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第37回小説小説すばる新人賞に初応募した話(後編)

これは、いままでほどんど小説を書いたことのないわたしが、2024年3月31日締め切りの、小説すばる新人賞に応募した手記(後編)です。前編からの続きです。前編はまさかの生い立ち振り返りからスタート。そして、ようやく少し書き始めたところで後編突入です。
小説ってどう書くの? 状態の人間が、15万字程度の物語を仕上げるに至った経緯、ハウツー、反省点などを詰め込みました。それではどうぞ。


ヒイヒイ言いつつ10万字

ボリューム増し増し作戦1

10万字ともなると、さすがに本格的な「ストーリー」を書く必要が生じる。考えてみても欲しけど、結構な量だし、中身の無いもので埋められる量ではない。わたしはもともとお喋りも饒舌な方でも無いし、アウトプット力が貧弱だから、たくさんの空想を絞り出すことは苦しかった。

当初、わたしが作った物語は、二人の人物の視点で交互に語られる形式を採用していた。ちなみに、これはハウツー本では「素人がやらない方が良い」とされていた手法で、その理由は視点が変わることによって一貫性を保つことが難しくなるから。話があっちへ行ったりこっちへ行ったりして、読者が混乱してしまうだろうというわけね。でも、わたしがあえてこの手法を取った理由は、やっぱりボリュームが出ないのではという不安からだった。早い話が、一人の人物の語りだけで10万字を越える量を書く自信が無かった。人によっては「たくさん書き過ぎちゃう。削らなきゃ」みたいな不安もあるだろうし、そういうの、個性が出るんだろうな。そして、何作か書くと肌感で掴めるような気もする。

ともあれ、主人公が二人いれば、同じ事実を双方向から捉えることで、自然とボリュームが出るだろうという作戦で書き進めた。その二人の主人公は、よくあるバディものを参考に、正反対の性格となるよう試みた。社交的な方と、内向的な方。実際、物語の最初はこの作戦が機能して、それほどストーリーが展開してなくてもボリュームが出て6万字まで到達した。しめしめ。

しかし、事案が起きる。
内向的な人物のストーリーが、展開しなくなった。

内気な人間は、得てして人との関わりを積極的に持たないし、現実世界でもあまり事件が起きない。わたしなどもそうで、日常であまり特筆すべき事柄は発生しないのだけど、同じことがフィクションの世界でも起きた。どうしよう、内向的なこいつは全く動かないから、鬼絡みする狂人でもいないともう死んだも同然だ。しかし、そんな狂人をひょっこり登場させると色々破綻する。

結果、泣く泣くその人物の視点を全部削った。そして、もう片方の人物の視点オンリーで話を展開させていくことを決めた。

早い話が、内向的なそいつを、主人公から脇役へ降格することを決定したのだった。降格なんて、小説を書く作業にふさわしくない実務的な表現だけど、そうとしか呼べない処遇だった。

そうなると、いままで書いた文も半分ほどカットだし、単独主人公となった方の視点の文章も、変更しなければならない箇所が出てきて、逆戻りした気持ちだった。そして、「自分から動かない奴は、主人公にはなれない」という、現実世界にも通ずる示唆深い教訓も得た。

ラストの部分はとりあえず後で書こうと思い、起承転結の「転」「結」を除く8割を頑張って書いた。ときには「この部分いるかなあ?」と思った箇所もあった。社会人として生きていると、得てして工数削減だのコストカットだの、「削る」意識を持せざるを得ないから、ここでもその心理が働いたみたい。でも、それをいうと、この物語自体が無駄だし、わたしたちの存在や、この世界だって、無駄ですよね? だから、心の指摘は無視して書いた。

