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Vol.0 - 自己紹介『生き地獄から立ち直ったサラリーマンが自己セラピー兼ねて楽曲制作』

初めまして。IRAKAと申します。

初回なので自己紹介を兼ねたご挨拶だけになりますが、少しでも私の背景を知っていただくと、今後公開させていただく楽曲の味わいもいくらか変わってくると思いますので、お時間のある方はお付き合いいただけると幸いです。

生き地獄のはじまり

さて、まずは私が味わった生き地獄について、事細かにお話しする勇気がまだないので、さわりのみでご容赦ください。(のっけから出鼻をくじく形で申し訳ないですが、歌詞からご想像いただくのも一興、ということでご勘弁願います…)
事の経緯を要約すると、自分の命よりも大切なものをある日突然失った、というものです。ありきたりな悲劇ですが、まさか私の人生にそんな大事が降り掛かろうとは夢にも思わず(これまたありきたりですね…)そのショックは相当なものでした。

自分が認識していた現実がぐわっと歪んで、文字通り膝から崩れ落ちました。しかし、ここでそのまま崩れて動けなくなってしまっては、家族を支える者が(精神的にも経済的にも)いなくなってしまう、それだけは避けなければならない、その一心で自分を奮い立たせ必死に生活を維持しました。
ありきたりな悲劇でも、私にとっては到底受け入れることの出来ない惨禍でした。明日、目が覚めれば何事もない日々に戻っているはず、奇跡が起きて全てが元通りになるはず、そんな馬鹿げた妄想を本気で信じていました。というより、信じなければ自分を保てませんでした。

自省と自責

そんな日々を過ごしながら、過去の自分の選択、行動をひたすら後悔し、自分自身を責めました。あの時こうしていればorしていなければ、いわゆる「たられば」ですが、そんな思考は何の意味もないと頭では理解していても、心は暴走を続けました。自身の性根を憎み、己の遺伝子を恨み、全ての元凶は自分自身であると、悲劇を招いたのも自業自得だと考えるようになっていきました。

そして自己嫌悪と自己卑下がどんどん膨らんでいきました。自分はなんてくだらない人間だろう、人様に迷惑をかけていることに気づかず自己評価はやたらと高い害悪そのもの、だからこんな悲劇に行き着くような人生を歩んできてしまったのだ、全ては自己責任ではないか、という具合でした。
過去、私の人生に登場した人々や出来事が次々と思い起こされ、あの時は嫌な思いをさせてしまっただろうな、傷つけてしまっただろうな、なんて自分は無神経な人間だったんだろう、自分は皆の優しさのおかげで生きてこられただけなんだ、と連日思いを巡らせては自身に対する嫌悪感を積み重ねていきました。

やがて、自分なんて人間はどうでも良い存在、死んでしまいたい、と自暴自棄な感情も芽生えてきました。人生というものが、こんなに辛い思いをしなくてはならない代物なら、いっそ死んでしまったほうが幸せだろう、死んでしまえばどんなに楽だろう、と本気で考えていました。

ですが、前述の通り私には死ねない(というより生活を維持しなければならない)理由があり、そして何より自ら命を断つ勇気もなく、とにかく奇跡を信じながら、日々の営みを全うすることだけに注力し、生きることを続けました。
そして毎日、布団に入ると自省と後悔に身を沈め泣きながら眠りにつき、そして目が覚めると何も変わらない現実が無情に始まることに恐怖する日々を繰り返しました。

色のない生活

そんな生活を続けていると、やはり心は死んでいくものでした。簡単に言うと、“楽しみ“を一切排除した暮らしになっていきました。食事は最低限摂取できれば良い、買い物も生活必需品のみ、娯楽はゼロ、といった具合です。(睡眠は十分過ぎるほど取っていましたが、それは快楽のためではなく体調管理と現実逃避のためでした)
”楽しみ”のない暮らしになっていった理由は、単純に、こんな生き地獄の中で物事を楽しむ余裕などない、という側面が大きかったですが、その生き地獄の元凶である自分のような人間なぞには物事を楽しむ資格などない、という無意識での抑制もあったように思います。

