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#530 「子ども」によって分断される社会

 私は独身で子どもはいません。だから、子育ての大変さを「実感」することはいまだにできていません。若手の教員時代に、ある保護者から、「子どももいないあなたに何が分かるの?」と言われたことがあります。それを言われてしまってはもう何も言えず、一人とても悔しい思いをしたことを覚えています。

 今となっては、それは自分が親になる(つまり子どもを育てる)ことについてより深く考えるきっかけとなった出来事でした。自分の子どもが欲しいと思っていても、できない人もいるでしょう。自分の子どもを所有物にする親もいる。子どもがいる・いないというのはパートナー同士の選択と、たまたまの偶然がなせる奇跡。そんなことを思いながら今私は生きています。

 日本の社会問題として少子化があります。様々な価値観の変化や経済的問題により、今子どもを持たない選択をする人たちが増えています。政府にとって、国の人口の減少は一大事だとして、その原因を経済的側面に求めて、異次元の少子化対策なるものを実行しています。

 そんな中、「子持ち様」という子育て家庭を揶揄するような表現が出現していると言います。その感情がどこから生まれるのかを拓殖大学教授の佐藤一磨氏が解説をしている記事を見つけました。

 

 現在の子育て世帯は現はたった18%と少数派であり、。子どもを育てたことのない大人が激増していることは子持ち様批判を加熱させる一つの要因となっていると指摘。その上で、
増加する非子育て世帯が子育て負担の外部化によって影響を受けた際、SNS等でその意見を共有しやすくなったことが「子持ち様批判」につながったと佐藤氏は推測しつつ、その解決策として以下のように語っています。

 現在の「子持ち様批判」の背景には、社会環境の変化によって「子どもを持つ人々」と「子どもを持たない人々」の経験や価値観が共有されづらい点が影響していると考えられます。「子どもを持つ人々」には、子どもを持たなかった場合の人生の経験や価値観、そして「子どもを持たない人々」には、子どもを持った場合の人生の経験や価値観が相互理解されづらい環境にあるわけです。
 昭和から平成初期にかけては、皆婚社会であったため、子育てを経験する人も多く、相互理解が得られやすかったと考えられますが、今の日本社会では難しくなってきています。この課題に対処するためには、相互理解を深める機会の拡大が必要です。例えば、高校・大学等でのキャリア教育の中で、子どもの有無によって取り巻く環境の違いを理解できるよう取り組みを進めていくことが考えられます。さまざまな方法を用いて、「自分の選択しなかった人生」への理解を深めることが解決策のカギとなるでしょう。

 ここで自分の両親のことを考えます。私が生まれたのは両親が結婚して10年も過ぎていた頃でした。当時はまだ不妊治療というものも一般的ではありません。彼らの兄弟姉妹に子どもが生まれる中で、子どもができないことに不安を感じたこともあったそうです。一方、私が生まれて、さあhappyかというとそうでもありません。私は生まれてからすぐにアトピーにかかり、そんな状態で仕事の関係で西ドイツに移住。異国の地で、情報も十分にない時代に、初めての子育て。その後も様々な困難を乗り越え育ててもらいました。

 「子持ち様」という言葉が出てくるほど、今の日本の人々は病んでいるのかと思う。自分もまた親に育ててもらい、その中でみんな必死に生きてきた。もっと優しい社会になって欲しい。そんな気持ちです。

 


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