ボリューム増し増し作戦2

あとは、物語中盤でストーリー展開のために一人増員した。「増員」とか形容してる時点で、もう色々ダメなような気もするけど、とにかく計画外の増員を敢行した。社交的と形容した単独主人公も、すごくアクティブってわけじゃない。もともと書いてる人(= わたし)が活発ではないから、それを反映したように登場人物たちがあまり動かない。この点には後々気づいて反省したけど、もっと活発な人物を意識的に配置するべきだった。現実の組織のチーム体制と同じで、フィクションの世界でも、ある程度物事を前に進める人物が必要になってくるのだと思う。

という教訓や反省を得ながら、やぶれかぶれで10万字を書いた。小説というよりは、長くて整理されていないプロットという感じ。しかも後半に行けば行くほど雑になる。お粗末だけど、ひとまず、初稿と呼べるものが完成した。この時点で2023年末。そのあとに、いったん最初から通しで読みつつ推敲して、その流れで最後の2割を完成させることにした。

参考にしたハウツー本には、テーマを持たせる必要性が書かれていた。たとえば「他人を大事にしよう」とか「夢を追いかけるのは良いことだ」とかね(雑な例で申し訳ない)。わたしの物語にも一応「未来のことは分からないし、現状も考えようによっては悪くないし、なんくるないさ」という想いを込めていたけど、それがどれほど伝わるか分からない仕上がりになった。肝心な部分に沖縄弁になってしまったけども、物語は沖縄に一切関係ないし、わたしが沖縄出身ではないことは補足しておく。

ゼイゼイ悶えて15万字

推敲推敲また推敲

そんなこんなで年末に初稿ができて、そこから計4回に渡る推敲を行った。前にも書いた通り、初稿は文章も内容もかなり粗い仕上がりになっているから、推敲の数を重ねてブラッシュアップを図る他ない状態だった。しかも、初稿といいつつも、「転」「結」はまともにできてないし。

文字数は、最初の推敲を経て15万文字程度になった。1.5倍に膨らんだわけだけど、書き加えた「転」「結」が長くなったわけではなく、明らかに説明不足な点や、雑に書いてしまっている点を修正すると自然とそうなってしまった。そこから2回目の推敲で微増、3回目の推敲で微減したけど、最終的にはこのボリュームで着地することになる。

年末年始のお休みも、基本的にPCに向き合って推敲を続けた。全然休んだ気にならなかったけど、意外にもわたしは、この推敲という作業がかなり好きだという気付きを得た。正直、ストーリーを考えたり、何もないところから文字を起こすより、ある程度形になったものをいじる方がずっと楽しい。それもあって4回の推敲で、計50~60万字を読めたのだろう。もちろん、もともと出来の良い初稿を書けていれば、こんなに回数を重ねなくても良いのだけど。繰り返し読むうちに「あれ、この2点間の所要時間、前に書いてある時間と違う……」、「ちょっと待って。おにぎりとスポドリを一緒に摂取してるけど、食べ合わせ悪くない? お茶でよくない?」など、細かい点を修正できたのはよかった(後者は、もっと早く気づけた)。

そんなこんなで1月中旬ごろに1回目の推敲を完成。その頃には、文学賞に送ろうという決意を固めていた。それで数ある文学賞情報の中から、5月〆切のとある賞に目を付けた。そう、この頃には小説すばる新人賞に送るつもりはなかった。そして、まだまだ〆切は先だから、ゆるゆると時間をかけてやればいいと思っていた。

応募先の転換

しかし、2月の初旬、2回目の推敲を平日朝と週末にチマチマ進めていた頃、わたしは小説すばる新人賞の存在を知った。確か、Googleのページにある、検索履歴をもとにしたサジェスチョン機能からだったと思う。小説すばる新人賞のページには、以下のメンバーが選考委員として載せられていた。

