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日々一切過ぎゆく

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希望を抱いたり、絶望したり、はたまた気づけば終わる日もあったりしますが、そんな日々で感じたことを書いています。
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#子ども

話すことと、つながることと。

あっちを見ると閉ざされたシャッター。こっちを見ると「20時閉店」の文字。 もう頭痛が痛い。頭痛が痛すぎる。脅威の感染力を持つ侵略者は、僕が心底愛していた空間を容赦なく奪っていった。 侵略者の爆誕から1年以上がたったけど、だれもいないまま1日が終わる路面店が目立つ。これじゃあ「そして誰もいなくなった」じゃないか。みんなどこに行ってしまったんだ。 今朝ギリギリ会社に間に合ったこと、それなのにICOCAをなくしたこと、そんなくだらないけれども愛すべき日常を話させくれよ。最近娘

あの日、あの時、あの場所に、僕はいた。 今、この時、ここに、僕はいる。

2週間ぐらい前、僕はカメラを手に家の近くを散歩していた。 特に何かを撮りたかったわけでも、紅葉が綺麗なスポットがあるわけでもない。 ただただなんとなく、散歩したくなった。 目的もゴールもない。なんとなく写真を撮って、見える景色を眺めて、また歩く。 今の家に住み始めたのは僕が1歳半の頃。だから僕には前の家の記憶は断片的にしかない。今住んでいる場所の周りが僕の思い出のほとんどをしめる。 小学生の頃サッカーの試合で使った球場のそばを通る。週末になるとおじさんたちが毎週末草野

「ピカピカのなにか」に大人になっても触れたいんだ

「〇〇くん、いますか?遊ぶ約束してたんですけど」 インターホンに話しかけている声だ。何人かで誘いに来て、どんな遊びをするか相談してるのも聞こえる。 まだまだ秋になりきらない気候だけど、子どもたちには関係ないらしい。 休日、家の周りではさかんに子どもたちの声が聞こえる。楽しそうに遊んでる声が響き渡る。なんだか楽しそうな声を聞いているとこっちまでどんなことをしてるのかが気になる。 無邪気に、遊ぶことや友達のことで頭がいっぱいな子どもたちを見て、そこから溢れでる空気の振動も心

いつか子どもと関わるあなたへ

さまざまな子どもたちに行う学習支援に関わり始めて、気づけばもう9年目に入ろうとしている。 「ひとりひとりの子どもたちに僕は本当に向き合えたのだろうか。これからも向き合っていけるのだろうか。」 そんなことを考えながら、必死にその時の自分にできることはしてきたつもりだ。 そんな僕が子どもたちと関わって、話したり、一緒に勉強をしたりする中で大切にしていることがある。 子どもたちの「これまで」を知る 僕はいつも「子どもたち」という表記を使っている。仕事の上で、たくさんの子ども

知ったつもりだった「子どもを育てる」ということ

つい先日、何年ぶりかわからないぐらいに知人たちと花火をした。 ひさしぶりに夏っぽいことをしたなーとも思うが、そんなことを書きたいわけではない。 僕ももう28歳なので、周囲の知人はまあまあの割合で結婚していたり、子どもができていたりする。 僕はその波に乗り遅れているわけだが、まあその話は一旦おいておく。 そんな僕が珍しく季節にあったことをしていて、感じたことがいくつかあった。 子どもって最高にかわいい 現在2歳の知人の子どもと一緒に花火をした。 とにかくかわいい!もうか