した数ある家族の悲惨な姿の上に出来ています。

 山上容疑者の唯一の願い「大学へ行きたい」。山上容疑者は現在42歳ですが、その歳になってもまだ「普通に学びたかった。自分の学びたい分野の高等な授業を受けたかった」。その素朴な願いしか無いというのが、なんというか。社会で予防することは出来なかったのか。本当の弱者はどこなのか。おいしい蜜を吸っているのは誰で、どの団体のか。責任や、悪とは一体なんなのか。

 恐らく忘れ去られるであろう、山上容疑者の素朴な願いをここに記しておいて、私は忘れないようにしたいと思います。

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