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私が目指しているのは「不登校支援」ではない?!

私は息子の不登校克服をきっかけに心理学に興味を持ち、大学で心理学を学ぶことを決めた。そして将来的には不登校支援がしたいと思っていた。

でも、ずっと自分の中で何か引っかかるものがあった。

もちろん私自身も当時はどうしていいのか分からず悩んだからこそ、今、目の前に同じように悩んでいる人がいたら、少しでも私の経験や知識からお手伝いできることがあればと思う気持ちは変わらない。

ただこれまで学んだり、言語化してきた中で、最近この引っかかるものに気づいた。

それはまず「不登校支援」という言葉自体がなんかしっくりこなかったのだ。なんだそのこだわりは!と思う人も多いかもしれない。

「学校へ行けていない子」を支援する。もちろんそれも大切なことに変わりはないが、私がやりたいのはその範囲にとどまらない。それは学校に行けているか、行けていないかの問題ではないと思っているからだ。

学校に行ってはいるが心配な子もいるし、行けていなくてもこの子は大丈夫と心配ない子もいる。それは子どもだけではなく、親も同じである。我が子は学校には行っているけど、何に対しても無気力でなんか心配…という親もいれば、うちの子は学校には行けていないけどあらゆる学びの場を確保して、この子は大丈夫!生き抜く力を持っていると信じ切れている親もいる。

となると、学校に行けている、行けていないの問題ではないのではないだろうか。子どもだって楽しく学校に行っている子もいれば、苦しいけど居場所がないから学校に行っている子もいたり、学校へは行けていないけど将来の夢に向かって頑張っていたり、自分に合った場所で楽しく活動している子もいたりと形は様々だ。学校に行っていれば安心、行けていないから心配と単純に分けられるものではない。

私は、親子共々、今の状況に幸せを感じ、未来に夢を抱けるお手伝いをしていく!

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