2023年筑波大学日本史第2問答案例

答案例①
 鎌倉幕府の御家人の所領は、治承・寿永の乱の最中に源頼朝に対し、奉公の軍役を務めた武士に対する御恩として、地頭に補任する形で与えられ、寿永二年十月宣旨や文治勅許により、朝廷から公的に認められた。御恩には先祖代々の所領の支配を保障する本領安堵と、謀叛人などから没収した所領を新たに分け与える新恩給与の2つがあり、奥州合戦、承久の乱などの際、活躍した御家人は恩賞として新しい所領を獲得した。御家人は散在する所領を惣領中心に一族で分担して経営したため、所領の相続は当初、嫡子だけでなく庶子も相続する分割相続が一般的で、女性も財産分配の対象とされていた。しかし、分割相続の繰り返しによる所領の細分化は御家人が困窮する要因となったため、元寇の前後から、御家人は相続方法を嫡子の単独相続に切り替えていき、女性の相続も一代限りとする一期分が多くなった。困窮した御家人の中には所領を売買や質入れで失う者も増加した。(398字)

答案例②
 鎌倉幕府の御家人の所領は、治承・寿永の乱の最中に源頼朝に対し、奉公の軍役を務めた武士に対する御恩として、地頭に補任する形で与えられ、寿永二年十月宣旨や文治勅許により、朝廷から公的に認められた。御恩には先祖代々の所領の支配を保障する本領安堵と、謀叛人などから没収した所領を新たに分け与える新恩給与の2つがあり、承久の乱で活躍した御家人が恩賞として新しい所領を得たことで、当初、東国中心だった所領は畿内・西国に拡大した。御家人は散在する所領を惣領中心に一族で分担して経営したため、所領の相続は当初、嫡子だけでなく庶子も相続する分割相続が一般的で、女性も財産分配の対象とされていた。しかし、分割相続による所領の細分化は御家人が困窮する要因となり、元寇の前後から、嫡子の単独相続も見られるようになり、女性の相続も一代限りとする一期分が多くなった。困窮した御家人の中には所領を売買や質入れで失う者も増加した。(399字)


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