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小説【不死者の決戦場】

腰 痛夫 作


プロローグ

 あかりと一人(かずと)は絶対に奴らの視界に入らぬように、息を殺して柱の陰に身を潜めている。二人とも止めどない恐怖からくる身の震えを抑えきれずにいた。

 二人は暗がりの中に響く無数の足音に耳を澄ませている。奴ら異形の者たちが足を引きずり徘徊する音だ。

 おそらく十数体は居るだろうか。顔は潰れ、眼球が飛び出している者。腕がちぎれかけている者。腹部が避け、はらわたを垂れ下げる者。肉が腐り落ち、骨が剥き出しの者。

 異形の者たちの中で、一匹だけ身の丈が倍はあろうかという怪物の姿が見えた。三メール、いや、もっとあるだろうか。屈強そうな身体つきと安定した足取りからは、明らかに他の者とは違う気配が感じられた。奴が不死者を束ねる者なのだろうか。全身は包帯のようなもので巻かれ、充血して真っ赤になった大きな目と、潰れかけた耳だけが見えている。



北の半島へ

 ここ数か月、勇(いさむ)の働く製紙工場は売り上げが右肩下がりである。時代の変化を万人に知らしめるかのような例のウイルスの登場。

 社員達は、ただただ傍観するしかなかった。せめてもの救いは、誰一人として職を失わなかったことだ。

 世間では暗い話題が多い中、社員にとって嬉しいこともあった。景気が悪くなってからは、いつも通り製品を作っても売れないので、会社は生産量を下げるため、月に五日の休業日を設けた。

 家計のやりくりが苦しくなるかに思われた。しかし、蓋を開けてみれば会社は休業日の給料を十割保証すると言ってきたので、みんな悪い気はしなかった。夜勤手当て分は付かないものの、給料の出る休みなら素直に喜べる。もちろん先の心配が無いわけではない。とりあえず差し迫った経営の危機ではないようだ。

 うだるような日差しが続く夏の日々も、乗り越えてしまえば、もう終わりかと、時が経つのも早く感じる。一年が早く感じるようになったのは、勇が三十路を過ぎた頃からだろうか。九月も残り一週間になり、秋分の日を迎えていた。

 その日は朝からの勤務だった。翌日から五日間の休業に入る勇達は、どこかソワソワしたような、それでいて冷静を装っているような、休日前にしか出さない雰囲気を漂わせていた。

 勇は一泊二日でMTB(マウンテンバイク)を使った一人旅を予定していた。過去一年の間に多い時には二日で二百キロ以上走ったこともあった。

 その時も一泊二日であった。ただMTBでそれだけの距離を走るのは大変なことである。車体が軽くタイヤも細い、走り抵抗の小さなロードバイクとは違い、MTBは短時間で距離を稼げる乗り物ではない。

 ロードバイクが走りに特化した軽い自転車なら、MTBは登り坂や荒れた道に特化した丈夫で重めの自転車である。その中間に位置するのがクロスバイクだ。用途によって使い分け、通なら車や電車で自転車を旅行先まで運び、サイクリングを楽しむ。

 勇は夕方に仕事を終え、残業がなかったことを安堵しつつ帰路に着いた。仮に残業が当たったとしても、今日は断っていただろう。旅の出発は夜中であるが、それまでの時間も貴重なのだ。修学旅行前日のような不安と期待の入り混じった感覚がたまらなくよいのだ。

 準備はすでに万全で、やることと言えば、ブログに出発の報告とMTBの写真をアップするくらい。帰ってきたら、旅先での名所巡り、イベントや予期せぬ事件、そして帰路と、数記事に分けて書くのも面白いなと勇は思っていた。一つの記事にもできるが、長くなりすぎる恐れもある。あまりに長い記事は読者に離脱されやすいのだ。勇は長い間、読者を惹き付けておく自身はなかった。

 夜中の出発に備え、布団で横になり、まぶたを閉じた。泊まりがけの自転車旅行は今回で四回目である。

 今回の旅は最後になるかもしれない。そんな予感があった。決めていたわけではない。ただなんとなくそんな気がしていた。

 歩いた方が早い、体力を異常なほど使う登り坂。暗闇の中、ハンドルに取り付けたライトの明かりだけで突っ切る恐怖の下り坂。自転車乗りには肩身の狭い交通量の多い道路。それらの一つ一つの苦難が、旅への勇気をくじいているのかもしれない。

