あいちトリエンナーレが示すアートの可能性、および数値化への抵抗

はじめに
 10月11日、あいちトリエンナーレに行ってきた。
 表現の不自由展が目当てだったが、ニュースにもなっているように抽選制で、しかも全く当たる気配がなかったので、名古屋に向かう新幹線の中ですでに不自由展以外の展示を楽しもうと心に決めていた。
 日帰りで時間も限られており、結局鑑賞できたのは愛知芸術文化センターの10階、喜楽亭、そして円頓寺商店街の3会場だけだった。しかしこれだけでも私は今年一番の興奮を覚えたのだった。
 強く感じたのは、世の中ではあいトリといえば表現の不自由展の話ばかりになっているが、他の展示もかなり意欲的だし知的興奮を喚起する素晴らしいものだったということだ。だから現地に行かずに表現の不自由展についてあーだこーだ言っている人たちは、今やっていることをすべて投げ出して現地へ行ったほうがいい。間違いなく日々の生活では得られない感情を持って帰ってくることができるはずだ。

 あいトリについては真っ先に芸術監督の津田大介が批判の的になったが、ここで名前を出すのは本人の望まないことかもしれないが、アドバイザーをしていた東浩紀もかなり批判に晒されていたのをTwitterでよく目にした。
 辞任の仕方含めて彼の対応が正解だったのか私にはわからないし、そもそも正解なんてないのだろう。ただ今回あいトリの展示を鑑賞していると、事前にたまたま読んでいた東のゲンロン10における論考「悪の愚かさについて、あるいは収容所と団地の問題」が何度も頭の中で参照された。加害と被害、数と意味、記憶と慰霊といった東の問題意識は、現代芸術においても重要なテーマとして扱われているのではないだろうか。
 以下では、私が今回のあいトリで特に印象に残った3つの展示の感想を、東の論考を補助線として念頭に置きながら書き連ねていきたい。
 あらかじめ断っておくと、一度しか鑑賞していないため極めて心許ない記憶に基づいて書いており、実際の内容と微妙に違う点があるかもしれない。その点ご容赦いただきたい。

Translation Zone
 愛知芸術文化センターの10階で展示されている永田康祐の展示は、食と言語を舌の上で生まれる文化として同列に扱う点でとても興味深いものだった。20分ほどの映像はローストしないローストビーフ、炒飯と呼ばれるナシゴレン、米粉麺をうどんで代用したパッタイがそれぞれ作られる3つのブロックに分かれ、それぞれで食と言語の文化的混淆に関する社会学的なナレーションが流れる。
 この展示で面白かったのは、レシピの数値化と改変という視点である。クックパッドではある料理の食材を別の食材で置き換えたレシピが投稿されることが多い。また、どこかの手順を省略したり調理法を変えたものもある。こうしたレシピの改変は、理念的なものによって行われるのではなく、永田が「所帯じみた理由」と呼ぶ、例えば現地の食材が手に入らないとか、高価だからという、言ってしまえばしょうもない事情によって要請されるものである。
 永田はこのことが生み出す文化的混淆へと話を進めるが、個人的にはレシピの改変を下支えする論理的背景に興味を持った。
 永田は1つ目のブロックの中で、レヴィ=ストロースの『料理の三角形』というエッセイを引用しながらレシピの普遍化について述べている。レヴィ=ストロースはあらゆる民族の料理を「焼いたもの」「煮たもの」「燻製にしたもの」という3つの調理法に還元して捉えることを試みた。こうした思考は人類学に限らず現代の料理にも見て取ることができると永田は指摘する。現代では分子調理という分野が注目されており、そこではハイテクな機械を用いて伝統的なレシピを科学的に最適化することが試みられているという。こうした調理法によってレシピが持つ文化的な文脈は取り除かれ「料理はシミュレート可能なものとなる」。
 このレシピの普遍化、数値化の試みは、ある料理が持つ歴史を奪い去る点で暴力的でもある。クックパッドに置き換えレシピや代用レシピを載せる主婦たちの態度の背景には、たとえ「所帯じみた理由」に基づいた行為だとしても、現代料理におけるレシピの数値化という科学的なまなざしが無意識的に存在しているのではないだろうか。パッタイの麺をうどんに置き換える時、パッタイという料理が生まれた歴史的文脈をないものにしてしまうのである。そしてそれは加害者的振る舞いと言えるだろう。

