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vol.15:私たちの人生は〇×クイズではない

皆さま、明けましておめでとうございます。障害者家族エッセイストの川島田ユミヲです。

いや~~~~~~~~~書けなかった~~~~~~~!!!!

職場の移転に伴い、かなり仕事優先な2021年秋~冬を過ごしていたので、とにかく体力を消費しては回復させ、を繰り返しておりました。
リニューアルオープンして間もなく3ケ月。新しい場所にも少しずつ慣れてきたし、こちらの方も少しづつ再開させて頂きます。
という事で、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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これを書いている今日は、1月6日。東京でも雪がしんしんと降っている。
年末からだいぶ冬が本気を出してきており、木造2階建て築40余年の我が家は外の冷気を存分に吸い上げて、キンッキンに冷えてやがるのです。そりゃもうキンッキンに。エアコンの温風すら冷やしていくので、もはや “木造の家” ではなく “木製の天然冷蔵庫” だと認識しています。

寒さで歯ァガタガタいわしながらnoteの下書きをしていたら、ある記事が目に留まった。

乙武さん。乙武さんの記事は定期購買して、いつも拝読させて頂いている(ぜんぶは読めてないけど)。

↑の乙武さんの記事をきっかけに、芦屋市議会議員の長谷基弘さんと言う方を知り、更には週刊文春にドカーンされてしまった事も知る。

ちょっと待ってほしい。
もし文春の記事を読んで
「車椅子に乗っているのに、歩けるやないかーーい」
と思ってしまった人は、その考えをちょっと置いておくなり、ポイっと投げ捨ててほしい。

長谷さんの詳細に関しては、乙武さんの記事の無料部分にわかりやすく書いてあったので、そちらを参照して頂きたい。もとい、この乙武さんの記事単品購入でもいいから、是非購読して最後まで読んでほしいし、なんなら全国に数多いる車椅子ユーザーの人の記事なりSNSなり、読んだり観たりしてほしい。

私の知人にも何人か車椅子ユーザーがいる。その中でも、LIVEで何度かお会いした程度の人なので、知人面するのは恐縮なのですが

産科麻酔科医であり、メディアアーティストの「みおしん」さん( ↑ サムネ画像向かって左)

みおしんさんは、線維筋痛症慢性疲労症候群があり、働くうえで体力を温存するために車椅子を使っている。上記YouTubeのリンクは、みおしんさんと、近距離移動を目的とした次世代型電動車椅子の開発・販売・レンタルなどのサービスを提供している「WHILL株式会社」のマーケティングコミュニケーション部に所属され、ご自身も車椅子ユーザーである木戸奏江さんとの対談。動画の中で印象的だったのが

「私が悩むって言った時に皆さんが思い浮かべるのは「自分はなんでこんな病気になっちゃったんだろう…」って夜ひとりで思い悩む、とかじゃなくて「今日お風呂で転んで痛かった、じゃあ何で転んだのか、手の置き方が良くなかったんだな、じゃあどうしたらいいだろう?」という、ライフハックに繋がる事を考えている事が多い」

「病気が進行して辛い、とか、病気が発覚して苦しかった、ではなく、これからどう対応していこうかな?という考察やシミュレーションをする事が多い。その意実態を知らないから「病気=かわいそう」と思われちゃうんだろうな、と」

「私たち(車椅子を使う)当事者側と、周りの(いわゆる健常者の)方々の “ イメージ ” と戦っている」

出典:上記YouTube

そう。車椅子ユーザーの皆さまとの関わりや、SNSの投稿などを見ていて思う事は、みんなめちゃくちゃ視野を広げて、可能性を探して、色んな事を試して、自分が過ごしやすい環境を作り上げてる、という事。

芦屋市議会議員の長谷さんだってそう。

芦屋市議会にスロープを設置したり、ユニバーサルデザインやバリアフリーの観点から都市計画を進めるよう働きかけたりと尽力している。

出典:文春オンライン

え、これすごくない?公共の建物にスロープつけるってそんなに簡単な事じゃないだろうし、自分の提案が通るようにきっとものすごく考えてプレゼンが通ったわけでしょ。
プレゼン通すってどんな事でも簡単な事じゃないから、長谷さんがそのために費やした時間や行動は、きっと我々の想像以上だと思う。

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全く歩けない人以外にも、歩く体力が限られている人だっている。個体差ってみんなあるはずでしょ?