 目的地にたどり着く達成感は、苦難を乗り越えた者にしか味わえない素晴らしいものだ。今回の旅が最後になるかどうかは、ゴールした時の達成感と苦難を天秤にかけて決まるのかもしれないと勇は思った。

 出発を夜中にしたのは、交通量の少ない時間帯に走って距離を稼ぎたかったからだ。勇は一晩中走り続けるつもりでいた。目指すは北の半島。その半島を左回りに一周するルートは、旅立ちから帰宅するまで、道に迷わず順調に進んでも四百キロに達する長旅だ。

 地図で確認すると半島を海沿いに走る道がある。宿を探すため町に出る時以外は、なるべく横手に海を見ながら走るつもりだ。

 自転車旅行の時、宿は毎回ビジネスホテルを利用している。朝食がバイキングなら最高だ。食いしん坊の勇にとって言うことなしである。

 勇には奥さんと二人の娘がいる。家族で旅行する時は、仕事や学校の休みが合うゴールデンウイークなどになる。そんな時は宿も予約無しではさすがに厳しい。というか無理だ。しかし、世間の多くの人が休みになる大型連休さえ避ければ、満室なんてことは、少なくても過去の自転車旅行ではなかった。今回も現地で探す。なんならネット検索もしない。この効率の悪い行き当たりばったりな宿探しが、何気に勇には楽しかったりするのだ。

 自宅から三十キロほど離れた県境近くの山道に到達した頃には小雨が降り始めていた。勇は最初の試練を迎えていた。

 進まない・・・・・・。出発してから街中の比較的平坦な道が続いていたが、ここにきて最初の山越えを迎えた。街中のちょっとした登り坂でも、軽いギアの無い自転車では体力をかなり消耗する。MTB特有の非常に軽いギアを装備した勇の自転車なら問題はない。しかしペダルをこぐ力が小さくなるだけで、ケイデンスと言われる自転車のペダル(クランク)の回転数は高くなり、速度も出なくなる。山越えは自転車乗りにとって、挑戦者になれるイベントである。

「うわ・・・・・・この坂はヤバい」

 そこまで黙々と走ってきた勇だったが、思わず声が漏れた。かなり軽いギアにシフトしているので登れるには登れるが、中々進まない上に速く漕ぎ続けているせいで、街中を走っていた時の余裕は嘘のように消え去っていた。

 頑張って漕いでも、歩く速度しか出せないなら、自転車を押して歩いた方が楽なのかもしれない。

 ケイデンスは高まり、額に汗がにじむ。しかし、自転車乗りのプライドなのか、勇の性格のせいか、自転車を降りることはなかった。

 その考えがなかったわけではない。しかし、漕ぎ続けることを諦める要領の良さは勇にはなかった。過去に幾度となく山越えを経験してきた勇だったが、登り坂できつくなって自転車を降りたことは一度しかない。自転車屋の主人いわく、国内一番の難関コースという落差日本一を誇る滝への道だ。あの滝まで行った時は、休憩中にオロロにしつこくつきまとわれるし、帰り道は土砂降りに遭い、トンネル中でしばらく身動きがとれなかった。山で見た美しい景色も、滝つぼから漂うマイナスイオンも忘れそうになったくらいだ。

 オロロとはアブの一種で、刺されれば痛みと痒みに悩まされ、刺された痕も一年は消えない非常に厄介な虫である。

 今回は過去の自転車旅行の中でも一番距離が長い。必死に漕いでいるうちに、気が付けば下りに差し掛かっていた。ハンドルに付けたサイクルコンピューター(速度や走行距離などが分かる)の速度表示は、下り始めてからずっと五十を表示している。五十までしか表示されないようなので、実際は越えているのかもしれない。

 カーブ前で十分減速しても、ストレートに入れば馬鹿みたいにスピードが乗る。ブレーキをかける時はいつも注意している。勇のMTBはディスクブレーキなので効きが強い。下手に思いっきり急ブレーキをかけると逆立ちか、下手をすると一回転してしまう。勇は一回転はないが、逆立ちは過去に数回やっている。急ブレーキにならないようにすることが一番だが、やむを得ない場合は、ブレーキをかける瞬間に後方に体重を移動して、一回転を防ぐらしい。何回か逆立ちを経験した後にネットでそれを知った。街灯の少ない夜道の縁石などは、見えにくいので危険なのだ。

