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「生きる意味」をあえて考えないという選択肢

あまり人に自慢できない得意技というか趣味というか、そういうものがある。「盗み聞き」だ。

カフェでも、居酒屋でも、ひとりのときは無意識に聞き耳を立てている。聞いたことはだいたい覚えている。

変態と言われても否定のしようがない。もう習慣だから耳栓するぐらいじゃないと止められない。だれか僕に耳栓をしてくれ。

ふと気になった「生きる意味」という言葉


スタバで仕事をしていると隣に2人の大学生が座った。始まりはこの会話からだった。(僕が先に帰るまで基本的に全部聞いてた)

「やっぱり大学って行っても意味ないなーって思ったんですよね。生きる意味考える方がいいと思うんですよ。」

28歳のおじさんは知ってる。生きる意味を考えたがる大学生は基本的に意識が高いことを。

意識が高い大学生は、「ハーバード」と「イノベーション」が大好きだ。そういう生き物だし、そういう時期は遅かれ早かれみんなある。わかる。わかるよ。おじさんにもあったよそういう時期。だから生温かい目で優しく見守ることにしている。

話が逸れた。

「大学生はいつの時代も生きる意味も考えたがるんだな」なんて思いながら、少し引っかかった。

みんなを惑わす「生きる意味」という呪い


大学生の生きる意味の話を聞いて僕は松山千春を思い出した。

「どうして生きてるの?」 君は僕に尋ねたけど 答えを急ぐことはない やがてわかるから
                     松山千春 『君を忘れない』

小学校の音楽の教科書に載ってた。『君を忘れない』という曲だ。

「どうして生きているの?」と問うなんてなかなかすごい小学生だ。輝きを放っていた頃のえなりかずきのようだ。話が逸れた。

これって大学生だけじゃなくて社会に出ても、みんなが惑わされている気がする。

「生きる意味を考えなければいけない」
「生きる意味ってなんなんだ」

社会の変化にともなってキャリア設計が多様になる昨今、こんな風に悩んでいる人は多いのではないだろうか。もはや呪いのようになってしまっている。

生きる意味に答えは出せるのか

「答えを急ぐことはない やがてわかるから」

さっきも登場した『君を忘れない』では「答えを急ぐことはない やがてわかるから」となっている。

「やがてわかるから」ってなってるけど、そもそも生きる意味に答え出せるのか?

こちらが僕の見解。このツイートはふざけて言ってるからきちんと説明すると、、、

「生きる意味に解を出そうとしても、刻一刻と変化する人生において解は変わり続けるし、それじゃ徒労でしかないんじゃないか?」

これが僕の言いたいことだ。

「生きる意味」をあえて考えない

「生きる意味は、あなたが幸せになることだ」

こういう文言をSNSで頻繁に見る。個人がどう思うかはご自由にしてくださいって感じだけど、これが無言の圧力になってる人もいるように思う。

「自分が生きる意味ってなんだ?」って惑わされる人がたくさんいる。
「生きる意味」は人それぞれなのに、「生きる意味を考えない」という選択肢はなぜだかこの世の中には提示されていない。

「生きる意味をあえて考えない」という選択肢があってもいいんじゃないか。考えてて、つらくなるぐらいなら「生きる意味」なんて無理に考えなくてもいいんじゃないか。

『人間失格』から学んだこと


太宰治の『人間失格』を時々読み返す。僕は『人間失格』を読んでいつも思うことがある。

人間は生きる意味に解を出して、生きられるほど高尚な生き物ではない。
むしろ自己矛盾を抱え、それに苦悩しながら生きていくの人間という生き物ではないだろうか?

そういうものだと受け入れてしまって、生きる意味を見いだすことに躍起にならなくてもいいんじゃないだろうか。

明日が来るのかもわからない。1時間後が無事に訪れるのかもわからない。

そんな不確かな時間で生きる意味を考え続けるより、自己矛盾を受け入れ、生きる意味の解が刻一刻と揺らぐことを楽しめばいいんじゃないだろうか。

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