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【考察】自惚れとナルシストの違い

 2023年5月13日(土)。21時30分。

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 今日のロアッソ熊本のコーナー。

 J2第15節。AWAY。vs.大分トリニータ。1-1。△。ドロー。J2第15節が終わってのロアッソ熊本の順位、11位。

 NHK熊本で生放送がありました。私も生で観ていて、石川選手のシュートはとても上手でした。後半の途中でトカラ列島で地震が起きてしまい、緊急地震速報が流れて観ることが出来なくなりましたが、前半だけ観ていても、ものすごくアグレッシブなサッカーをしていて、観ていて楽しかったです。

 大木監督は素晴らしい監督だと思いました。
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 こんにちは。井上和音です。

 突然ですが、自分の顔に自信が無くなってきました。

 全国で自転車に乗る際はヘルメットを着用することが法律で努力義務化されました。その煽りを受けて、私も自転車に乗る際はヘルメットをかぶるようにしているのですが、最近、ヘルメットをかぶるときに前髪をオールバックのように巻き込みながらかぶるようにしました。

 髪の毛の頂点が逆立つようになり、俗に言うパイナップルヘアーようになっています。また、前髪を上げることによって、今まで自分は「前髪は垂らすものだ」という定義で生きてきたのですが、前髪を上げて、まるでスネオヘアーのようになってきました。

 しかしながら、スネオヘアーで良いところは、前髪を垂らしていない分、前髪が長くなってきても目に刺さってくることも無くなりました。考えようによってはいつでも同じパフォーマンスを維持できるようになり、良いこと尽くめのようにも感じますが、前髪を垂らさなくなったことにより、自分は全くイケメンでもなんでもないということに気が付いてしまいました。

 微妙に。微妙に、例えばいつの日かの薬局で「格好良いし、優しいし」とか陰で言われたかのようなことが起こりましたが、本当に今はもう格好良くもありません。もう見た目がどうでもよくなってきました。顔は見せないほうが良いというのが正解です。前髪を上げることにより、最近の前髪の生え際が薄くなっていることの悩みもだいぶ解消されたかのように思われます。すなわち、もう、前髪を上げること以外の選択肢が無くなってきたことを意味します。自分にしか分からない変化なのですが、人前に出るのが怖くなってきました。

 いつぞやのツイッターで自分の証明写真を上げたことがありましたが、消そうと思いました。消そうと思って、ツイッターのメディア欄をスクロールして、発見して消そうかと思いましたが。が。意外と格好良かったです。こいつは本当に自分なのかと驚きました。別にヘアワックスも何も着けていなかったと記憶していますが、前髪を垂らして前髪を分けて証明写真を撮ったところ意外とイケメンでした。今の自分とはまるで別人なのでそのまま残しておこうかと思いました。

 なんか表舞台に立つことがあったらどうしようか。顔を見せるのだろうかとか思ってしまっていましたが、最近は見た目よりも機能性を重視しているために、何かの表舞台で顔を出すことも無いと断言したいと思います。

 自撮りとかも本当に撮っていません。

 ただ、職場の友人にパイナップルヘアーの自分の髪型はどれくらい変なのかを聞いてみたところ、特に変ではないと真顔で言われてしまいました。

 いつまで髪の話をしているんだと思われるかもしれませんが。

 ただ、見た目がどうでもいいと思ってきているこの心持ちは、統合失調症が発症した当時の自分の考え方に似てきているかのようにも思われます。別に当時の自分が見た目を特に気にしていなかったかと言われれば嘘のように思われますが、当時の自分は「空気を読まずに話術で就職活動などは乗り切ろう」と思っていました。恥の観念が薄かったと思われます。なぜか、男女問わず統合失調症患者に共通している観念が、恥の観念が薄いということが数人と私自身のサンプルで分かってきていることですが、とりあえず恥の観念が薄かったです。

 つい最近までも薄かったかと思われます。優先席とか座っていましたし。この場合は、セパゾン錠を断薬したことにより疲労感がだいぶ和らいだことにより、夕方の電車の中でも倒れることなく立っていられるなと自己診断して優先席に座らなくなっただけではありますが。

 孤独だと恥の観念って薄くなりますよね。誰にも格好付ける必要性もありませんし。「つい最近まで」と書いてしまいましたが、今も前髪を上げて恥の観念が薄くなってきているという論理ではなかったのでしょうか。あれれ。

 「こんにちは。年賀いやがらせです。井上さんは何も有名になることはないと思われるので何も恐れる必要はないと思われます。法律をきちんと守っていけば何も恐れる必要はないと思います。ただ風に流されるように生きていけばいいです」

