書き留めておきたいコト~私が出会ったすこぶる親切な人たち~

「まなさは落ち着いてるけど、おっちょこちょいやな」

中学の時にある日突然、美術の先生からそう言われた。

美術の先生はとてもサバサバした女性で、その言葉には嫌な感じは一切無く、ただハッと気付いて指摘したといった風だった。

それを聞いた私は、なんて絶妙な表現なんだろうと思った。自分自身では言葉に変換できないモヤッとした部分を先生に的確に表現してもらい、こそばゆい気持ちになりながら頬を赤らめて笑った。

私は話すのも動作も遅いうえ、声や表情の起伏が人よりも少ないようで、落ち着いているとか冷静といった印象を持たれやすい。

働いていた頃、同僚に菱沼聖子(by動物のお医者さん)っぽいと言われ、上司に灰原哀(byコナン)っぽいと言われたことがあり、私はそんな風に独特で淡々とした感じなのかと驚きながら自覚した。

というのも、実は松岡修造さんにシンパシーを感じるくらい、心の中では力が入り過ぎてカラ回りしたり、動揺したり、涙もろいところがあったり、感情豊かな方だと感じているからだ。

表面上は落ち着いているように見えても、内心ワタワタしていて物を落としたり、つまずいたりといった行動を取るので、

「落ち着いてるけど、おっちょこちょい」

という矛盾してるような言葉が私には当てはまり、しっくりくる表現となる。

表面上はわかりづらいためか、緊張で表情がカタくなっていると、

「すましてる」とか

「取っつきにくい」

といった印象を持たれることもある。

ある程度親しくなってから、そんな風に思われていたと知ったり、時には人づてで聞いてしまいガビョーンとなることもある。

時折、夫から「わかりづらい所があるから、誤解されやすいねんなぁ」と慰めてもらうことがある。(夫よ、いつもありがとう)

けれども不思議なことに、遠出して疎い場所でも道を聞かれたり、写真撮影をお願いされたり、逆に助けていただいたり、といったことがしばしばある。

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あれはたしか、仕事にも慣れて少し余裕の出てきた社会人3年目の頃。上司の指示で朝から普段はあまり行かないオフィス街のとある場所へ行くことになった。

地下鉄の地上出口に出たタイミングで、前日にコピーしていた地図を見て経路を確認した。

その時突然、サラリーマンの男性から

「どちらに行きたいんですか?」

と声を掛けられた。

私は一瞬呆気に取られそうになったが、

「◯◯です」

と場所の名前を告げた。

すると男性は私の持っていた地図を見て、テキパキとその場所への経路を教えてくれて颯爽と立ち去った。

朝の忙しい時間帯に、親切に声を掛けてもらったうえ道を教えてもらえた事が有難いと同時に、私自身は地図で経路を確認していただけで困っていたわけではなかったので、

(そんなにも頼りなく見えたんだろうか)

と複雑な想いを抱いたが、

(世の中にはこんなにも優しくて親切な人がいてるんやなぁ)

と感慨深い気持ちになり、忘れられない出来事となった。

他にも同じように忘れられない出来事がある。

当時、赤ちゃんだった息子をベビーカーに乗せて、一人で街中へ買い物に出掛けた時のことだ。

地下鉄から地上へ上がるため改札を出て、行きたい方面へと進んではみたものの、目の前には地上へ続く長い階段が現れた。ベビーカーを押す私からは、その長い階段がまるでそびえ立つ壁のように感じた。

(この長い階段をベビーカーを抱えて安全に上るなんて、私の力では到底でけへんなぁ。回り道してエレベーター探すしかないなぁ)

と考えながら、育児疲れも相まって階段を見上げてしばし呆然としていた。

「手伝いましょうか!」

と、後ろから勢いよく声を掛けられた。振り返ると少し内気そうな20代の男性が佇んでいた。男性なりに意を決して声を掛けてくれたようで、表情が少し強ばっていた。

突然声を掛けられて、半分驚いていた私は頷くことしかできなかったが、その男性は声を掛けた勢いと同様むんずとベビーカーを持ち上げて、スタスタと軽快に長い階段を上ってくれた。

