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旦那は元犬に話しかける

江戸の時代にあった話。

蔵前(現在の東京都台東区蔵前)の八幡神社に、境内を頻繁にうろついている1匹の白い野良犬がいた。体の毛に差し色が一切ない、ほんとうの白犬だった。その毛の美しさから、周囲の者たちには、たいへんに可愛がられていた。

この犬は、人間になりたかった。

江戸の当時の言い伝えでは「真っ白な犬は人間に生まれ変わる」とされていた。
だから、頭を撫でに近寄ってくる参詣の客たちから
《アンタは真っ白だから、生まれ変わったら、次の世は人間になれるよ》
《いつも八幡様にいる、きれいなシロ公だねぇ。来世は人間だよ》
などということをこの犬は聞かされていた。
しかし、来世までは待てない。なれるのならば今世のうちに人間に変わりたいと思うようになった。だから、八幡神社に来る折には「人間になれますように」という願掛けを、この犬は欠かさなかった。


風の強いある日。
いつものように八幡様の境内をこの犬がうろうろ歩いていた。すると突然、とりわけて強い風が境内を吹き渡る。
犬は全身に強い風を浴びてよろめいた。その刹那、体の表面に異変を感じると同時に、自分の体の毛という毛が、すべて抜けていくのを自ら見てとった。

真っ白な毛のすべてを風が運び去ってしまった。
毛が無くなっただけでなく、あっという間に、自分が、人間に変わってしまった。
2本の足で立つことができる。尻尾がなくなっている。頭に触れてみると、人間のそれになっていることがわかる。そして「ワン」ではなく、言葉を話すこともできる。

願い叶って、この犬は人間になった。
そうなると、まずは早速、一糸纏わぬ自分の姿を何とかしなくてはならない。手水舎(ちょうずや・神社にある手を洗う所)から手ぬぐいを数本借りて、彼はふんどしを作って、局部を隠せるようにした。


人間になったということは、働かなくてはいけない。彼はそう思った。
ここは馴染みの場所、蔵前だ。よく餌をもらったり、しょっちゅう話し掛けられることのあった親切な顔見知りが多い。
その中から彼は、ある1軒の大店(おおだな・大きな商店)の店主を選んで、そこを訪ねることにした。

《ごめんくださーい。すみません。あのー、奉公したいんですがー。旦那様はいらっしゃいますかー?》
店主は応える。
《ハイハイ、どちら様ですか?。あぁ、これは色の白い、きれいな若い衆だねぇ。ふんどし1丁の姿で如何なすった?。とりあえず中に入って、奥へお上がんなさい》

この色白の若者に、まずは要らない着物を店主は与えてやる。しかし、元は犬だったこの若者は着物の着方がわからない。
《着物を着たことがないのかい?不思議な子だねぇ。おい女中さんや。この若い衆に、これを着せてやっておくれ》

裸足で歩いてきた若者に店主は着るものを与え、土の付いた足を洗わせてやった。
《これで少しは落ち着いたかい?それから、飯はまだなんだろう?お漬物と御飯がうちに残ってるから、それをお上がんなさい》

着物を着て、足をきれいにし、腹も満たされたところで、元犬の若者はやっと人心地がついた。
《ところで。旦那様。わたしは奉公(当時の言葉で就職を指す)がしたいんですが……》
しかし、あいにく店主のところでは下働きの小僧や女中は足りており、彼を引き取ってやることができない。なので旦那は、知り合いの店を紹介してやることにした。
《悪いがね、うちの店は人が足りてるんだ。でも、向こう横丁に私の同業の仲間がいてね。幸いこいつが、少し風変わりな小僧を店に欲しがってるんだ。お前さんなぞは、それにピッタリだから、わたしが話をつけてあげよう》


向こう横丁へ使いを遣って、旦那の同業の仲間の男が店へやってきた。さっそく元犬の若者についての経緯を聴き、この男は興味津々といったようすだった。

男は若者を見た。
《これはまた色の白い、正直そうな若い衆だなぁ。話は聴いたよ。お前さん、面白い子なんだってねえ。じゃあ、うちで働くかい?
ところで。体は丈夫かい?。あぁそうか、よろしい。では頼むよ。初めのうちは辛いかもしれんが、ちょっと辛抱しておくれよ》

仕事が決まって、若者はたいへん喜んだ。
2人の旦那に感謝の言葉をのべた。そして、今は尻尾のない尻を、彼はプルプルと小刻みに振り、旦那衆に飛びつくようにして、じゃれついた。
《まるでワン公みたいな子だねぇ》
風変わりな小僧を欲しがっていた旦那のほうは、この若者に、いよいよ興味を深めていった。

こうして、この若者は、晴れて住み込みの職にありつくことができた  —

〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜・〜〜


以上の文章は、江戸・古典落語の『元犬(もといぬ)』という噺(はなし)の始まりから終わりの手前までの部分を、私が要約して書いたものです。

親切な2人の旦那に助けられて仕事を得た「元犬」の青年が、その嬉しさのあまり、犬だった頃のように彼らに対し振る舞ってしまう ―  その滑稽な様子が物語のクライマックスになっています。

しかし、面白いのはそこまでで、この噺を最後まで聴き通しても、終盤については、特筆すべきところは残念ながら無いというふうに私は感じました。
犬だった頃のような振る舞いがさらにエスカレートして、旦那衆と元犬の青年、そして女中を交えてのドタバタ劇へと発展し、物語は終わります……


江戸を舞台とした古典落語のユーモアのあるストーリーとして、この『元犬』が、落語ファンに評価が高いことは知っています。しかし、この物語の中で私が感じ入ったのは、そこではありませんでした。

何よりも感銘を受けたのは、最初の店主から元犬の青年を紹介された商売仲間の旦那が、彼に向けて投げ掛けた、その言葉でした。

向こう横丁からやって来て、人間に変わったばかりの元犬の青年を紹介され、旦那は初見でこう言います。
・「正直そうだ」
・「体は丈夫か」
・「辛抱してくれ」
奉公したいと願う人間に対し、大体この3つのことしか彼は言っていません。
これを現代に置き換えるなら、就職の採用面接において、志願者についてこの3つのポイントしか、この雇用主は留意をしていない、ということになると思います。

正直であるか = 信頼性の有無
体は丈夫か = 健康状態の確認
辛抱してくれ = ネガティブな要望も事前にしておく

社会に出て人間が働くうえで大変に重要なことを、シンプルで明快に、この旦那は問うています。
これが素晴らしいと私は感じました。

正直で、健康で、辛抱(我慢)ができれば、たいていの仕事はつとまる ― あらためて、社会人として持つべき資質を教えられたようでした。


 ―  社会人として、私はこれまで正直に生きてきたか。仕事上の隠し事はなかったか。上司にウソの報告をしたことはないか。顧客に対し誠実であったか。自分の都合ばかり考えて、仲間と接してはいなかっただろうか。

健康についてはどうだろう。タバコや酒を節制したことがあっただろうか。良好な心身の状態をこころがけて、自身をコントロールしてきたと言えるだろうか。全力で働ける体を保ってきただろうか?

辛抱ができていただろうか。我慢が足らずに、これまでいくつ私は職を変えてきたことだろう。仕事において、ここ一番、踏ん張る気心が私にはあっただろうか  ―


そういえば…。
この落語の本編中、元は犬だった青年が突然人間に変わったときに、こんなセリフが彼から発せられていました。

《願いが通じ、やっと人間になれた!
人間になったということは、まずは、すぐに働かなくっちゃいけないや…》

旦那だけでなく元犬からも、一般成人としての基本を私は教えられた気がします。

            (おわり)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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