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いわし雲どれがわたしの母だろう

伊月庵通信2023冬号 百囀集 秀作
とある句会の「雲」というお題で詠んだ一句。参加者のお一人から「いわし雲と母親の死を取り合わせたのはなぜか?これではお母さんを大変つまらないものとみなしているように感じられるが?」という趣旨のご質問があった。私の答えは以下の通り。
「私の母は、心も体も大変弱い人間でした。鰯は魚へんに弱いと書きます。それこそ鰯くらい弱かったのです。ですから、母といわし雲との取り合わせは、私にとってごく自然なことでした。」
小さく弱い魚、鰯が、群れ成して大空を泳ぎ渡っていくさまを見る時、私は母の弱さを思う。いわゆる虚弱体質で、悪くないところはどこか?と思う位に病気という病気を経験した人間ではなかったか。しかしながら、見かけは朗らかな健康そのものの女であったのが、今でも不思議だ。見かけと内実との差異は母にとってはマイナスだったように思う。家族のだれからも体を労わられることなく、「弱みそ」と言われ、家内労働に従事してさんざんこき使われ、長患いの末に亡くなって、なおも娘に「鰯のようだ」などと思われる母。
その虚弱な体質を誰よりも色濃く継いでしまったのが私だ。三人の娘を産んだ母に、体つきも面差しも病弱であることも、精神的な弱さまでも、すっかり似てしまった。年を取ると親に似てくると言われるが、まさにその遺伝というものの恐ろしさ、残酷さを実感するこの頃。どうしてもっと頑健な心身に生まれなかったのかと酷く落ち込むこともある。
だが、母の葬儀の前日、葬祭場に運ばれる前の亡骸にお別れを告げに来てくださった方は、一人二人ではなかったそうだ。私はその場に居合わせなかったけれども、別れを惜しんで泣いてくださった方もいらしたと聞く。一体全体母の何がそのように周囲の人に愛されたのか、私にはわからない。最もその血を濃く継いでしまった実の娘は、葬儀に際して涙の一粒もこぼさなかったのだから。
いわし雲は秋の日差しに薄く輝きながら空を流れゆく。あの中に母を見て、他のどんな雲よりもいわし雲を近しく感じる私がいる。母を好きだったかと問われたら、答えに窮する。では、嫌いだったのか?と問われても困る。世の中には単純に白か黒かと切り分けられないものごとだってあるのだ。私にとっての母は、そのような存在と言えばいいかもしれない。

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