僕らしくあるために業を背負う
心に刺さって抜けなくってしまったトゲのようなものがある。だれにでもあるものなのだろうか。
悪意なくだれかを気づけたこともあれば、意図的にだれかを気づけたこともあるだろう。
だれかに向けていたはずなのにいつしかそのトゲは僕の心に刺さって抜けなくなってしまった。
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子どもたちのためという大義名分を掲げて、たくさんの仲間を傷つけた。自分の不出来に甘えて、たくさんの人たちに迷惑をかけた。
「あのときは仕方なかったんだ」
そうやって自分に心に折り合いをつけることは簡単だ。言い訳とこれを呼ぶ人もいるのかもしれないけど、自分を守るためには必要な術だと思う。
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昨年度、子どもたちの放課後を支える学童保育の事業を委託運営していた。大きな理想を掲げたものの思い通りにいかない歯がゆい日々だった。そうして不安を感じる子どもたちや保護者の方、疲弊していくスタッフたち。
「すべての責任は自分にある」
法人をつくった時から腹をくくっていたはずなのに、いつしか言い訳することしかできなくなっていた。
紆余曲折を経て、委託契約を自主的に解除することに決めた。
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「子どもたちに申し訳ない」
「一緒に働いてくれたスタッフに申し訳ない」
「迷惑をかけた人たち、傷つけた人たちに申し訳ない」
抜けなくなった無数のトゲは罪悪感なのだろう。昨年度、あまりにも僕は無力だった。
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「このトゲはそのままにしておこう」
最近になってそう思うようになった。無数のトゲはそのままにしておこう。無力ゆえに、甘さゆえに、たくさんの人たちを傷つけたことは僕が背負うべき業だ。
挑戦し続ければ業を背負うことばかりだ。それでも業を背負おっていこう。
「あの時は仕方なかったんだ」
そんな風に唱えることもあるだろうけどこの業をずっと背負っていこう。きっといびつな轍が僕の後ろにはできあがるんだろう。
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「生きる」のが上手ではない。下手くそすぎて自分でも目を逸らしたくなる。
でも、こんな生き方しかできないから僕は僕なんだ。だから心に刺さったままの罪悪感というトゲはこのままにしておこう。
いっそのことこのトゲをきれいに抜いてしてしまえたら楽なのかもしれない。もっと上手に生きられるかもしれない。
そんなことはわかっているのに僕にはそれができない。それをしたくないのかもしれない。
自分に嘘をつかない自分であるために。
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