 山越えはそのあとも幾度となく繰り返した。登り坂が、目の前に立ちはだかる壁のようにも感じられた。幸い最初の坂を超えるほどの試練はなかった。時計に目をやると、もうすぐ早朝五時。すでに出発から四時間は走り続けている。

 小雨は止み、東の空が明るみ始めていた。



ウイッチ    

 山を下り、平野に出てから二十分ほど走っただろうか。交差点で看板に書かれた地名を見た時、ここはすでに海に近いなと理解できた。予定より二時間くらい早い到着だ。ようやく、半島を一周するためのスタート地点に辿り着けた。

「どこかで休憩したいな、ちょっと眠いし」

 ボソボソっと呟いた勇の表情は、ここにきてようやく疲労の色が見え始めていた。

 自転車の速度を落とし、道路の反対側の小さな休憩所に入った。数台分の駐車スペースと屋根付きのベンチ、あとは地図の書いてある看板があった。地図を見て、現在地と半島を海沿いに走るルートを確認したあと、自転車をベンチの近くに置いて鍵をかけた。

 薄い灰色の、パッと見、やや地味でカジュアルな帽子にも見えるヘルメットは、黒色のハンドルに引っ掛けた。自転車のフレームは銀と黒、フォークは黒色と全体的に派手さを抑えた色合いだ。安全の為に、せめてヘルメットは派手な色が良かったのかもと思ったが、スポークや自身の上着に反射材を付けることで自分を納得させた。バックライトももちろん装備している。

 リュックからジャンパーを出して着た。そしてペットボトルの水を口に含み、ベンチに横になって少し丸まった態勢で眠りについた。

 スマホのアラームをかけ忘れていたが、寝心地が良くないせいか、小一時間ほどで目が覚めた。疲労も眠気も感じない。

「よし! 北上しよう!」

 休憩所の駐車場には、いつの間にか車が一台入ってきていた。作業着を着た小柄で引き締まった身体付きの中年男性が、車の近くで煙草をふかしている。手には缶コーヒー。彫りの深いその顔は、もう還暦くらいにも見える。

 今から仕事かな? お疲れ様。心の中で、そう呟いて休憩所をあとにした。

 すぐに海が見えてきた。海に近づいたり離れたりしながら山越えは続く。きついにはきつかったが、最初の山越えに比べれば大した事はない。それに時々左手に海の景色が広がる。陽も少しずつ昇り始め、朝の冷え込みはもうない。勇には追い風しかなかった。昼前に一度海岸まで出てみようと思った。

 今夜の宿を探そうと思っていた町は、半島の北東に位置する。勇が今居るのは半島の西側である。夕方までには辿り着きたい。自転車屋の主人の情報では、その町の近くに、知る人ぞ知る穴場の天然温泉があるらしい。しかもその場所はもうすぐ無くなるかもしれないとのことだ。それは行っておきたいと勇は思っていた。

 勇は道を外れ、海岸まで自転車を走らせていた。予定より時間に余裕があるので、二回目の休憩を海のそばでとることにした。砂浜に横たわる流木に腰かけ、空の青が映りこんだ半島の海を見渡した。

 西の空、遥か彼方に、うっすらとした細長く白い雲が二つ見えた。ほぼ快晴だ。沖の方に漁船らしき船が一艘だけ小さく見える。穏やかな風が吹く空には鷲が飛んでいた。

 打ち寄せては引く波の音だけが聞こえる砂浜で、リュックを開いた。出発してすぐに、自宅近くのコンビニで購入したパンを出し、食べ始める。本当は最初の休憩の時に朝食として食べようと思っていたけど、想像を超える苦行だった最初の山越えを終え、集中が途切れたのか、すっかりパンを買ったことなど忘れていた。

 中にソーセージが挟んである。勇の中で、これを買っておけば外れはないだろうと思っているホットドッグだ。

 四分の一ほど食べ終えたところで、一度食べるのをやめ、北の方に顔を向けた。
 湾曲を描きながら北にどこまでも伸びる海岸線と、陽の光に照らされた濃い緑の陸地を眺めていた。

