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日常に隠れる『平和』を見つめる〜文化的平和を~

昨日、市民カレッジでの
最終回となる『新・平和学習のあり方を考える』が開催されました。

ぼくもファシリテーターを務めさせていただき、
5回講座の最終回となる今回は、受講者の皆さんの声を共有していく回となりました。

講座前となる、昨日の朝に書いた記事です。

コメンテーターに、
北九州市立大学名誉教授の中島先生にご登壇いただき、
ご自身の平和に関する活動や、時点ごとに、学問的な捉え方など、とても貴重なお話をいただきました。

左:中島名誉教授、右:ファシリ兼板書の入門


この5回シリーズを企画し、運営いただいたコーディネーターは、
現:東戸畑市民センターの渡辺館長さんです。

戦後69年に八幡東区にて、八幡大空襲の歴史を掘り起こす活動を始められました。市民が犠牲になった戦争の事実を、当時を知る住民の皆さんから聴き出す活動を展開されました。
一方で、時間の流れとともに、段々とその「語り部」がいなくなっているのも事実です。この取組みにおいては、待ったなしとも言えます。

冒頭で趣旨等を説明する渡辺館長

これまでの4回は、インプットの講座でした。
平和に関わる活動者の皆さまの想いや活動内容を学んできました。
最終回の今回は、受講者の皆さんの声を共有していく回と設定しました。

・参加した動機や、日頃の想い。
・平和に関する活動での現状の課題や悩み。
・そして、これから

そんな3テーマに分けてトークセッションを繋いでいきました。


会場全体での受講の皆さんも交えたトークセッション


平和活動の現状・課題

慰霊祭の場面、隣りにいた参加者から漏れ聞こえてきた声。
「年々、寂しくなるねぇ・・・」
行政や議員さんなどのお偉方が出席されております。
遺族の皆さんなども参加しておりますが、年々高齢化していきます。
そして若い世代はおらず、段々と出席者が少なくなっていく現状で、出てきて言葉だと思います。
この言葉に象徴されるように思います。

一方で、暮らしのなかで、戦争を忘れてきて、また、平和ということを考えもしなかったという受講者の声。
そして、ウクライナでの戦争も始まり、改めて、平和を実現するには、ぼくたち市民・国民にできることはないのか、どうすれば良いのか。政治・政策の選択だってそうです。考えていかねばならないけど、答えが分からない。そんな漠然とした不安や疑問があります。

学校教育や公共の場では、平和や戦争というのは、取り扱いにくいテーマとなっています。
歴史認識のこともそうですし、グローバル化が進む中で、見る角度によって捉え方が違います。考えや思想が異なる人ばかりです。万人に認められる言葉選びしか公には発言できなくなっています。
そんななか、子ども達への教育としては、ありきたりなことしか伝えられない。時間が無い。場が無い。
体験していない、実感していない、子ども達やぼくたちは、『学び』の機会が無い限りは、見つめていくことすらありません。

受講者の中には、それぞれの地域などで、それぞれの角度で、平和について伝えたり、取り上げようとされている方も多かったです。
孤軍奮闘とも言える活動で、人の拡がりなくしては、達成できないテーマであるにも関わらず、苦労や不安を抱えておられます。



平和活動のこれから

どちらかと言えば、年々下り坂になっていっているテーマですよね。
過去を美化して、現在を卑下しても、これからは見えてきません。

世界や社会の状況を見ていると、今こそ、上り坂にしていかねばならないテーマのように思います。

そんな平和を実現、維持していくために、どうすれば良いのでしょうか?
講座の終盤で、「これから」について話していきました。

①『学び』が根幹であること

やはり、学びの場面が重要であるという意見が揃いました。
考えること、気付くこと、注目すること、感じること。

それらのきっかけになることは、やはり『学び』です。

これは『学校教育』だけに限りません。

家庭での話題にあがっていくこと。
友達どうしの話題にあがっていくこと。
地域で話題にしていくこと。

それは、『家庭教育』や『社会教育』の範疇にもなってきますが、そんな色んな場面にきっかけがあることが重要と思います。


②主体的な市民参画

時の政権などでの判断に戦禍に呑まれていきます。
よく分からないところでその判断が決まっている。
自分は関係ない、だれかがやってることで、自分はついていくだけ。
そんな風潮が強いように思います。

歴史の反省に学ぶと、人と人とが殺し合うような場面を国の総体として進んでいっていたようです。
そんな『文化的暴力』に対して、ひとりひとりの意見が汲み上げられているはずがありません。

多様性を認める社会をつくっていこうというブームです。
一人ひとりの様々なカラーの意見や声が届く、そんな社会を実現していけば、戦争なんて絶対に起こらないと思います。

『心理的安全性』という言葉もいただきました。自由に発言できること。それを恐れずにできること。自己を認めてもらえること。そんな社会を築いていかねばなりません。

そんな市民・国民の一人ひとりの声が汲み上がっていくような市民参画社会を目指していきたいです。
文化的暴力と戦う『文化的平和』を実現していかねばなりません。


③小さな平和から

前述の、学びや、参画など、小さな単位での活動・行動ですよね。
そうした集合体が社会をつくり、時代をつくっていくものだと思います。

否定し合うバッシング社会。
揚げ足取りの政治。
重要なことこそ知らず知らずのうちに決まってしまう。
二度とは引き返せない大問題にスタートをきってしまう。

大きなことも、小さなことも、積み重なって平和を脅かすものになりかねないと思います。

だからこそ、ぼくたちは、
小さなことから、コツコツと平和への道を歩んで実現しなければならないんだろうと思います。

自分たちの足元を知り、
祖先や先人たちを大切に想い、
未来へと願いを込めていくこと。

他者を思いやり、
争いごとを止め・防ぎ、
手を取り合っていける文化を醸成していきたいですね。
それは日常の些細なことから始まっているんだろうと思います。


皆さんの声を書き出した板書


『平和』は、日常の暮らしに隠れ、見えなくなってしまいます。

非常事態に陥れば、その平凡な暮らしも良き平和に見えて、振り返ることになるのかもしれません。
しかし、平和が崩れていってしまってはなりません。事が起きてからではいけません。

だからこそ、この日常に、暮らしに、平和であることに、感謝し、見つめていかねばなりません。
そんな当たり前のようなことを感じる機会となりました。


過去に習い、
未来を願うこと。

そんな根本的な想いに、
平和への一歩目が踏み出されているように思います。


参加者の皆さんとディスカッションして、
このまち、北九州で、
戦後78年。
未来への平和を願う一歩が刻まれたように思います。

また次の一歩を踏み出していきたいと思います。


今日もご覧いただきありがとうございます。


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