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【小説】今だけのシャッターチャンス(#夏ピリカ応募)

「ガソリン入れといてって言ったじゃん」
 後部座席の倫太郎とルームミラー越しに目が合ったので、思わず言ってしまった。
 黙っておこうと思ってたのに。
 彼は悪びれず言う。
「すっかり忘れてたよ。ごめん」

 1ヶ月ぶりのデート。
 久しぶりの遠出は、私の運転。
 倫太郎も免許を持っているが、通勤以外では運転しない。疲れているから休ませてくれと、後部座席で寝ていることもある。
 同棲を始め、今後のためにと思い切って買った車なのに、最近はずっとこんな感じだ。

 今日もそうだった。
 彼は後ろでイビキをかいていた。
 途中でガソリンスタンドに寄り、そのあと2時間ほど車を走らせ、ようやく目的地に着いた。
「起きて」
 声をかけると、倫太郎はすぐに体を起こした。
 そのとき、ルームミラー越しに目が合った。
 彼の通勤経路には、地域で最安のガソリンスタンドがある。昨夜、よかったら仕事の帰りにそこで入れてきて、と私はメールしていたのだ。
 すっかり忘れてた、という彼のセリフに傷ついていないふりをして、平然と車を降りた。

 トリックアート美術館に来ていた。
 5年前、初デートで来た場所だ。
 当時は大学生だった。
「面白いところ知ってるから行こう」
 その彼の言葉に任せて来たのがここだった。
 何枚も写真を撮ったのを覚えている。

 そして今。順路通りに回っていく。
 新しく『鏡の部屋』という、四方八方が鏡で囲まれた部屋が出来ていた。
「いいのあるじゃん」
 ご機嫌な彼は、スマホを構える。
 鏡に映った私をいろんな角度から撮る。撮る。
 5年前と同じだった。
 あのとき鏡の部屋はなかったが、絵の中の椅子に座れるという展示で、何枚も撮影した。
 モデルみたいにポーズをとっていた私。
 今も同じことをする私。

 『男の鑑』『彼氏の鑑』『旦那の鑑』。
 友人に会うと、最近よくそんな会話をする。
 すでに出産を経験した同級生は、娘の面倒見が良い夫のことを、世間の子育てに非協力的な夫と比べ『旦那の鑑』だと言った。
「カオルの彼氏もそうなれたらいいね」
 友人は笑っていた。
 私は愛想笑いをしていた。
 その旦那は確かに理想的かもしれない。
 だが、そんな先のこと私には分からないし、どうだっていいじゃん、と正直思う。
 いずれ彼と結婚したいと薄っすら思っているが、でも、それだけだ。
 私は、今を生きるので精一杯だから。
 そして、倫太郎もきっとそうなのだ。

 目の前で、私を被写体に撮りまくる彼。
 移動中の車では『社会人』『サラリーマン』の仮面を被っていた彼が、すっかり少年の顔をしている。

 この美術館に久しぶりに行こうと言い出したのは彼だった。私はすぐにOKした。理由は聞かなかった。聞かなくても私なら分かる。

「カオルも俺のこと撮って」
 撮る方は満足したのか、今度は撮られる方をやりたいらしい。
「撮るよー」
 私は、少年の顔をした倫太郎に向けてスマホを構えた。

(1,200字)
《終》

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