そんな生きながら死んでいるような毎日でしたが、時が経つにつれて状況に慣れると共に心の整理も進んだためか、少しずつですが再び”楽しむ”ことができるようになっていきました。(悲劇に見舞われた人間の常套句として「時が解決してくれる」というものがありますが、私も御多分に洩れずそれを体感しました。厳密には解決にはほど遠く、”心のカサブタ”ができて少しずつ動けるようになった、というニュアンスが近いですが)
本当に小さなことですが、いつものコンビニ弁当だけじゃなくスイーツを付ける余裕ができたり、スマホアプリで漫画を読むこと(現実逃避の手段として大いに助けられました)ができるようになったりしました。

立ち直りのきっかけ

良くも悪くも生き地獄に慣れていく自分自身の変化を恐る恐る受け入れながら、少しずつ”楽しむ”の範囲を広げていくような日々でしたが、ある日私にとって劇的な出来事が起こりました。

当時は暗闇で眠ることができず、音声をミュートしたテレビをつけたまま就寝することが習慣化していましたが、だんだんと就寝時以外の時間もテレビを見るようになっていきました。(ちなみに”悲劇以前”の生活では、在宅時は就寝時以外基本的にテレビはつけっぱなしで、お笑い系の番組を主に視聴していました)
とはいえ”悲劇”をフラッシュバックさせるようなコンテンツに遭遇することは避けたいので、比較的無味無臭な番組の多いイメージであるNHK(近年は全くそんなことはないですが)を主に映していましたが、その日は運悪く”悲劇”に近い内容の番組が放送されていたため、民放をザッピングすることにしました。

その時目に留まったチャンネルが、千鳥さんがMCのお笑い番組でした。特にお笑いを見たい気分でもなかったのですが、以前の癖というか、他チャンネルで目ぼしい番組もやっていなかったので、なんとなく時間潰しという感じで試聴していました。
そうこうしているうちにニューヨークさんのコントが始まりました。恥ずかしながら当時(2020年)はニューヨークさんのことは名前くらいしか存じておらず、全くノーマークの状態で画面を見つめていましたが、たまたま私の嗜好に合致した勢いのあるネタだったため、意表をつかれ思わず「フフッ」と笑いが込み上げました。

声を出して笑えたのは本当に久々のことでした。なんだか涙も出てきました。生き地獄を経験して、自分は心から喜んだり楽しんだりすることはもう一生できないだろうな、と思っていましたが、そんな自分に”楽しむ心”が戻ってきたことに安堵しました。何と言うか、「ポジティブな方向に心を動かしても良いんだよ」と神様にでも言われたような気持ちになりました。
泣いたら肩の力がスッと抜け、番組終盤まで笑い、その瞬間を”楽しみ”ました。

側からすればなんでもない出来事ですが、私にとっては非常に大きな転機であり、この生き地獄の最中でも、私のような人間でも”楽しんで良い”んだ、と思えるきっかけになりました。

心の声に従って

それから程なくして、大好きな音楽も少しずつ聴けるようになっていきました。
以前は、通勤時や昼休みはもちろん家事をしながらなど、可処分時間のほとんどを音楽と共に過ごしていました。ですが生き地獄の最中では、辛い思い出とその時に聴いていた音楽がリンクしてしまうこと、楽曲に対してネガティブな感情を抱いてしまうことを恐れて、能動的に音楽を聴くことができなくなっていました。(事実、車で移動する際はごく小さい音量でラジオをかけていたので、ラジオから流れる当時のヒットソング等は受動的な形で聴いていましたが、灰色の景色と共に数曲は今でもくっきり思い出せます)