朝井リョウ、五木寛之、北方謙三、辻村深月、宮部みゆき、村山由佳

なんというビックネーム。この並びを見た瞬間、「この賞に応募したい!」と思ってしまった。

ちなみに、ネットで文学賞について調べると、応募する賞の選定はとても大事で、書く前から照準を絞り、過去の受賞作を読み込んで傾向と対策を分析するのがマストとされている(もともとわたしは、プロットの段階で賞を決めてなかったけど)。だから、こんな風に、途中でろくな調査もせずに応募する賞を変えるのは、はっきりいって悪手。でも、わたしはそれをやろうと決めた。まあ、いいかなって……。調べた限り、いま書いてるものは、小説すばる新人賞の特色とマッチしない訳でも無さそうだったし、それよりなにより、この選考委員の人たちが、自分の書いたものを読むかもしれないって思うと、テンション上がるじゃないですか? 余談だけど、北方先生の水滸伝、野生の獣を調理して食べる描写が、いちいち美味しそうで好きだったな。

こうして応募先を変えたことで、時間的余裕は一気になくなった。

小説すばる新人賞の締め切りは3月末。つまり、当初予定していた〆切を2か月前倒すことになる。どうしよう、いまのペースじゃ、3月末に納得のいく完成度の物を提出することが出来ない。推敲のスピードアップは必須だった。

そこで私は、空き時間のすべてをベットする作戦に出た。
暇な時間はもちろん、通勤時の電車、そして入浴中などの細かい空き時間も推敲にあてることにした。

無料のMicroSoftアプリをインストールし、スマホやお風呂用タブレットでワードを使うことで、それを可能にした。このアプリでは、読み取り専用でしかファイルが開けないから、Google Keepに改善点をメモ。それを基に毎朝30分かけて直す(夜は残業があるから、作業できないの)。そんなルーティンで前よりもスピードを速めた。休日も空き時間は推敲。そんな休日は、休んだ感じが全くしなかったけど、楽しくはあった。そんな調子で3月終盤までに2回目の推敲を完了し、3回目に着手することに成功した。3月末には余っていた年次有給と祝日、そして土日を繋げて5日の休みを取得。故郷に帰省したけど、その間もずっと推敲していた。家族や友達との食事の合間も、推敲よ。そして、新幹線の中でPC画面を見ると、思いのほか酔うという新しい発見をした。スマホだと酔わないのに、不思議だな。

そして、3回目、4回目の推敲を、〆切一週間前の3月24日に完了した。最後はさすがに文章の完成度があがって来て(当社比)、4回目の推敲は1日くらいで終えることが出来た。

こんな生活をしていると、識字に使うパワーをすべて自分が書いたものに費やすから、他の本が全く読めなくなった。「その識字パワーがあるなら推敲します」という、誰に頼まれたわけでもない作業に捧げる謎のストイックさよ。自然と視覚から得るインプットが細って来たから、Podcastには大いに助けられた。このように識字パワーが枯渇した人間に、音声コンテンツは耳から娯楽を注入してくれた。

この時代に紙しか受け付けない!?

このように推敲地獄でのたうち回ると同時に、現実的な応募の方法も調べる必要があった。普段から文学賞に送る手練れというわけではないから、今回その作法を改めて知ったことになるのだけど、その中でムムっと思ったことが2つある。

1つ目は、応募先決定と話は前後するけども、規定文字数のこと。
文字数×行数のパターンが多すぎる。

賞によって、「38字×34行で換算して、100枚以上140枚以内」とか、「40字×32行で換算して100〜150枚」とか、もうそれは何文字ってことやねん。そんなの暗算できんわ。いちいちWindows標準の電卓を起動してポチポチしてたけど、面倒くさくなってしまって、最後はエクセルに入力して把握していた。やっぱり、エクセルって万能。プロットを書くのみならず、表計算もできるのだから。

