見出し画像

40歳になった⭐️

チチチーーーーッス!犬山、とうとう40歳になりました〜!

これを書くにあたり30歳になった時の文章を勇気出して読んでみようと思ったら書いてなかったんですよ。書いとけっての! 当時の私は何を考えていたんだーーーーい。






画像1

なーんも考えてなかった⭐️ウヒョッ



……ブログ始めたての、10年前の文体で書き始めてみたものの、これは「軽薄おじさん構文の派生だったのか」と10年越しに気が付きました。当時の文章を探してみたのは本当ですが、薄目で見ただけで目眩がする「軽薄の原液」っぷりに辟易し、5行ほどしか読めませんでした。改行して改行して、改行しまくってそこに変顔やイラストを載せるスタイルで私は仕事を得たわけで、それは絶対忘れちゃいけないことだなとも思っています。あの当時の自分が精一杯で、一生懸命で愛しいと同時に、やはり「なんて偏見まみれ自虐まみれなの」とゾッとする気持ちもあり。再度ここでも当時の自分が書いてしまった呪いの再生産たちを謝罪したいと思います。反省をしながら、もがき苦しんでいたあの時の私をぎゅーっと今40歳の私が抱きしめます。あの時の私が「私が私を抱きしめる」だなんて言われたら「なーにが自分で自分を抱きしめるじゃ」とぺっと唾をはいていただろうと思いますが。

お酒も弱かったんですよ。最初はビール1杯飲むのも精一杯、おいしさもわからなかった。でも「酒を飲んだやさぐれ姉御キャラじゃないと世に受け入れてもらえないのでは」という謎の……謎じゃないか、承認欲求とかかわいいと思われたいだとか、そういう気持ちを見透かされたくないゆえのコーティングで生み出したキャラに縋るうち、お酒を飲む量が増え、それでも吐きながら友達と日々飲んでいたのでした。飲むうちに「毎日飲まないとやってられねー」と本当になっていったのです。アルコール依存症の知識も何もなく、ただ雰囲気でそうやって毎日飲むようになっていったのです、これは本当に危ないこと。酒に救われたとは言わないけれど、あの時に女友達といっぱい語り合って、主に恋愛のことばっかり語り合って、彼女たちに救われていたのはまごうことなき真実です。今は週2くらいで楽しく自分のペースでお酒を楽しめるようにもなりました。今も友達なしじゃあ生きていけないです。

私がエッセイストになったのは友達が欲しかったからなんです。私の一番のコンプレックスはモテでも学力でも仕事で認められたいでもなく「友達がほしい」。「友達に自分の本当にダメなところや、恥ずかしいところや、傷ついたところを話せるようになりたい、そしてそれを受け入れてほしい」だったと39歳の時にわかりました。エッセイを書くときはいつだって空想の友達Aちゃんに向けて書いています。子どもの頃、交換日記を書くのが大好きだったあの延長で。Aちゃんは私の話をなんでも聞いてくれて、笑ってくれる。それを読者の方に担ってもらっていたんですね。

もちろん、これは私の場合はでエッセイを書く人みんながそういうわけでもないはず。でも私の中のAちゃんとは今後もお別れすることなく付き合っていこうと思っています。「ねえねえ、更年期の話したい!」「最近目がめっちゃ疲れやすいんだけど?」「40代のフリーランス、仕事どうなるのこわっ」とかそういうことを聞いてもらうんですね。


これを読んでくださる方への感謝の気持ちはあの頃とまったく変わっていません。

大好きなAちゃんたち、本当に本当にありがとうございます。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?