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#330 児童・生徒を「守る」ルールとは何か

朱に交われば赤くなる

という諺があります。

 人は自身のいる環境に少なからず影響を受ける。自分自身のありたい姿を求める時、そこに向かうモチベーションを支えてくれる人たちが周りにいることは非常に大切です。学校が児童・生徒の学びの場であるならば、彼らの「学び」を促すための環境作りは大切であり、そんな環境を維持するために何かしらのルールを設定しなければならないこともある。

 一方、今現在学校に存在するルールの多くは、本質的に彼らの学びの環境を守るルールとして存在しているのか非常に怪しいものがあります。例えば服装や化粧に関するルールは、本質的には「学び」に関係ありません。どんな服装でも、化粧をしていても、「学び」に対して一生懸命になれる。服装・化粧のルールを正当化する教員の意見としては服装や化粧に時間を費やしていると、学びの時間を奪われる。本来、服装や化粧に興味がなかった人が、興味がある人に影響を受けて、学習に集中できなくなるというものがあります。

 言っていることは何となくわかる。しかしそこに違和感を感じる。その違和感の正体は何なのか。1つ目は、学びとは世の中全てを対象とするのだから、服装や化粧に気を遣うことによって学ぶこともある。その学びをルールによって禁止することは、ある種の思想統制に他何らないと感じること。2つ目は、結局そのようなルールは児童・生徒のためではなく、学校・教師が「管理」しやすいようにするためでしかないと感じること。

 本当の自分が目指すものがあるとして、それが自分の内なるものから来るのであるならば、結局そこに戻ってくるであろうし、それをしっかり教員が伝えることが大切なのではないかと。ルールに書かれているから守る、書かれていないから守らないというような、そんなレベルでは、そもそも「学びの深さ」など知れているなと思ってしまう。

 もちろん、児童・生徒は発達段階の中にいるわけで、いきなり全てを自分で考えろというのは難しい。ある程度の枠組みをまず作ることは大切だとは思います。しかし、それは決して教員側の都合や主観で決めてはならないと感じます。

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