Leo Varadkar のアイルランド首相職放棄を、21世紀の世界史を画期する偉大事として顕彰する


 ラマダーン期間中ですので、日没までに費やせる時間は聖クルアーンとアハディース集の再読に・マグリブ以降はカントーロヴィチ『王の二つの身体』読解(←あまりに面白すぎて全身の血が煮えそう。少なくとも初読時にここまで多くの付箋張りと線引きを強いられた本はここ8年間で初めて)に費やしているわけですが、さすがに今ここで書いておかねばならないニュースが舞い込んできました。

 どれだけの日本語圏人が認識していたかなあ、アイルランド共和国の統一アイルランド党主にして首相の Leo Varadkar が、インド出身のヒンドゥー教徒を父に持つオープンリーゲイである事実を? 私、この人が21世紀前半の重要人物に思えてならないから、職場の人と世相っぽい話題になったとき必ず言及してたのね(とくにアメリカ合衆国史上2人目のカトリックにしてグダグダのアイリッシュプレジデントの系譜に連なるジョー・バイデンとの比較を交えて)。
 既にこの件を「党から解任された」とする誤報が広まっているようですが、 The Guardian の記述を見てもわかるとおり彼は首相および党首としての役を giving up したのね。クビにされたわけじゃないわけよ。これちょっと凄すぎることですよ。彼のみならずアイルランドの議員が、(主にアメリカ合衆国主導による・がゆえに国際的な)パレスティナにおける虐殺の正当化および積極的支援を公に非難する言説を行っていたことは広く知られていますが、ついに党首たる Leo Varadkar が自らの役職を放棄したのよ。

 これ、どれほど凄いことか感受できます? もう明らかにアイルランド与党は現行の「(全く民主的でない)民主制」または「(全く共和的でない)共和制」の価値を信じてないわけよ。それを積極的に暴露するが如き突然の首相職放棄。指摘するまでもないですよね、事ここに及んでも未だに大統領制なんかにしがみついて、「国民」の「総意」によって「代表」を「選出」しなきゃいけないとの強迫観念を放棄する気が全く無いアメリカ合衆国との鮮やかすぎる差異なんかさ。

 書いとこうかなあ、私、数年前(ムスリムになるとは考えもしなかった頃)になんかのライブを観に東京に来てて、その翌日に「そうだアイルランドの国籍を取ろう、最下層のアジア系移民として肉体労働でもやって生きていこう」と思い立って、麹町あたりのアイルランド大使館に直接足を運んだのよ。ただ日曜日だったために閉まってて、結局その目論見はどうにもならなかったけどね。その数年後に私は福岡県での肉体労働中に突如として小説を着想して、それが『χορός』として結果した。っていうのは弊チャンネル有料サポーターの皆様におかれては既にご存知のことですよね。

 その「アイルランドへの移住を断念する代わりに孕まれた長編小説」のなかで、アイルランドがどのような地としての役を与えられているか・およびイスラームとどのような友誼を結んでいるか、についてはさすがに書いた本人なので十全に憶えてますし・初出原稿版を読んでもらえたら明らかですよ。でもね今まで私は、実際の世界史が2020年末に書き上げられた『χορός』の内容を遥か後の時系からなぞってゆく様をずっと見てきましたし、去年秋からのパレスティナで起こった諸事はその最たる例でもありましたけど、もう明らかに新しいフェーズに入ったと思っています。既存の「民主制」および「共和制」の維持または改良じゃないの。その放棄から始まる、新しい、しかし前例が無いために一時は「古色蒼然」と見做されかねない変動が始まりを告げてるのね。それがアイルランドから発火した事実は、私にとって全く驚くべきことじゃない。が、本当にこのような「民主制」の積極的放棄が起こるなんて、生来楽天的な私でさえ思いもしませんでしたよ。

 いずれにせよ、彼の地の人々に勝利を。私がいま最も興奮しているのは、 Leo Varadkar のような既成の政治制の積極的放棄が一国のなかで起こり・なおかつ代理の挿げ替えさえもが起こらなかった(つまり既存の「民主制」の放棄が一国において移行的に承認された)場合、もはや彼の地の人々を「政治家」だの「国民」だのと呼び分けることが不可能になってしまうことなのよ。前段落で “前例が無いために一時は「古色蒼然」と見做されかねないような変動” と書いたのはこの意味においてです。単なる一般常識だけど、「多数決」による「代表」の「選出」なんてギリシア由来の真なる民主制とは何の関係も無いのよ。それは単なる教皇選挙[コンクラーヴェ]から収奪された制度のいち形象にすぎないから(ああ『χορός』の第1章で書いたことだよこんなことはさ)、自動的に「(全く民主的でない)民主制」の放棄はローマ法と教会法の継承という「改宗の事業」がもたらした諸効果からの脱却をも意味する。その歴史性の現在形が、まさにパレスティナにおける虐殺を最も正当に非難する人々の群れ=アイルランドにおいて引き受けられたのは当然の事です。
 もう、「(国家としての)アイルランドは(国家としての)パレスティナに連帯する」なんて言う必要も無い。ただ同じ地上における新たな(繰り返すけれども、前例が無いために古臭くも思える)政治と統治と闘争の可能性への視野が突如として開けてしまった。 Leo Varadkar の首相職放棄はそのような端緒の意味を担っており、絶対に矮小化されてはならない。私は本当に驚いています、連帯という、誰もが安全圏に立て籠もるあまりにその奥義を辱めてばかりいる語に、新たな意味を与えるために敢えて行動した人(そして彼はもはや「政治家」ではない)が居たことを。ここで私が半ば昂って書いた事の是非も、いずれ歴史そのものによって審判されます。しかし Leo Varadkar の首相職放棄は、21世紀の世界史を画期する出来事として記憶・記録されるかもしれない。(ムスリムにとって「賭け」とは用いるに相応しからぬ表現ですが、)私はその可能性に賭けます。



〔以下引用〕

ジュネ 単純な質問をしてみよう。すぐ済むから。オーストリア人は一九三九年から一九四五年までユダヤ人に何をしたのだろうか?
R・W たとえば、かつては数十万人のユダヤ人がいましたが、今では数万人しかウィーンには残っていません。
ジュネ よろしい。それ以外のユダヤ人がどうなったかは尋ねない。私は答えをもっている。では、ユダヤ人がオーストリア人に対して、この三十五年間何をしただろうか?
R・W 何も。
ジュネ ではユダヤ人は、パレスチナ人に対して何をしただろう?
R・W 戦争です。
ジュネ ユダヤ人に対して何もしなかった、その存在さえ知らなかったパレスチナ人に対してだ。ほら、問題はそこにある。
ライラ・シャヒード ええ、問題はそこにあって、私の意見では、この問題はたいへん大きな卑劣さを証拠立てているのです。なぜなら、みんなが引きこもり、ホロコーストやヨーロッパ・ユダヤ人排斥のつけを、もっとも弱い者たちにまわしたからです。
ジュネ アラブ世界のいちばん弱い環に、パレスチナ人に払わせたのだ。

〔梅木達郎訳 引用者所有のノートに文献名が記録されていなかったために出典は定かでないが、おそらくジャン・ジュネ著/アルベール・ディシィ編『公然たる敵』(月曜社刊)所収〕


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