君之代・ずっと夢見てる・Synchronized Cherry Blossom
 毒山凡太朗は円頓寺商店街にあるビルの2階に3つの作品を出展している。「君之代」は日本による国家教育を受けた台湾人のお年寄りをインタビューした映像作品である。「ずっと夢見てる」も映像作品で、深夜の東京の駅や街中で眠ってしまった人々に大企業のロゴが入った布をかけていく様子を映したものである。この作品は名古屋名物であるういろうで作られた桜の木の下に置かれたモニターに流れていた。「Synchronized Cherry Blossom」と名付けられたこの桜は、名古屋市の人々(ういろうを販売している青柳総本家の社長、那古野の観光協会会長、ういろうで桜を作る女性二人組)のインタビューとセットの作品である。ういろうは1964年の東京オリンピックに合わせて開通した新幹線で車内販売されていたことをきっかけに名古屋名物となった。毒山は2027年開通予定のリニア新幹線が、ういろうが他の名古屋名物に取って代わるかもしれないことに危機感を感じて本作を制作したという。
 ういろうの桜が示唆するのはモビリティの暴力である。場所と場所を即時的に結ぶ近代的な乗り物によって、名物は土地の歴史や固有性と関係なく作られる。それが定着してきたと思ったら、さらに時間を短縮する乗り物によって人々の移動性が高まり、思わぬ形でまた新たな名物を生み出すかもしれない。速度を極限まで優先することで開発されるリニアは、東京と名古屋の距離を縮め両者の文化的差異までも縮めうる。名古屋で買えるものは東京でも買え、名古屋で食べられるものは東京でも食べられる。速度は場所を暴力的に統治する。
 統治の暴力性というテーマは「君之代」にも見出すことができる。登場する老人たちの中には日本語を流暢に話す人もいれば、日本語での会話ができない人もいる。しかし、どの人もはっきりと日本語の歌を歌える。それは君が代であったり仰げば尊しであったりふるさとであったり軍歌であったり様々である。おそらく歌詞の意味を理解していない人もいるだろう。それでも歌詞をはっきりと覚えていて、最初はおぼろげでもそのうちメロディーとともに記憶の底から呼び出すことができるのである。
 歌は理屈ではなく身体のレベルで覚えるものだ。何度も聞かされ、歌わされることで身についていく。身体と同化することによる歌の暴力性を本作はあぶり出す。皇民化政策で重要な役割を担ったのは日本語だけではなかったのだ。同一の歌を覚えさせられることで同一化されていった植民地の人々がそこにはいた。
 日本軍によって行われた暴力的な統治は、現代ではその主体を大企業に変えて、残り続けているかもしれない。「ずっと夢見てる」に登場する人々の多くはスーツ姿のサラリーマンである。彼らが実際にはどのくらいの規模の会社に勤めているか知りようがないが、しかし彼らの仕事はその先をたどっていけば大企業の活動と不可分ではないだろう。現代の労働の多くは、実は身体的反復であると個人的には思う。クリエイティビティなんてものはほんの一握りの人に許された幻想だ。多くの会社員は会社の命令をただ愚直に繰り返すだけだ。それはまるでブロイラーのような大量生。一括管理され、いらなくなればゴミのように捨てられる生。そこにも身体に入り込んで増殖する統治の暴力性がある。そうして生まれるのが、東京と名古屋を超高速で結ぶリニア新幹線なのではないだろうか。

