見出し画像

とある「なにもしない」の大天才

今日も四足歩行でたったったと歩く彼女は日々変わりゆく天気の変化を教えてくれる。

毛布や布団の上で寝るのをやめた。床でへそ天して転がる。とにもかくにもお腹を天に向ける。めちゃくちゃ伸びて床に落ちてる。

暑さに加えて、湿気が空気中に存在していると不快感を感じるのは人間と同じらしい。人間はその気になれば、全裸になって涼むことができる(場所は選びましょう)。

生まれた時から毛皮を持つ生き物なりに、ありとあらゆる工夫をして不快な気候と折り合いをつけているんだろう。

******


全身に毛を纏った彼女には全裸などという概念すらなく、ただ日本のすごしにくい夏をやりすごしていくのみなのだ。外を行き交う人を見ながら、空を飛ぶ鳥に話しかけながら、日々をやり過ごしていく。

むしろ遺伝子レベルで刻み込まれた怠惰さに呆れた日々の方が彼女を無視して、足早に通り過ぎていってるのかもしれない。

毎日毎日飽きもせずに床に転がって、夢見心地で気持ち良さげな顔されると時間のほうが匙を投げて流れていってくれるのだろう。

春夏秋冬と折り合いをつけながら過ごしているうちに、毛皮の同居人の時間はどんどん過ぎていく。

******

僕ら人間は気づけばなにかをすることばかり考えている。「動く生き物」で「動物」と書くのだから「そりゃそうだろ」という声が聞こえてくる気もする。

労働し、賃金をもらい、納税する。社会システムに則った正しい社会人のあり方だ。「お前が生まれてきた意味は納税だよ」とタイムマシーン3号が漫才で言ってた。おおよそは間違ってはないかもしれない。


社会システムの思い描く、理想の社会人をやってると、まあまあ働くことになる。あるいは欲求を満たすために消費行動をすることになる。

働くも消費も、行為であり、行動だ。「なにかをする」ということを四六時中やってるのが「動物」なのか。なんていうように少し合点がいく。

******

「なにもしない」が難しい。労働、家事、旅行、レジャー、買い物、漫画、アニメ、映画。

義務的にやってることももちろんある。けれど、ありとあらゆるコンテンツや機会が目の前に並べられると僕らはぜいぜい数十年の人生では消化しきれないのに少しでも多くを享受したいと思ってしまう。そして、働き、購買する。結局は「なにかをする」ことになる。もはや行動の奴隷だ。

でも、今一度床の上で瞼を閉じている同居人に聞いてみたい。すると、きれいな毛皮のドレスを着こなした彼女は教えてくれる。

「なにもしないからなにかできるのよ。人間はそれをわかってない。」


おっしゃる通りだ。「なにもしない」が僕らには必要だ。行動と休息は表裏一体。動いたら止まる。食べたら休む。眠い時は寝る。人間だって猫と同じ動物なのだ。「なにもしない」の大天才から学ぶべきことは多い。

たまには人間も「なにもしない」をしようよ。

この記事が参加している募集

我が家のペット自慢

ペットとの暮らし

いただいたサポートは我が家の愛猫のおやつにして英気をやしないます!