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電車に飛び乗り、珈琲を飲む旅へ


こんにちは!

今日は新しいヨガウェアを持って張り切ってハンモックスタジオに行ったら、わたしの勘違いで明日の予約だったと判明😳

せっかく張り切って出てきたし、よし、この前友人に勧めてもらった珈琲屋さんに行こう!と電車に飛び乗りました。

元から思いつき行動人間なのですが、今日は快晴だし、小一時間電車に揺られ台東区の蔵前まで。

蔵前・浅草橋界隈は、東京でも下町の良さが残りながらも、センス溢れた文房具屋さんや、カフェが点在していてとても味のある雰囲気です。また人形やおもちゃの問屋さんや小売店など賑やかです。


蕪木さん

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オープン直後の時間に行ったので、最初から最後までほぼ貸し切り。異空間、とはまさにこのことを言うのでしょう。

漆喰調?の壁に、家具は濃いブラウンで統一、棚には整然とカップやグラスが並んでいます。天井からぶら下がっているのは真鍮製の小さなランプシェード。

無駄なものが一切ありません。

ああ、日本のカフェ文化はもしや、もしや、世界一ではないか!と興奮してしまいました。

情けないことに珈琲の味は表現する術を知らないのですが、ほどよく苦味があり、一緒に頼んだチョコレートとの相性もよく、すいすい飲めました。しかもお水ではなく、白湯が出されそこにも感激。

わたしは正直、紅茶の味はうるさいのですが、珈琲は本当にわからない。

紅茶が好きなら紅茶を飲みに行けば?といわれそうですが、行きたいのは珈琲屋さんなのです。

カップの好み、店主がこだわって選んだであろう道具や家具、お店のしつらえ、トータルで心が踊るのは珈琲屋さんなのであります!

カウンターに座り、眺めているとまるで一連の儀式のようです。中でも湯気がたちのぼる先の風景がふんわりとぼやけているのを見るのが好きです。

1回ごとに挽かれた豆に細い筋のようにお湯が注がれ、芳醇な香りが立ちのぼり、温められたカップに魔法のように珈琲が注がれ、厳かに目の前に差し出される・・・。至福の瞬間!

珈琲の味を語れないわたしですが、珈琲屋さんへの止まぬ愛を感じた原点は、惜しまれつつ閉店した表参道の名店、大坊珈琲店さん。

大学時代授業をサボってフラフラと歩いていたときにふと見つけ、その後20年近く何度行ったことでしょう。

246に面した小さな2階建ての建物。1階が文具店の脇の小さな階段を昇ると、ドアの前にいつも枝物が生けられていました。

どんなに忙しくてもドアを開けると、そこにはいつも同じ空気が流れていました。静まり返っているわけでもなく、商談中の男性たちも結構いました。夕方は営業途中の男性たちが疲れた顔で煙草をくゆらせていたものです。

今みたいに写真を撮り、投稿する文化が存在しない時代、「大人」が多く、いちいちうるさくない、そんな時代でした。

店主の大坊勝次さんは、いつも静かにうなずきご挨拶してくださいました。

珈琲は、濃さとグラム数で1番から5番まであり、わたしはいつも3番。

竹さんのチーズケーキとぶどうジュースもたしかメニューにありました。思い出すと記憶がどんどん鮮やかになってきます!

勤めていた頃、近くに行くとほんの15分であれサッと立ち寄ったり、友人と飲んだ帰りに寄り、時にウィスキーを飲むことも。

壁には大坊の店内をモデルにしたと思われるちょっと暗めのトーンで描かれた女の子がカップを持っている絵(記憶がうろ覚えですが)が掛けられていて、本棚には時代小説や海外の推理小説がたくさん並んでいました。

後から生前向田邦子さんも訪れていたと知った際には、もっと早い時代に生まれたかった!と思ったものです。


結婚を機に東京からしばらく離れていたわたし、しばらく前に東京に戻り、やっと大坊珈琲店に行ったあの日、2週間ほど前に閉店したことを告げる店先の張り紙を見た時のショックと言ったら!!

その後、ほぼ日で大坊さんが糸井重里さんと対談しているのを見かけましたが、ビルの老朽化だったのか、大坊さんがあのままやり続けることはできないと思ったとか書いていたように思いますが、もうあの場所でのあのお店は永遠に存在せず、思い出すしか術がありません。


さて、珈琲屋に思いを馳せた今日は、気の赴くままに歩き、偶然見つけた神社を何件か周りましたが、下町にはまだまだ伝統や風習が良い形で残っていると感じました。

わたしがよく訪れる4駅先の神社では初詣を密にしないように注意書きが貼られていましたが、蔵前のお店では店先に「初詣は〇〇神社で」と書かれた紙が掲示されていました。大事ですよね☆


あなたは珈琲がお好きですか?

それとも紅茶?

今日もお読みいただき、ありがとうございました。




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