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お礼メールの書き方に悩んだら:第3回「10日間で作文を上手にする方法」(Part8-1)いぬのせなか座連続講座=言語表現を酷使するためのレイアウト

メールにおける)感謝の表現のバリエーションがない。

「お礼」がそもそも難しい

Twitterに愚痴をつぶやくのに比べると、メールでお礼の気持ちを伝えるのは難しいですね。書こうとすればするほど、何に感謝すべきか分からなくなる。相手に伝わるか。失礼に当たらないか。なぜじぶんは嬉しかったのか。本当に喜ばしいのか。非常識に浮かれてないか。ありふれた感動譚に毒されて、できごとの受け止めが歪んでいないか。

思いが深まるにつれて、ありきたりな「ありがとう」が言えなくなって、「書くかどうかで迷う」地点へ逆戻り。どうにか踏みとどまっても、いくら書いても終わらない。何を書いてもしっくり来ない。時間だけが過ぎて、消された文字数が増えていく。


親愛のグレーゾーンを切り抜けろ

世間にあふれる無数の「感謝表現」は、そんな苦しみから逃げ出すための「お約束」として作られてきた歴史があるのでしょう。

だけど困ったことに、この「お約束」は、相手と仲良くなればなるほど、使いづらくなるんですよね。顔見知りにしてはよく話すけど、気を許せるほどでもない誰かとの、グレーゾーンな関係をどう乗り切るか。

書きすぎると重くなるし、書かなすぎると伝わらない。チートツールだったはずの慣用句が、例文集が、余計なお節介に思えて、紋切型のあいさつ、ご様子伺い、本題の切り出し、婉曲な依頼、末尾のしめくくり。ただのあいさつなのに、トーンとマナーとドラマツルギーがどこまで求められるのかと。気負う自意識にじぶんでうんざりする。

何が僕らをそうさせるのか。Google Trendで「お礼メール」を調べると、

ビジネス, 面接, 訪問, 上司, 内定, 英語, 会社, 就活, 飲み, インターンシップ, 敬語, 宴会, 食事, 合同企業説明会, 転職, 礼状, 手紙, インタビュー, 接待, 見積, 香典, OB訪問, 中元, 葬儀, お見舞い, 退職, ゼミナール, 親族

やっぱり「改まった場面」で、「お礼の言葉」が不足しがちなよう。もしも人生が二度あれば、「そういう場面」に出くわさないようにするのが無難でしょうけど、そういうわけにも行きません。では、どうするか。


「型」は気にせず、「動詞」で工夫してみる

調べてみると、「気持ちの仕組み」の研究がもうありました。

感謝特性尺度邦訳版の信頼性及び妥当性の検討(2014)
「ポジティブ感情概念の構造――日本人大学生・大学院生を対象として」(2018)

また、専用の小さい辞書も売られていました。役立ちそう。

もっとも、研究だけでは経験が積めませんから、「作文の方法」も考えてみます。ゆれるじぶんの気持ちを見つめて、名付け、描写し、形容する。その一瞬に目を向けると、どうやら形容詞の使い分けに活路がありそうです。

というのも、お礼を言うときって、ついつい、「型」にはまった文章で考えがちなのです。骨組みだけ抜くと、こういうかたち。

【主語】は・【できごと】が・【感謝の形容詞】

このまま考えようとすると、工夫のしどころが【形容詞】だけになりがち。

【できごと】に目を向けてみましょう。少し分解するだけでも、「気持ち」が表明されるときには、お礼を【言うひと】と【言われるひと】が、【何か】を【する】ようだと分かります。

[[【あなた】が【何か】を【した】]ことで、[【私】は【何か】を【した】]から、[【私】はお礼を【言う/言われる】]。


「できごと」を詳しく描いてみたら

例えば、こんな文章があるとします。

あなたに会えてよかった。

これを、

あなたに会えて【本当によかった/うれしくて/言葉にできない】。

と、書き換えるのには限界があるけれど、【できごと】を詳しく描いてあげたら、

スマートフォンの充電が切れて、終電もなくして、現金も底を尽きて、真っ暗な大通りを歩いていたところで、声をかけて、助手席に乗せて、近くのファミレスまで連れて行って、温かいものを食べさせてくれましたね。さっき、無事に家に帰って、電源も確保して、ようやくひと息つけました。あなたに会えてよかった。

【形容詞】を使わなくても、感謝の感じが出せます。しかも、【できごと】を書き込んだことで、お礼を【言われるひと】はそのことをまた思い出せるし、【言うひと】も余計な勘ちがいをさせずに済む。


細部は思い切って省略して

お礼の手紙であれば、お互いに何があったか知っているでしょうから、【できごと】の描写は省略できそうです。あんまりびっしり書くと、結婚式のスピーチみたいで仰々しいし。事実へのこだわりがすごいおじさんみたいな気色悪さも出てくる。だから例えば、

無事に帰って、ようやくひと息つけました。

これくらいにしておけば、あとはどんな【形容詞】でもいい。余計な味つけをせずとも、どこにでもある言葉が、きちんと映えてきます。

無事に帰って、ようやくひと息つけました。たのしかったです。

「あなたに会えてよかった」なんて口にする、気恥ずかしさも減らせます。そういえば、その昔、もっと簡単でいいじゃん、って思ったひとたちが、

帰れた/ありがとう/乗せてくれて/あとご飯

みたいな書き方を発明してくれてましたね。もはやこれすら長いかもしれず、だから「スタンプ」や「いいねボタン」の手軽さが流行ったのでしょうし、近頃はその「言葉を送る」操作1回さえ面倒になって、願えば届けよ、望めば叶えよ、なんて気分で、機械仕掛けの魔法の技術に期待するのでしょうけど。


感情の到達率

それにしても、短文を仕上げるのでさえこうなのだから、長い手紙って本当に厄介ですね。届くかどうかは送信エラーの有無で分かるとして、相手の顔色が読めないまま、ひとまず書き終えなきゃ送付できない。読み手は想像の産物。いつ読まれるか保証もない。返事が来るとは限らないし、その期待を抱くのもどうかしてる。緊迫と羞恥の温床。

どうやら、書き言葉が持つ、「届かないかもしれない」という不確かさが、悪さをしている気がします。表現の手数(バリエーション)が少ないと、その不確かさがやけに大きく感じられます。

でも、道具をいくら増やしたところで「~かもしれない不安」は消し去れませんし、どこかで思い切って、「こうとしか書けない」「これがじぶんの気持ちだ」と、まずはじぶんを言いくるめなきゃいけないのでしょうね。(文:笠井康平)


※本編はこちらからどうぞ。

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