輝けるこども
 毒山作品においてリニアが表すのはモビリティの暴力性であった。毒山の作品は円頓寺商店街のビルの2階にあるが、その下の階では弓指寛治による「輝けるこども」という作品が展示されている。本作が表すのは、もっと直接的に自動車の暴力性である。
 2011年に起きた鹿沼市クレーン車暴走事故を扱った本作は、亡くなった子どもたちのうち何人かの親にインタビューし、生前のエピソードを弓指が絵で再現するというものである。それは死者の記憶の再生であると同時に、慰霊でもある。
 鶴が本当に好きで北海道まで見に行くくらいだったとか、ディアゴスティーニの鉱石シリーズを全部買い集めてしまったとか、そんな些細だけれど温かい記憶たちが、展示空間でまさしく輝くようにそこにあった。エピソードを読んでいくほど、胸が締め付けられていく。しかし弓指は記憶の感動的な再生だけでは終わらせない。子どもたちの絵が飾られた明るい部屋から薄暗い次の部屋に入った瞬間、私はぎょっとした。嘘でしょ、と思った。そこには車があった。潰れた大型車。事故車であった。
 あまりに衝撃的で言葉が出ないまま車を凝視する私に、その場にいたスタッフの人が気づいた気配がした。これ実物ですか、と聞くと、実際の事故車だが当該事件には関係がない事故車を弓指が頼み込んで譲ってもらったものだと教えてくれた。よく考えれば事件を起こしたのはクレーン車だから、無関係の車に違いなかった。しかし展示室の構成が、もしかしてこの車があの子たちを殺したのではないか、と思わせるほど鑑賞者に没入させるものだったのだ。
 車がある部屋を出ると、また明るい空間に戻る。犠牲になったある一人の子どもの詩が展示されている。罪を犯した人間に、それでも残りの生を生きろと背中を押す詩だったと思う。涙があふれる。決してこの子は自分が被害者側になるつもりでこの詩を書いたわけではないだろうに、まさかこんな形で自分の生が終わるとは思わなかっただろうに。
 展示室の突き当りに扉があって、その先にはひときわ大きな絵が飾ってある。オーロラが校舎の上に輝き、校庭に桜がいくつも咲いている。子どもたちが校庭に向かって一歩を踏み出している。慰霊はここで終わっていた。
 そこから先の展示は、鑑賞者にひたすら「悪の愚かさ」を突きつけるものだった。容疑者の男はてんかん持ちで何度も事故を起こしていたにも関わらず、免許の更新の際持病のことを申告していなかった。事件当日は薬も服用していなかったという。男の母親は男が事故を起こすたびに新しい車を買い与えていた。しかも、大型車である。大きければ大きいほどいい。クレーン車は車社会における勝ち組の証だ、というような趣旨の男の供述が展示されていた。車の大きさでしか社会の中に居場所を見つけられなかったのだろうか。
 大型車の絵が暖簾のように垂らされた通路を歩いて、何枚も何枚も大型車をくぐり抜けて、途中先程の実物の事故車を運転席の内側から覗く仕掛けを経て、入り口に戻ってくる。
 この構成は加害の経験だと思った。現代の日本社会に生きている以上、車と無関係ではありえない。私は免許を持っていないが、それでも他人の車に乗せてもらうし、バスにも乗るし、私が今使っているこのパソコンは、きっとどこかの工場から量販店に向かってトラックに載せられてやってきたのだろう。だから、無関係ではない。
 モビリティの暴力とは速さ=即時性の暴力であると同時に、モビリティをもたらす乗り物=テクノロジーそのものの暴力でもある。速いほどいい。大きいほどいい。こうした思考が時にかけがえのない生を犠牲にするのである。

おわりに
 津田は今回のコンセプトである「情の時代」の説明文の中で、ドイツの政治家ビスマルクの「政治は科学(science)ではなく、術(art)である」という言葉を引用している。津田は現代社会において、様々なデータの「情報」が容易に「感情」を揺り動かす状況に危機感を表明する。そして「連帯」や「他者への想像力」といった人間がもつ「情」によってそうした状況が乗り越えられることに希望を見出す。
 津田はこうも述べている。「アートはこの世界に存在するありとあらゆるものを取り上げることができる。数が大きいものが勝つ合理的意思決定の世界からわれわれを解放し、グレーでモザイク様の社会を、シロとクロに単純化する思考を嫌う。」
 東は人間を抽象化し、記号化し、数値として扱う暴力を「抽象化と数値化の暴力」と呼ぶ。私がここで取り上げた展示はどれもこの数値化の暴力をあぶり出すものだったように思う。ここで私が言う数値化の暴力は、東が想定している人間を抽象化することだけではなく、場所の歴史的文脈を無視すること、そして競争社会における人間の序列化も表す。人間そのものを記号化することは最たる暴力だが、人間が暮らす場所や人間の社会における位置取りを数値化することもまた、結局は人間を抽象化することにつながる。付け加えると、これらの展示は決して悪や生の意味の回復を試みたものではない。あくまで淡々と数値化の暴力を描き出す。加害の記憶を加害の継承者たる私たちに突きつける。
 私たちの社会はあまりにもデータ=情報偏重になっている。特に文系学問においてもそうした傾向は顕著である。質的調査は常にデータとしての妥当性の担保という問題を背負う。それはそれで大事なのだが、しかし数値で表せない歴史や記憶や人間の生を描き出すことは、「グレーでモザイク様の社会を、シロとクロに単純化する思考」に抵抗する営みとして必要とされる。それができるのはアートだけではない。人文的知もまたそうした営みの中で位置づけられるものなのではないだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?