自分のルーツを探る旅、そして乾きからの回帰
2023年の4月、大好きな祖父が亡くなった。
その日珍しくオフィスへ出社していた私は、仕事を片付け、先に呑み始めている同僚の輪へ加わろうとしていた。私以上に働いてすっかり熱を持ったMacを閉じて、ふうと一息をつきながら、時間を確認するためにスマホを覗いてみる。いつの間にか 20:08 になっていた。
そしてふと、母からのLINE通知が溜まっていたことに気づく。
ああ、本当に、逝ってしまったんだ。
居ても立っても居られず、母へ電話するため急いで給湯室へ向かう。
トゥルル…トゥルル…トゥルル…
電話の向こう側から響くコール音を聞きながら、給湯室ってこういう時に使えるスペースだったのか、なんて意味のないことをぼんやりと考える。母との電話を10分ほどで終えた後、思わず天を仰いだ。電話の内容そのものよりも、母の声の後ろから漏れ聞こえる誰かのすすり泣きや、バタバタと慌ただしく動き回る音が、これが紛れもない現実であることを教えてくれた。
祖父は、いつもニコニコしている人だった。
それもただ口角だけが上がっている笑顔ではなく、目尻を下げて口を大きく開いてニッコリと笑うのだ。そして耳と耳たぶが大きい。背は元々高く、腰が曲がっていなければ170cmほどあったように思う。
実家が二世帯住宅に建て替わってから上京するまでの18年間、ずっと一緒に暮らしてきたからこそ、祖父には沢山可愛がってもらったし思い出も多い。何かイベントがあれば、どこからともなく三脚カメラを引っ張ってきて私たちの写真を撮ってくれた。誕生日や七五三、運動会、成人式・・・。
晩年は腰を痛めて写真こそ撮ることはなかったが、私が東京から帰省するたび昔のアルバムを引っ張りだして眺める姿を、祖父はソファに腰掛けながらいつものニコニコ笑顔で嬉しそうに見ていた。
そんな大好きな祖父との別れは、87歳という高齢だったとはいえ、つらかった。
だから、お通夜や葬式がある間は、きっと鉛のようにずーんと重い気持ちでいるんだろうと思っていた。
ところがどっこい。
お通夜の後も、お葬式の夜も、各地から集まった親族たちが一緒に呑んで食べて、何時間も話や笑い声が尽きない。祖父の遺体が同じ部屋にいる間は、お酒片手に持ちながら、「じいちゃん遊びに来たよ〜」と定期的に話しかけたり、顔に触れたりした。
この時間がむしろ楽しかった。心地良かったとも言えるかもしれない。そこにいた全員が、祖父を大事に思い、死を悼み、これまでの思い出を慈しんでいるという点で共通していた。自分はここにいる沢山の人たちと繋がっている、という感覚があり、それはどこか心許なく淋しかった自分を安心感で包んでくれた。
敬愛・哀悼・思慕の心は、人との絆をより強くするのかもしれない。
わいわいと盛り上がる中で、ふと祖父の兄妹たちが「これは兄さんしか知らないんじゃないかしら…..」と言っているのが耳に入った。祖父は6人兄妹の長男で、祖先やこの土地に移り住んだ過去の経緯などは祖父しか把握していないことも多かった。その時ふと、自分が聞いたことが役に立つかもと思い立ち、スマホからNotionを開いて過去のメモを漁ってみた。
ーーそれは2、3年ほど前だっただろうか。 私は自分のルーツに興味を持ち始め、とりわけ実家の歴史が気になっていた。 帰省したある時に、両親へ思いついたまま質問をぶつけてみると「私たちは詳しく知らないけど、じいちゃんだったら知ってるはず。それに今のうちに聞いておかないと、いつ聞けなくなるかも分からないよ。」と言われ、急きょ祖父へのインタビューを思いついたのだ。
その頃の祖父は認知症の初期状態で、会話のキャッチボールが上手くできないこともあった。じいちゃん、こんな昔のこと覚えてるかな・・・。そんな気持ちを抱きつつ、ソファに腰掛ける祖父へ質問を投げかけてみると、祖父は予想外にもスラスラと話し始めた。驚きながら自分がメモの用意もしていなかったことに気づき、「ちょっと待ってー!」と言いつつとりあえずNotionを開く。祖父は、私の高祖父にあたる時代からの歴史を覚えている限り教えてくれて、私はそれを整理しながら夢中で書き留めた。ーー
自分のメモを頼りに、インタビューした内容を祖父の兄妹へ伝えると、
「こんな話、聞いたことなかったわ」
「その話を紙に印刷して、皆んなに共有してくれないか?」
と口々に言いながら、皆んなとても喜んでくれた。正直そんなに綺麗にまとまっていないし印刷だなんて大げさな・・!と思ったが、私だけ独り占めしておくのは勿体無さすぎる。何より、祖父が知っていることを語り継ぐ上で、自分が小さな役目を果たせていることが純粋に嬉しかった。
ただ祖父が語ってくれた内容は、経緯が欠けていたり名前が朧げだったりと、若干の虫食い状態だった。それなら印刷物に残す前に、もう少し調べてまとめてみるのはどうだろう?
こうして私は、自分のルーツを探る小さな旅を始めることにした。
変なところで責任感が強いタイプだが、それが功を奏すこともあるはずだ(と信じたい)。どんなアウトプットになるかは分からないけど、後世に残るようなものになればいいなあと思う。
ルーツとはちょっと別だが、過去に自分のアイデンティティを知るために、家族から受けた影響を考えたことがあり、良い気づきがあったので別記事にまとめている。
話は戻るが、今振り返ってみても、祖父のインタビューを伝えた時に喜んでもらえた経験はすごく印象に残っている。最初は自分が人の話を聞き、まとめて、伝えることで周囲がハッピーになってくれたことが嬉しかったんだと思った。
いや、それだけではない。
これは今回限りのことではなく、私が続けさえすれば、これからも誰かをハッピーにさせられるかもしれない。その可能性にワクワクさせられた。
正直、ここ最近は忙しさを言い訳に、人に話を聞いたり、何かを書いたりすることからずいぶん離れていた。「忙」という漢字は「心を亡くす」と書くというが、私にとっては心がカラカラに乾いていた状態のように感じる。
自分の心を枯らさないために。
これからは自分の心にも、もっと潤いを与えていこう。
最近迎え入れたオリーブの木に、枯れないよう、毎日水やりをするように。
そんな私を、きっとじいちゃんはニコニコ見守ってくれているはず。
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