少しずつ大好きな音楽を取り戻す日々の中で、自分が音楽を聴く姿勢に変化が生じていることに、以前より歌詞を重視して聴いていることに気がつきました。(以前はむしろ歌詞軽視派で、好きなアーティストも9割方洋楽でした。ちなみに英語はからっきしです)
アプリで漫画を読んでいる時もそうでしたが、自分の境遇にどこか当てはまるような、共感できるコンテンツを無意識のうちに探してしまっているのだな、と自身を俯瞰して思いましたが、感情に素直に従い音楽を”楽しみ”ました。色々な曲(歌詞)を自分の都合の良いように受け取り、時に励まされ、勇気づけられ、10代の頃に聴いていた曲も当時とは異なる解釈で聴くことができたり、以前とは少し違う視点で音楽と接する日々が続きました。

そしてやがて、自分の中に一つの願望が生まれました。


「自分が経験したことを自分の音楽で表現してみたい」


そんな大それた願望を抱くことになった理由は3つありました。

  1. 人生、一寸先は闇ということを痛感した。どうせなら今後の人生は、本当にやりたいことを、可能な範囲で、できるだけ速やかに叶えていきたい。

  2. 熱心な音楽ファンとして20年以上、良質な音楽をインプットしてきた自負がある。今度はそれをアウトプットしてみることに、自分の音楽がどんなものなのかトライしてみたい。

  3. 自分が味わった生き地獄の経験を、何かしらプラスへと変換したい。その結果として、できれば誰かの役に立ちたい。

1.は、ここまでお読みいただけた方なら、すんなりご理解いただけるかと思います。(ここまでお読みくださり本当にありがとうございます)
時間は無限ではないし、人間は老いるし、生命は不滅ではない、という当たり前を強く認識し、生きているうちに形に残るような何かがしたい、という想いを抱くようになりました。
2.は、生き地獄のはるか以前よりなんとなく考えていたこと(根拠のない自信…)ですが、貧乏暇なしのサラリーマン生活ではトライするタイミングも気力もありませんでした。ある意味、悲劇が起爆剤となりました。
3.は、「どえらいマイナスを味わったのだから、残りの人生においてどうにかプラスを得たい」という貧乏被害者根性と、生き地獄の最中で様々な方々に助けられた経験をいつか社会に還元したい、という感情がないまぜとなった発露です。

この3つを総合したものが、私においては「自分が経験したことを自分の音楽で表現してみたい」であった、という訳でした。
当時夢中になっていたコンテンツ(左ききのエレン、や、ワンルームミュージック、など)に触発されたり、タイミングよくiMacを手に入れることができたり、コロナ禍で在宅勤務になり可処分時間が増えたり、など、色々なファクターに後押しされた背景もありました。が、生き地獄を経験して「自分の心の声にできるだけ素直に行動して生きていきたい」という考えが人生の指針となった、というのが一番大元の原動力でした。

おねがい

そういった経緯で私は、パソコンを相棒にDTM制作を始めることにしました。

さて、予想よりもかなりの長文になってしまい大変申し訳ございません。ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
私と同じように逆境や不幸に苦しんでいる方へ、少しでも慰めや励ましになれば、あなたにとって何かしらプラスとなることがあれば、何よりです。
私と同じようなDTM初心者やこれからトライしてみようと思っている方へ、何かヒントや参考となる情報があれば、幸いです。(ちなみに私のDTM歴は、2023年3月時点で1年3か月です)
どちらでもないけれどなんとなく興味を持っていただいた方へ、本当にありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたなら、大変光栄です。

そして、よろしければ、今後公開する楽曲を聴いていただけると嬉しいです。


---2023年3月25日追記---
タイトルにある「自己セラピー」について、本文中で触れていなかったので、こちらで補足させていただきます。
これは作詞作曲を始めてみて気づいたことですが、制作活動をすることでメンタルが安定することに気がつきました。
自分の好きなことに打ち込むことでストレス解消、という面もありますが、それよりも大きな要素として、自分の内なるものを吐き出すことによって、他人に話(愚痴)を聞いてもらうことに近い効果(発散)があるんじゃないかな、と思います。
ですので、悩みや苦しみを抱えているけど、話を聞いてくれる人がいない、とても他人に聞かせられる話ではない、という方は、何か制作や創作をすることを強くお勧めします。
(誰に見せるものでなくとも良いですし、いざとなったら私のように匿名で公開することもできますしね)

Best regards
IRAKA


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