 陸地から視線を遠ざけながら、今度は沖の方、その更に先の地平線を見た。

 その時だ! 一瞬、左の方で気配を感じた。それが視界に入った時にはもう遅かった。

「あっ・・・・・・。」

 左斜め後方から飛んできた鷲が、勇の左手に持っていたホットドッグをつかみ空へ持ち去った。数秒前に上空を飛んでいたのは気付いていたが、あれは獲物を狙って勇の上空を旋回していたのだった。

 あっけにとられていた勇の上空を、鷲は高度を上げながら去っていく。去っていくときにパンを落とした。正確にはパンだけを落とした。ソーセージは要るけどパンは要らない、と言わんばかりにペッとパンを捨てたように見えた。

「え~い! この!」

 イラっとした勇は流木の近くに落ちていた、大人の腕くらいの太さと長さのある木の枝を、鷲めがけて思いっきり投げつけた。

「くそ!」

 大きく右に外れた木の枝は、落下して砂浜に叩きつけられると半分に折れた。腐っていたようだ。

 イライラしていると左の方から人の気配がした。若い女が二人歩いてきて、勇の前を無言で通り過ぎて行った。見られてたかな。そう考えると少し気まずいような恥ずかしいような気持になってきて、足早に海岸をあとにした。

 予定のルートに戻り、再び走り出す。まだ少しイライラは残っているものの、これはブログかツイートのネタに使えるかも? と思って少しニヤッとなった。

 勇は日記でも書くように、日々の出来事から始まり、旅の思い出や、旅先の簡単な紹介などを、SNSで細々と発信している。なのでそれらにアップする写真や話のネタは貴重なのだ。とは言っても朝食を盗られたことは、まだ少し怒っていた。あいつも生きるために必死なんだよな、と自分に言い聞かせながら再び山越えが始まった。

 時計を見ると、十時を少し回っている。登りきったところでコンビニが見えてきた。海を遥か下に見下ろす位置にあり、店からは海岸は見えず、沖の方だけが見えている。

 おそらくここら辺では貴重な店なのだろう。見渡す限り、それ以外に店は無い。店の前には古びた木のベンチが二つ並んでいた。ちょっと早いけどお昼にしようと思い、ゆっくり店に近づいていく。

 次に店が見つかるのはいつになるか分からない。街の方ではなく海沿いを走っているので尚更だと思った。勇は豚の生姜焼き弁当を買い、店の前のベンチに深々と腰掛けた。食べている間、時々目の前を車が通り過ぎるが贅沢は言っていられない。

 道路の遥か先には、陽の光に照らされて眩しいほどキラキラと輝く青い海が、地平線に向かって延々と続いていた。弁当を食べ終わり、ゴミを片付けた後もう一度ベンチに腰掛ける。

 勇が来た方向から女が一人、ミニベロを押しながらノロノロと、こちらの方に歩いてくるのが目に入った。

 ミニベロとは小径タイヤを装備している自転車である。車体もタイヤも小さいが、速度が出ないわけではない。勇が密かに欲しいと思っていた自転車でもある。ちょっとした近場の街乗りから、遠出の旅行まで、そのまま車に収まるサイズなので一台あると便利である。見た目がオシャレなのも勇がミニベロに惹かれる理由の一つだった。

 女は先ほど勇が登ってきた坂に、かなり苦戦したのか、背中に背負った黒いリュックも重りにみえるほど疲れ切った表情を見せていた。

 あの子が通り過ぎたら、俺もそろそろ走ろうかなと思いつつ、今夜の宿があるであろう町を想像していた。まさか一軒もホテルが無いとかないよな。そんなわけないか。

 一人でブツブツ言いながら正面の地平線を眺めていた。あれ? ミニベロの子は? もう前を通り過ぎてもいいはずなんだが。そう思っていると、左側からコンビニの扉が開く音が聞こえた。誰か来たようだ。店の入り口には、黄色のミニベロと、そのハンドルに茶色の帽子が引っ掛けてある。おそらく帽子型のヘルメットだ。

 彼女も休憩か。どこから来たのかは知らないけど、もし俺と同じ道ならヤバいな。強者だと勇は思った。

 彼女が飲み物を買ってコンビニから出てきた。こちらを見ている。スマホを見ながら勇の自転車をチラチラと見ている。同じ自転車旅行者だから興味が湧いたのだろう。それともMTBに興味があるのだろうか。

