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百三話 進撃

 昭和十三年七夕、盧溝橋事件、もとい北支事変勃発から数日を経て、満洲國建国の立役者・石原莞爾かんじ少将が、風見に近衛首相と蒋介石の和平会談を提言する。「戦線拡大に自信を持てない」とのことだったが、これを風見は「陸軍大臣や次官等、上役を飛び越え、直接自分に電話してきた」など立腹して却下。近衛も七月十二日から十九日まで病臥で引き籠り、放置した。三十一日、石原は、同様に戦線不拡大および外交での解決を求めて天皇に言上し、これを同意されるも、結局は近衛・風見に飛ばされる。
 日本の満州での成功は、国際共産主義者が最も嫌っていることで、人でいうなら石原がその最たる者だった。
 なお、近衛と風見は、一年後、ソ連が一方的に国境侵害し、空爆等加えて来た張鼓峰事件を外交で納めている。
 
 兵長の話は続く。
 「進攻と決まって本格的な戦争になった。まず、北京南方の南苑を攻めた。ここは、敵二十九軍二個師団が駐屯する大兵営がある。七月二十八日早暁、空が明るくなるや友軍爆撃隊が飛翔してきて、低空から猛爆を加えた。それを続いて、南苑を三方から取り囲んだ我が聯隊および援軍が砲撃。南側は、朝鮮の龍山から来た第四十師団率いる山下奉文少将の初陣だったな。午前十一時すぎには、北方から逃げる敵を展開して迎え撃ち、殲滅させた。午後四時には豊台に戻り、苦戦中の友軍を救い、明くる二十九日は宛平県城(盧溝橋城)攻略となった」
 「いよいよ決戦の時が来たんですね」
 「ついにな。今思うに、同日通州で大虐殺事件が起きて、激闘中だったというし、もうやるしかないよ。牟田口連隊長の命で、午後六時十分、前面の城壁を砲撃し、工兵が城門を破壊した後、第二大隊が一挙突撃することになった。このとき、敵の迫撃砲も各所で炸裂し、機関銃小銃弾が激しい雨の如く飛んで来た。暮れかかった盧溝橋一帯は、彼我の銃砲声が轟き、耳を聾するばかりだったよ」
 「激戦ですね・・・」
 「午後七時三十分、我が砲撃により、漸く東北角の城壁に突撃路ができる。敵弾飛雨の中、工兵隊が、東門、中央門に爆薬筒を装着。爆破に成功した後、第二大隊の第四中隊、第五中隊がそれぞれ突入した」
 「殺っちゃいましたか!」
 「死に物狂いで抵抗する敵を撃滅せしめ、遂に城内を制圧。次いで盧溝橋梁西端に進出して、午後八時四十分に同地を占領した。また、北苑兵営も友軍が撃滅していた。これにより、前夜、北京城内外にいた宋哲元以下二十九軍は、永定河右岸を保定方面に南下していたんだ」
 「おおぉ・・・」
 戦車隊も加わったという総力的な戦闘――圧巻のいくさ絵が、浅井の脳裏で、パノラマのように展開されていた。 

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