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読んでくれる方にお礼を言いたい

 昨日、大興奮を綴ったnoteを公開しました。予定通り、非公開にした記事です。特に、その記事を読んでくださった方々へのお礼です。

 ひとつ前のnote、勢いで当日の行動を正直に書いていますが、赤裸々とはこのことです。恥ずかしい。痛々しく感じられる行動もあるだろうなと思っています。コミカルな表現に努めましたが、そもそもの気合いの入れ方がずいぶんです。いや恥ずかしい。馬鹿正直である性格と、他人に関わる内容であるため、嘘はありません。

 アクセスしてくださった方の中に、浮かれた変な人の記録を怖いもの見たさで読んでくださった方、あきれて途中でブラウザバックした方もいらっしゃるのかなと勝手に想像しています。
 ハートマークを押してくださる方も確かにいらっしゃる。卑屈なことを言えば、もしかして文章に共感してではなく別の目的の方もおられるのかもしれません。が、非常に有難いことです。読んでくださる方、いいと感じてくださる方へ、この場を借りてお礼を申し上げます。


 昨日のテキストは現時点で公開している記事の中で、すでに第3位のハートの数。私の中ではすごいのです。新刊書籍というタイムリーな話題性に乗せていただいている面もあるでしょう。とはいえ、好き!を それこそ好き勝手に打った つたない文章に反応があることは大変に嬉しいことです。他の文章も併せて読んでくださる方もいるのか、ダッシュボードの閲覧記録が一晩で賑やかになりました。

 ひとつずつは統一されていても、記事によって漢字表記が「すごい」だったり「凄い」だったりします。昨日の記事は例外的に「である」調ですが、普段は「です・ます」調で統一されていません。不慣れと不勉強から、機能が使いこなせず試行錯誤で、段落分けもWebテキストとしては読みにくいと思います。もう少し勉強していきたいです。
 そんな中で、読んでくださる方々がいる。有り難く、また少々現実味がなく不思議な感覚すらあります。日本語を読めて、インターネット通信ができる方すべてが、このぼやきを読めることは承知です。ご迷惑や誤解のない表現をするようにしています。

 ただ、こんな妙ちきりんな、中二病患者が裏山にて一人で叫んでいるかのような言葉に興味をもってくださる方々がいるのが、なんというか他人事のように、すごいなぁと感じるのです。

 案外、こんな感じで、好きー!という感情を皆さん持ち合わせているものなのでしょうか?自分が出さないからか他所が分かりません。あまりこういった感情を友人に爆発はさせていないつもりです。説明下手もあって、相手が同じ程度の熱量で好きでいるならばともかく、迷惑でないかと気が引けます。大好きなものを、つい語ってしまう時はありますが、程度を抑えていることも多いです。

 聞き手として「なんだか細かすぎて訳が分からないけれど、楽しそうだな」と、目を輝かせて話す友人を愉快に見ていることはあります。なので、最近は上手く説明できればなお良いが、できなくても もう少し好きを出していいかもと自分の行動を若干変えるようにしています。
 その試みの中、今は友達と楽しくお喋りする機会が絶対的に少ないことが残念でなりません。また、あまりに事細かに、人がおののくことも覚悟しながら共感されるか不明な知り合いに語り倒す勇気はまだないです。
 それなのに、はじきすぎたピンボールのように暴走している行動記録を良しとしてくださる方々がいる、これはキャパオーバー気味なくらい嬉しいことではないでしょうか。(というか、キャパオーバーで実感がないので、ちょっと他人事です。)


 なんというか、世の中ってすごいなと思います。許容力がある。色んな価値観を持った、たくさんの人の包容力を足せる場が、インターネットなのかもしれません。

 私の記事では、ちょこちょこ出る締めの言葉なのですが、今回は特にピッタリなので使います。


 つたない文章を最後まで読んでくださってありがとうございます!

 費やしてくださったお時間で、もし何かお土産を渡せていたら言葉にならないくらい嬉しいです。


#好きを表す #インターネット #note #おわりにのようなもの



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