 見た目の話ばかりしてきましたが、今日は「自惚うぬぼれ」という言葉を覚えました。自惚れという言葉は誰でも知っているかのように思われながら、実は知らないというか、自分の場合は意識して自惚れという言葉をきちんと定義付けして使うことはありませんでした。自惚れとナルシシズムはだいぶ違うような気がしました。

 ちなみに、自惚れという言葉は、子供向けの図鑑、「きせつのずかん」を観ていたら突然出て来ました。やっぱり言葉の勉強をするなら子供向けの図鑑をぼーっと眺めるのが一番良いですよ。語彙力を高めるには皆さん子供向けの図鑑を読みましょう。

 ナルシシズムは「自分の顔を見て、自分のことを格好良い」と思うことで、これは別に悪いことではないような気がします。むしろナルシシズムは持っていたほうがいいです。中学生時代に「ナルシスト」という言葉が流行ってしまい、めちゃくちゃイケメンの同級生がいじめのような対象になってしまうというしょうもないことが起こっていましたが、別にいじめる側も「ナルシスト」の素養は持っていたと思われます。

 全くナルシシズムが無いと、自分の見た目に一切気を使わない人間が出来てしまうわけで、それは多少は見た目を気にして、自分の髪型なり、服装なりをその場に合わせることもせずに過ごしてしまうとなると、それはだいぶ人間として問題が出てくるのではないかと思います。ナルシシズムは別に持っていても構いません。ナルシストで良いと思います。

 対して、自惚れは。自惚れはナルシシズムと違って、自分が自分に酔っていることに気が付いていない状態だと文字を見て思いました。当人には自分が自分を好きだという自覚が微塵も感じられない状態が自惚れかと思います。ツイッターの有名人とかでよく見ます。何かと思うと、自分を格好良く見せようと、当人に自覚なく行動をしようかと見えてしまいます。何かと思うと、自分は守られて当然だと、自分の保守主義に回ろうとします。何かと思うと、自分の考えが全ての人に肯定されて当たり前だと考えて行動してしまいます。そういう人達が「何かが気持ち悪いように感じてしまう」とか思ってしまうことが多かったのですが、自惚れという言葉に出会いました。

 今までは「自分の考えが他人にも肯定されるのが当たり前と思っている人」ととても長い文章でそういう人を定義していましたが、ただ一文字の「自惚れ」という言葉で表せると痛感しました。日本語ってよくよく読まないとちゃんと使えない言葉が多くて、やっぱり言葉の勉強って面白いなと思います。勉強という言葉は違うかもしれません。ただの遊びで、ただの趣味と言ったほうが良さそうです。勉強という言葉も私は嫌いなのです。強いてつとめるなんて、苦行でしかないでしょう。自分の自由な時間に強いて勉めることなんてしていません。ただの趣味でぱらぱら図鑑をめくっているだけです。

 どうでもいい報告になるかもしれませんが、note のほうにはもう、休日だろうと平日だろうと1日1記事で良いのではないかと思うようになりました。なんかもっと自由に生きてみたいとか思うようになりました。PV数ももう150,000PVを超えたし、もう伸び率も下がってもいいやとか急に思うようになりました。

 ついでにツイッターとかも、面白いと思った記事はリツイートするようになりました。今までいいねとかも我慢していたのですが、もう付けてもいいやと思うようになりました。最近、心を殺すことに傾倒していたのですが、心をあまりにも殺し過ぎると、新しいことへの発見や美しいと思うことへの好奇心などが格段に落ちてきてしまうと感じました。今日、美しいと思ったことは、呪術廻戦という漫画の眼の描き方が非常に美しいと感じました。呪術廻戦に全く触れたことも無かったのですが、一気に読んでみたいと思いました。多分、こうやって自分の心の底から美しいと思えるものって、例えば漫画とかでは、その漫画全体が美しいと思うからその漫画に触れてみたいと思うのではなくて、その漫画のパロディとかで、一部が切り取られて、そこだけが切り取られて美しいと感じ、その他の場面も見てみたいと感じるのが、自分の今までの好奇心のありようだったかのように思います。

 化物語とかもYouTubeに上がっていたにんじゃりばんばんのMADを観て、綺麗だなと思いましたし。そこからアニメを観て、化物語を頑張って全部観た後にようやく西尾維新先生にまで辿り着くことが出来ましたし。最初に好奇心が動くきっかけって、だいたいが見せ場のパロディから起きてくるのかなと思いました。

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