階段を上がり終え、親切にしていただいた男性に頭を下げて

「ありがとうございます」

とお礼を伝えたが、気恥ずかしかったのか男性はまるで逃げるようにその場から立ち去ってしまった。

当時の私は、唯一頼れる夫は協力的だったけれど、平日は夫も仕事が忙しく不在がちで、ワンオペ育児に孤独と疲れを感じていたので、その男性の純粋な親切心に触れて、随分気持ちが和らいだのを今でも覚えている。

そして比較的最近、といっても去年の夏の出来事。

それは夏の暑さが真っ盛りのある日。暑さのピークをずらして陽が傾き始めた夕方に、自転車でスーパーへ向かっていた時のコトだ。

自宅のすぐ側にもスーパーはあるのだけれど、自転車で10分ほどの所に店の規模は小さくても産直野菜をはじめ、全国から美味しい物を取り揃えたお気に入りのスーパーがあり、その日もご機嫌な気分になりながら自転車を漕いで向かっていた。

風の強い日で、着ていた薄手のロングスカートが何度か自転車に絡まりそうになり、けれども一度も絡まったことが無かったので、気を付けつつも心のどこかで大丈夫だろうとタカを括っていた。しかし、その日は違っていた。

スーパーへの道を半ば過ぎた所で、背中にゾワワッと冷たいものが走った。ペダルの辺りにロングスカートがガッチリ絡まってしまったのだ。

自転車を止めて足を地面に着けることはできたものの、ペダルの辺りに絡んだロングスカートを、それこそ一旦脱がない限り自力でどうにかすることなど到底できないような状態に、私は呆然となった。しかも、これ以上下手に動いたら、スカートがずり落ちて脱げてしまう可能性だってある。

自分の浅はかな失敗を悔やみながら、きっと情けない表情をしていたのだと思う。そんな私を見て、通りすがりの30代くらいの男性が

「助けた方がいいですか?」

と爽やかに声を掛けてくれた。私が40過ぎのおばさんとは言え、女性として配慮していただいたようで、スカートに触れることになるので(別にその男性も触りたくはないだろうに)、あえてそのように言ってもらえたことが、有難過ぎて泣きそうになった。

私は何度も頷いて、

「お願いします」

と返事をした。

男性はペダルを慎重に動かしながら、スカートの絡み具合を確認してくれた。

すると、今度は30代くらいの女性が、

「車通るんで、そこやと危ないですよ」

と声を掛けてくれた。そして、道路の端に移動するため、男性と一緒に自転車を動かしてくれたうえ、絡まったスカートをどうにかしようと立ち止まってくれた。

その道は駅への通り道で、この二人も駅へ向かう途中だったのではと思い、有難いと同時に電車の時間を考えると、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

男性がペダルを逆回転させると、驚くほどスムーズにスカートを外すことができた。外れた瞬間、3人で「わぁっ」と喜びに沸いた。

私はペコリペコリと頭を下げて、

「ありがとうございました。(お手を煩わせて、貴重なお時間を取ってしまい)すみません」

と、いっぱいいっぱいだったため「ありがとう」と「すみません」しか言葉にすることができなかったが、精一杯気持ちを込めてお礼を伝えた。

恐縮しきりの私に対し、助けた側は「いえいえ、お役に立ててよかったですー」といったくらいの軽い感じで会釈をして、まるで何事も無かったかのように微妙な距離を置きながら別々に、けど同じ方向に歩みを進めた。

助けていただいたおかげで、ロングスカートは下の方が軽く破れただけで済み、そんなに大きく目立つようなダメージではなかったので、私はひとまず自転車を押して歩き、そのままスーパーへ向かうことにした。先に歩みを進める親切な二人に、心の中で「ありがとうございます」と感謝しながら。

久しぶりに大きくやらかしてしまった自分に深く深く反省しつつ、思いがけずお二人もの方にとても親切にしていただいて、私を包み込む世界がふわっと軽く、明るく、透明度が増したかのように感じた。

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普段はニュースを見ないのだけれど、たまにニュースで気持ちが暗くなるような事件を見るコトがある。そんな時は、世界が無慈悲で容赦ないように思えたりもする。

けれども、私は覚えている。

これまでの人生で、私が出会ったたくさんのすこぶる親切な人たちのコトを。

これまでの人生で、私が触れた書ききれないくらいの優しさや思いやりを。

そして、まだ見ぬ未来に想いを馳せる。

これから出会うであろう、すこぶる親切な人たちに。

これから触れるであろう、優しさや思いやりに。

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