自立歩行と車椅子を自分の身体と相談して使い分けている当事者がいるって事が(文春の記事の書き方は全体的によろしくないけど)、これをきっかけに

「車椅子=まったく歩けない人が使うもの」

だけではなく、

「車椅子は、必要としている人が使うもの」

という認識に、少しづつでもグラデーションがついていけばいいなと思いました。

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車椅子つながりで、ひとつ個人的に。

ご縁あって知り合うことが出来た、海老原宏美さん。写真中央、人工呼吸器をつけている女性だ。
すごく良い意味でドライでサッパリしており、側から見たらそこそこ深刻な事でも、ユーモアを交えて明るく話す。日本酒が大好き、あと海外旅行も大好き。マンホールのカードも確か集めてたような気がする。そんな多趣味な海老原さん。
いつもは、えびさんと呼ばせて頂いている。

「脊髄性筋萎縮症Ⅱ型」という進行性の難病を抱えて生まれ、医師からは「3歳までしか生きられない。一生歩けない。」
と言われていたそう。見放されたも同然の状況から、お母さまをはじめご家族が生活環境の整備や様々な努力を重ね、脳や目からの刺激をえびさんに与えることによって、Ⅱ型でありながらも経過が良好だったそう。ずっと電動車いすに乗って、3歳までと言われた寿命をはるかに飛び越え、前述した通り国内外を飛び回り、NPO法人 自立支援センター東大和における様々な活動や講演会、ドキュメンタリー映画の出演、本の出版など、など、めちゃくちゃアクティブに暮らしていた。

一昨年頃から心不全であったり、身体の状態がだいぶよくなかったえびさんは、今のご自身にとっての最善策を探しに、北海道の病院へと旅立って行ったのが、およそ2ヶ月前の昨年11月。
えびさんのFacebookには、毎日欠かすことなく入院記録が投稿されていた。

えびさんは、昨年の12月24日、クリスマスイブの夜に亡くなり、2日後に、荼毘に付された。

長い事会えない状態での訃報に接すると、なんか本当に、実感がわかない。それこそ、お別れの会などが開催されて参加した時に実感するんだろうな。

えびさん。今どうしてるかな。まだ日も浅いし、ちょっとまだ魂が住んでいた東大和市らへんを、飛び回っているかな。
「これやっといてね!」「あれお願いね!」
とか、お仲間にお仕事の引き継ぎしてそうだな。一緒に暮らしてたオカメインコのぽーちゃんのそばで、色々お話したりしてるかな。天国に行ったら、たらふくお酒を飲めるといいな。

私ができることは、えびさんという素晴らしい人が生きていた事や、えびさんが出版された2冊の本を色んな人におススメして読んでもらうこと。
あとは…

えびさん家にお邪魔したときに食べた直伝のネパールカリーを、このレシピ通りに作ることだな。

長い間、ご自身の身体や様々な事と戦い、向き合ってきたえびさん。本当に本当にお疲れさまでした。もう会えないのは寂しいけれど、さよならは言いません。ありがとう。ずっと大好きです。

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えびさんも、みおしんさんも、あと

これもえびさん界隈の繋がりで、弟のきよはると共に「東村山シャルソン」というイベントに参加したことがきっかけで知り合った、特撮ヒーローものやエヴァ大好きなガチヲタ(リスペクトを込めてます)車椅子ユーザーの、mitsuguさん。mitsuguさんは小中学校~大学に至るまで学校訪問で特別授業や講演をされている。noteのまとめに、過去に来訪した講演での出来事なども記されているので、是非読んで頂きたい。読み手もその授業を受けているような気持ちになって、自分のポリシーを再確認できる。
勝手にmitsuguさんとは共通認識を持っていると思っており、執筆されているnoteも頷けることが多い。


乙武さんも、伊是名夏子さんだって。

さまざまな事情で車椅子を利用して生きている人たちは、当事者とそうでない人たち、更には世の中に、どうやったらコミットできるか。どうやったら自分の半径500メートルの世界がフラットで過ごしやすくなるのか。そのためにどうしたらよいかを、常に考えながら暮らしている。

私が弟のことを話すのだって、そう。

「障害がある=かわいそう」「普通のことが出来ない=大変そう」

って、思われないようにしていても “障害がある・病気がある” というだけで悲観的に捉えられてしまう。じゃあ、そこをどのようなワードチョイスで、どうプレゼンしたら、悲観的にならないだろうか?そんなことを日々考えながら暮らしている。まさにみおしんさんが動画の中で言っていた「私たちは常に “イメージ” と戦っている」が、ものすごく腑に落ちる。

人間なので "主観“ と "客観“ はどうしても持ってしまう。それは仕方がない事だと思う。
でも、自分にとっての「当たり前」は、誰かにとっては「当たり前ではない」のだ。〇×クイズに例えるならば、正解が〇なのか×なのかは、自分の中で決めることであって、誰かに「絶対に×だ!」「〇でなければいけない!」と押し付けるのは、ナンセンスだと思う。

その事に気付いていない人は、まだまだ世の中にたくさんいる。ごまん、いやごひゃくまんといる。

誰かの振りかざす当たり前を目の当たりにする事で、それについて疑問を投げかける人がいる事で、今日も私は生かされている。
でもなるべくなら、当たり前は振りかざさずに、どうか別の言葉に変換してパスして欲しい。
そうしてキャッチボールを繰り返して、私たちは生きていくのだから。

<完>

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最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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ハードルがあるのは障害者だけじゃない。「私たちは健常者だから」と言うそこのあなただって、職場や家族間での対人関係だったり病気したり大変な事(ハードル)が沢山あるでしょ?という意味で、エッセイのタイトルは「世の中全員、障害者。」と言います。おススメ&サポートして頂けたら嬉しいです。