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城俳句

父は、最後くらいに若かった高浜虚子の直弟子の俳人だった。私が生まれた時には、世代が代わっていて「ホトトギス」の主宰は、息子の高浜年尾さんだったと記憶する。


私の両親の馴れ初めは、この年尾さんの妹で、「玉藻」と言う俳誌の主宰で、当時鎌倉に住んでいらした星野立子さんがやっていた「娘山会」だったと聞いている。その頃の母は、昭和女子大学の3~4年で、20歳過ぎだったか…母は卒論で「阪本四方太」という俳人を調べていた。その息子さんの奥様が星野立子さんであり、母は彼女に「俳句を作ってみない?」と誘われたから、娘山会で俳句を作ったと言っていた。

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