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「あなたの文章を読みたい」と言ってもらえるいつかその日まで

伸びないnoteを見ながら考えたこと


書いて、書いて、書きまくっている。それが僕の日常になりつつある。

そんな書きまくった中の一つに「未来を素敵にする元気玉をつくるために、みんなができる4つのこと」というnoteがある。

「子どもたちに最高の学びを届けるには、みんなの力が必要だから力を貸してほしい。寄付以外にもすぐにできることがある。」ということを伝えるつもりで書いた。

僕の思いは書き切ったつもりだった。
でも、「書き切った」という思いの一方でスキもビューも伸びない。

それがどうしてなのかわからなくて、悟空のサムネイルを見つめながらずっと考えていた。

書き切ったはずなのに消えない違和感


書き切ったはずだった。頭を抱えつつ、何度も何度も文章を修正し、表現を変えながら明け方までかけて書いたのだから。

「めちゃくちゃ頑張って書いたぞ!!!!!!!!!」

そうだ。時間もかけたし、僕は頑張った。
「子どもとみんなの未来を素敵にする超特大の元気玉」をつくるために書き切った。でも、達成感とは裏腹にずっと違和感が消えない。

違和感は「お願い」とその「詰め込みすぎ」


「子どもたちに最高の学びを届けるために、たくさんの人が関わって未来を素敵にしていくんだ!」

そんな思いをめちゃくちゃ込めた。
そして、すぐにできそうなことを「未来を素敵にする4つのこと」と題して書き綴った。

■ 未来をすてきにする4つのこと
【1】井上のSNSアカウントをフォローする
【2】クレイシュのSNSアカウントをフォローする
【3】SNSアカウントの投稿にレスポンスする
【4】noteの感想を送る(これ超大事!)
( https://note.com/inoueyasutaka/n/n9b30f4d88247 から抜粋)

みんなに一番お願いしたいのは本当は【4】だった。

僕はここでようやくおかしさに気づいた。

そもそも、「お願い」なんてだれも読みたくない。それなのに「あれもこれも」と詰め込んでしまった。

僕のお願いをたくさん詰め込んだ文章はいつしか元気玉をつくるどころか、読むに耐えない文章になっていた。

ありったけの夢をかきあつめるのはいい。でも、詰め込みすぎるとゴールデンメリー号もグランドラインの前で沈んでしまうのだ。

「あなたの文章を読みたい」と思われることが価値


「寄付以外であなたにもできること」をテーマにしていたはずだった。

それなのに「NPOは大変だからこれを手伝って!」という甘えのようなものが滲み出てしまったのだろう。

たしかにNPOは資金調達が難しく事業の拡大が難しい。さらには報われないことも多い。

でも、そんなことは読み手や見てる側には関係ない。

「だれが言うか」という部分はもちろん重要だけど、「なにを、どう言うか」かこそがコンテンツの価値そのもののはずだ。

当たり前のことだけど、コンテンツとしての価値が高ければ読まれるし、ファンは増える。

「NPOは大変だから、このnoteをみんな読んで!」
「頑張って更新してるから、noteをフォローして!」

これじゃダメだ。

「このnote、奥底の思考や感情が書かれていておもしろい」
「このnote、難しいこともわかりやすくてためになる」

「NPOだから」「お金がないから」という枕詞なんていらない。

「難しいことに興味はなかったけど、あなたの文章なら早く読みたい」

そう思ってもらえる文章を書くんだ。何千文字も何万文字も書いて振り返るんだ。

だれかの心に水のように染み込む文章を、空気のようにそこにあることに違和感のない文章を、僕がいつか書けるようになるために。

僕は今日も言葉と文章をしたためる。



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