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「ガリ勉」はなぜモテないか

41回目の投稿

 みなさまこんにちは。


ガリ勉=眼鏡?

 「学生」という熟語を見れば分かりますが、私たち学生は勉強をすることが生活の中心になっています。学校行事や部活動など頑張るべきものはほかにもたくさんありますが、結局芯となるものは「勉学」なのです。

 さて、どのクラスにも「ガリ勉」と言われているような人が一人はいたことでしょう。イメージとしては「ガタイが良くなくて眼鏡かけてる」みたいな感じでしょうか。

 そして、この「がり勉」という存在はなぜか分かりませんがモテないイメージでしょう。

 イメージ的に当たり前だと思ってしまいます。でも、それは何故か。

がり勉はなぜ勉強しているのか

 そもそもがり勉の生態とはどのようなものなのでしょうか。何も知らずにがり勉がいいとか悪いとかいうことはできません。

 彼らは周りの人間以上に勉学に熱心に取り組んでいます。その理由は「将来の夢など明確な目標や憧れを持っている」「学ぶことそもそもが楽しい」などがあげられるでしょう。どちらも真っ当な理由です。
 知識量が多い人や思考が深い人は、周りの人間に比べて旅行や仕事を楽しむことができるでしょう。旅行のとき歴史や地理の感覚が養われていたら楽しみは10倍でしょう。勉強の末、やりたいことを職業にすることができたとしたら、仕事の楽しみも10倍でしょう。

 ただ彼らの中にも「勉強したいから勉強している」わけではない人が混ざっている可能性があります。

 まず、幼少期から「勉学中心の生活」を基本として育てられてきた、ということが考えられます。人間の個性は幼少期で決まるとかよくいいますが、幼少期から教育が施されてきた人間が「がり勉」になった、という場合もあるでしょう。また親や周囲の人間からの期待や強制によって「勉強せざるを得ない」人だっているでしょう。この場合は前者よりも苦しい思いをしているでしょうし、学校生活も楽しくない可能性があります。

 これらのことから「がり勉」と言っても、人によって様々な事情や考え方を持っていることが分かります。だから「がり勉」が良いとか悪いとかを本人以外の人間が決めつけることはできないのです。決めつけてしまうことは「個性の否定」になり得ますから、「あいつはがり勉だからダメ」と決めつけるようなことはできないでしょう。

がり勉の課題

 別に勉強したくて勉強しているのであれば別にそれはそれで良いと思います。私の友達が「最近は勉強が精神安定剤」と言っていましたが、それくらい勉強が好きならどんどんやるべきでしょう。

 しかし、勉強ばかりしていると課題も見えてきます。「勉強ばかり」と書いたくらいですから、他のことが視野に入っていない可能性があります
 がり勉と言われる人々がまずやらないのが「スポーツ」です。私も中学生のころまではがり勉寄りの人間でしたからやってきませんでした。ただこの「スポーツ」というものは「体を動かしてストレス発散ができる」というメリットに加えて「他人とのコミュニケーションが楽しい」、「課題設定と達成の流れが実感できる」など、勉強では得ることのできないものが手に入るというメリットがあります。
 高校生になって何故か気が変わって運動部(文化部も兼部)に入部した私はそう感じました。勉強ばっかりやっていると、特に「体を動かしてストレス発散ができる」というメリットは信じることができません。「疲れるだけだ」と思ってしまうのです。ただ実際始めてみるとこの「疲れ」こそが日々の充実感につながっているように感じるようになりましたね。

 そして何より「コミュニケーションの機会が増える」というもののメリットが大きいです。これは勉強では手に入れにくいものです。複数人で競技をやったり、助言しあったりする機会はスポーツならではのものです。

 「がり勉」という人々の中には、勉強以外のものが視野に入っていない人が意外といるでしょう。勉強以外にやりたいことは?と聞かれて解答にこまるようでは、上に当てはまっていると言えそうです。勉強以外、といっても別にスポーツだけではありません。文化祭や体育祭、合唱祭といった学校行事や「青春」と言われている恋愛など、やろうと思えばできることは意外とあるでしょう(レンアイハナイカモシレマセンガ……)。

 ただ勉強を中心にやっていると、どうしてもその他の物事に飛びつく気力がなくなっているかと思います。これが大きな問題なのです。視野を広げようにも何をすればよいかよくわからないし、やる気力も出ない。というか視野を広げる必要はない、という固定概念を持っている人もいるでしょう。がり勉あるあるの悩みではないでしょうか。

がり勉はなぜモテないか

 一番大きいのは、がり勉は「平均」から逸脱した存在であるからです。多くの学生は、「勉強中心に生きたい」とは思っていないでしょう。

 異なる考え方を持っている人間と関りを持つのは結構難しいかと思います。「勉強中心がいい」「勉強はあんまやりたくない」という2種類の人間が嚙み合った会話をすることが難しいのは良くわかるでしょう。やりたいこと、理念がそもそも違う人間の思考なんて理解しがたいですよね。互いに理解しようと努めても、どうにもならん。

 多くの人間は後者にあたる人々でしょう。前者と後者では生きている世界が全く重なっていない上に、後者の世界の方が圧倒的に広い(学校においては)。なら、前者にとって恋愛対象となる人間の数そもそもが少ない。
 かつ前者の住む世界では「勉強が中心」です。なので、コミュニケーションが後者の世界ほど活発ではない場合が多いでしょう。そうなるとさらに恋愛関係はできにくくなっていく。

 「あいつ、がり勉やん」と思われて周りから孤立するのは、しょうがないとも言えそうです。上にあげた「後者の世界」の住民にとって「がり勉」とは宇宙人と同じ扱いであり、話にならないのです。
 一番最悪なパターンは「後者」が「前者」よりも上に立とうとする場合です。口数が少なかったり運動できなかったりすると、後者は調子に乗り始める場合があります。後者がバカでなければそんなことはありませんが、勉強量が少ない後者の世界の住民には、このような人間が何故か多いように感じます。

 この前者の世界と後者の世界をまたいだ恋愛関係なんて見たことがありません。価値観の共有ができない時点でアウト。おまけに前者の世界は母数が少ないし物静か、恋愛が生まれにくい環境がそろってしまっています。

両方の住民になる

 やっぱり「両方の住民」になりたいですよね。そのためには、人を第一印象や見た目だけで判断せずに、対等に話あうことや、相手の自分にはない良さを見つけ認めることのできる「寛容な心」と「広い視野」が必要です。
 がり勉がモテるようになるためには「後者の世界」を視察することから始める必要があります。そして前者の世界で仲間を作って、勇気を出して後者の世界に足を踏み入れてみることで少しは良くなるかもしれません。
 
 ただ、難しい。。。

編集後記41

 ここまで読んでくださった皆様ありがとうございました。がり勉をがり勉だとバカにしているような人間とは付き合いたくないですね(笑)。視野が狭くて思考の浅い人間と深い付き合いを持ったって、その人間の閉鎖的な世界しか見えないと思います。いろんな人と楽しくおしゃべりしたいですね。

 では、またいつか。

 


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