夜に捧げる愛の話①

夜が更けた。桃瀬遥は考えていた。
自分にはもう誰かを愛する力がないのかもしれない。
ないのは力ではなく運なのかもしれないが。
誰かを愛することができるというのは
とてもラッキーなことなのだ。
恋人ができることや結婚ができることが
幸せなのではない。
愛する誰かがいるということが
とてもラッキーで、幸せなことなのだ。

「ねぇ、あんたは誰かを愛してる?」
膝の上でクークーと寝息を立てるカートに聞く。
わたしが17歳の頃からずっと一緒にいるけれど
彼が誰かを愛しているという話は聞いたことがない。
カートは12歳の老猫だ。
よく行くショッピングモールの駐車場に
置き去りにされたショッピングカートの中で
それは大きな声で鳴いていた。その鳴き声が
「助けて」なのか「見てんじゃねえよバカヤロウ」
なのかわからなかったけれど、私は
「助けて」なのだと都合よく解釈し
家に連れ帰った。今でもカートの本音はわからない。
近所の動物病院に連れて行くと
生まれたばかりの雄猫だとわかった。
胃には何も入っておらず、
毛にはノミの1匹もいなかった。
どこで生まれたのか、兄弟は、両親は
そんなことを聞いてみたけど
カートはミルクでふやかしたカリカリを
食べてすぐに眠ってしまった。
猫にとってそんなことは些細なことなのかもしれないな、フカフカの毛並みを撫でながらそう思った。

夜、猫がいるのはとてもいい。
外は地球が呼吸するのをやめたように静かだ。
こんなときに猫の寝息が聞こえると
とても安心する。これは命の音だ。
ときおりゴロゴロと喉の音も聴かせてくれる。

暗く静かな部屋で今日もわたしは考える。
あの人は今どこで何をしているのだろう。
今も誰かを愛しているのだろうか。
そうだといい、と心から思う。
彼は優しくて、弱い人だった。
誰かを愛していなければ、そして愛されていなければ
生きていけない人だった。
だから私は彼を憎むことができない。
憎むことができないから、今も愛したままだ。

急に膝の上から重みが取れた。
まだまだ軽やかな身のこなしで
カートがどこかへ行く。
彼がいなくなったときもこんな風だった、と思う。
きっかけは何もない。思い立ったように、
彼はいなくなってしまった。
彼の言葉を信じるならば、私は悪くないらしい。
そうなれば私にはなす術がなかった。

カートがいなくなったおかげで
私はやっと体勢をくずし
ベッドに横たわることができた。
バサッ!と大きな音がする。
気の利かない新聞配達員が朝刊を運んできたようだ。
まだ外は暗い。夜よ、どうかもう少しそこにいて。
まだもう少し、愛について考えたいのよ。

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