しかしこの、この字×行のバリエーションの豊富さは何なんだろうな。業界で統一しようとする動きとか無いのかな。出版のことは、未知のジャンルすぎて全く分からん。

それよりも更に、文学賞応募の経験の乏しいわたしを混乱させたことがある。

それが2つ目。小説すばる新人賞は、紙フォーマットしか受け付けない。

この令和の時代に紙!? いや、こちらは応募する身なので、できる限り頑張らせていただきますけども、そちらも大量の紙を送り付けらたらイヤでは? なんて疑問が浮かんだけど、とにかく紙しか受け入れられないという事実に変わりはない。ちなみに、もともと私が応募しようとしていた別の賞は、電子データOKだった。ワードのテンプレートを応募サイトからダウンロードし、それに文字を流し込んでアップロードすればよかった。しかし、小説すばる新人賞はそうもいかない。わたしは大きな穴開けパンチと、綴じ紐という、およそ日常生活では使用しないアイテムを書店で購入した。そして、大量の紙を郵送するにはゆうパックが良いと知り、ゆうパックライトもコンビニで購入した。

それにしても、どうして紙だけなんだろう……。

データにすると、送付されたファイルに対するセキュリティ対策が面倒だからとか? いや、しかし大量の紙が送られてくるのも、それはそれで捌くのに労力が要る気がするな? あと、紙だと1度に一人しか読むことができないから、選考が進んで数が絞られた段階になると、読む人が大変になるのでは? いや、大手出版社だと、原稿を自動スキャンしてデータ化できるのか? 考え出すと「?」でいっぱいになるから、この点に関しては深く考えないことにした。

とにかく、紙でなければならない。
紙であることに意義があるのだ。

虫の息で推敲を完了し、地元から帰宅。その次の朝、わたしは近所のセブンイレブンで出来上がった原稿を印刷した。大量の紙を消費することになるから、あらかじめ店員さんにプリンターの紙を補充してもらった(本当にありがとうございます……)。そして、160枚近くの紙を印刷した。そんなにたくさんの紙を印刷することなんていままでなかったから、なんだかドキドキした。

それを家に持って帰って、書店で購入した穴開けパンチで穴を空けた。それももう、一仕事なのよ。MAX 40枚まで空けられるパンチを4回に渡って使ったけど、思ったより力を要したし、穴の位置がずれないか神経を尖らせた。やっと穴の空いた原稿を閉じ紐で留めると、ビニール袋に包んでレターパックライトに入れ、近所のポストに投函しに行った。曇り空の日曜日。半年以上を費やした成果物を小脇に抱えてポストへ歩く。その心にあるのは、ほとばしる感慨などではなく、虚無のみだった。もう疲れていた。

ポストに投函して帰るとき、やっと「終わった」と思った。長い戦いだった。何故か無性にジャンクフードが食べたくなって、紙を160枚印刷したセブンイレブンにもう一度行って、普段食べないカップラーメンを買って帰った。

戦いは終わり、季節は春に

誰に求められたわけでもない、自分でやると決めたプロジェクトだったけど、解放されて嬉しかった。これで自分が書いた文章以外も読めるし、なんだって好きなことに時間を使える。嬉しい。

でも、この戦いも、一種のお祭りみたいだったし、なんだかんだで楽しかったことも否定できない。これから結果が出るまで、この祭りの中にいることができるし、ポストに投函して初めて、本当の意味でお祭りへの参加資格を得られたような気もする。

そして、4月になったいま、わたしはこの世の自由と春を謳歌している。

先にも書いた通り、メチャクチャ疲れたけど、その過程で楽しさや達成感もあった。あとは、応募する賞を途中で変えたことだったり、ストーリーを作成方法だったり、反省点も沢山ある。今後、時間をかけてその改善に取り組んでいきたいと思う。生きてさえいれば時間はあるから、何度だって挑戦できる。

あとは、最近めっきり小説を読んでいなかったけど、また学生時代のように一心不乱に読んでみたいって、改めて思うようになった。今回、ちゃんと物語作りと向き合ったことによって、「このストーリーはどのように作られているのか?」って見方が混じる気はする。それをどこかで「純粋に物語を楽しめなくなった」と悲観的に思う自分もいるけど、読書との関係性が深化したとポジティブに捉えたい。

新しい季節に、改めて自分の可能性を感じられることが嬉しい。そんな今日この頃です。長い文章をここまで読んでくれた皆さま、ありがとうございました!

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