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iPhone受難とHSP

iPhone12が登場したというのに、いまだにiPhone7を使っています。私には実用上7で十分なのです。車はフランス車を10年乗り続けていますし、PCはiMac (27-inch, Late 2009)を改造しながら使い続けています。単に物持ちがよいだけなのかもしれません。

iPhone受難のひとつめは、経年劣化に加え寒い季節になってバッテリー性能が著しく低下したことです。バッテリー交換をアップルに任せるとしばらく使えなくなるので現実的な解決策にはなりません。自分で交換するスキルはありますが、壊すリスクや入手できるパーツの信頼性に疑問があることを考えると躊躇してしまいます。残る選択肢は修理専門店になりますので、Apple正規サービスプロバイダを謳うカメラのキタムラに依頼することにしました。この時期に2時間ほどで点検とバッテリー交換をしてくれるのはありがたいことです。

受難のふたつめは、12月に入る頃からiPhoneが指紋認証を受けつけてくれなくなったことです。認証できないため毎回パスコードを要求されるのは少し厄介です。最初は戸惑いましたが、自分の指を冷静に見つめると納得してしまいました。頻繁にエタノール消毒を繰り返すうちに指が荒れて指紋が薄くなっていたのです。iPhoneのせいではなく、自分の指の状態が悪くなっていることが指紋認証できない原因でした。

少し飛躍しますが、iPhoneの指紋認証システムと指紋との関係に似たものが、私たちの世界にもあるようです。

誰かの視点に過敏に同調して物事を判断したり、誰かの思考の認証を受けようとするあまり、自らの内面が変容していくことに気づかないまま、当惑や葛藤を感じてしまうことがあります。このことはHSPの特質に似ていますが、一面的なものなので、断言はできません。

そう考えながら我が身を振り返ると、自分にHSPの気質があるのではないかということに気がつきました。HSPは先天的なものだと言われますが、後天的な要素を考慮する必要がないのでしょうか?いずれにしても、我が家のファミリーヒストリーを検証してみるつもりです。

私は母親のセンシティブな人柄を受け継いでいます。父は温厚で優しい人でしたが、ポール・オースターの "The Invention of Solitude"(『孤独の発明』)に登場する父親のように、不可思議なものが父の心に潜んでいました。当然ながら、そういう父の心も私に引き継がれているでしょう。

HSPといわれる人々は、至極まっとうな考え方や感受性を持っていると思います。さらに飛躍した推論になりますが、彼らが呻吟しながら生きる環境そのものが、逆にもっとHSP的あるいはスキゾイド的であるように、私には感じられます。なぜなら世界は様々な人間で構成され、複雑な様相を呈しています。そういう状況下で、人の気質や関係性について考えることはできても、明確な結論を導き出しすことが難しいからです。定説といわれているものが私たちの思考を麻痺させることにも注意を払う必要があります。

iPhone受難からまとまりのない分裂症的なnoteになってしまいました。どうも思考の羅針盤が狂ってしまったようです。

以上の悪文をもって、2020noteを締めくくります。2021はもっとシンプルな表現法でお伝えできることを夢見ています。



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