 勇はベンチから立ち上がる。

「よし、行くか!」

 と、小声で気合を入れた。自転車の鍵を外して、その螺旋状のワイヤーにオレンジ色の蛍光色のビニールでコーティングされた鍵を、一旦軽く伸ばして絡まりを直してから、公園の砂場みたいな色に統一されたウエストポーチにしまった。

 肩からもポーチを下げている。ベルトとポーチの淵は茶色で、ポーチの正面は紺色をベースに赤と白でデザインされいる。パッと見、イギリスの国旗を連想させるようなショルダーポーチ。背中の黒と灰色のリュックは、走っている時ハネないように固定用のベルトも付いている。リュックの背中に当たる部分は、メッシュの網がリュック本体との間に数センチの空間を設けていた。

 さあ、行こうとハンドルに手をかけた時、ミニベロの女が近づいてきた。

「あの、すいません」

 と、やや照れたような笑顔で話しかけてきた。

「え? はい」

 と少し驚いて勇は答えた。

「もしかして勇さんですか」

 と、女は言った。勇は驚いて女の顔をよく見た。歳は三十路くらいだろうか。勇より十歳以上は若そうだ。丸みのある小顔、パチッとした目の整った可愛い顔をしている。髪は明るい茶髪、肩まで届かないくらいで末端がクルっと内側に丸かった綺麗な髪だ。健康そうな身体のラインはくびれてメリハリがある。

 勇は、わずか二秒か三秒の間に過去の記憶を辿ってみたが、女が誰かは分からなかった。最近、会社に何人か新しく入ったけど、こんな子はいなかった。

 戸惑いを見せる勇に対し、女はニコッと可愛い笑顔をこぼしながら、こう言った。

「私、勇さんのブログのフォロワーです。勇さんも私のブログをフォローしてくれているんですよ。それで、ほら、昨夜のブログで出発の報告されていましたよね。なので、この道通るだろうなと思っていたんです。ブログに乗せてた自転車と同じだったんで、すぐにピンときました」

「あ、そうなんですね。まさか旅の途中でブログのフォロワーさんに会えるとは」

 勇は笑顔で答えながら、嬉しい反面、女の行動に疑問を抱いていた。偶然ではなく、会いに来た? てか、どのフォロワーさんだろ? と、勇は思った。

「ブログのハンネは何ですか?」

「ウイッチです」

「あ~はいはい、いつも、いいね!とコメントありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ、いつもありがとうございます」

 と、ウイッチは屈託のない笑顔で答えた。ウイッチさんは、特に人気もなく、フォロワーも少ない勇のブログにちょこちょこコメントをくれる貴重な人だ。ウイッチさんのフォロワーは勇の十倍はいる。

「ウイッチさんはどこまで行かれるんですか? なんなら一緒に半島一周しますか?」

 と無邪気な笑顔を見せながら冗談ぽく言ってみた。ウイッチも笑顔で返す。

「勇さんはブログに書いてた通り、このあと半島の海沿いを通って北東の町まで走り続けるんですよね? 今夜の宿を探しに」

「ええ、一応そのつもりです。その街の近くにあるっていう温泉も行ってみたいですし。三百円くらいで入れるらしいですよ。遠いから夕方まで走りっぱなしですけどね」

 と言いながら笑った。それに被せるようにウイッチも笑顔を返す。勇が喋り終わり、瞬きするほどの間しか空けずにウイッチが喋り始めた。

「そうですよね、私だったら倒れます」

 と穏やかな笑みを浮かべた。

「私、この道を道なりに、あと数キロ進んだ場所にある旅館を予約してるんです」

「なるほど、じゃあ今日は自転車漕ぐのも、あとちょっとですね」

「はい、本当はここまで辿り着くのも、もっと遅くてもよかったんですけど、勇さんと直接お話してみたくて」

 勇はウイッチの表情がほんの少し曇ったのを見逃さなかった。これは何か隠しているなと思った。しかしそれが何なのか皆目見当がつかなかった。

「今夜は旅館に泊まって、そのあとの予定も決まっているんですか?」

  勇は何事も無かったように切り返した。ウイッチは深緑色の小さなショルダーポーチからスマホを取り出してマップを開いて見せた。GPSが現在地を表示した。

「ここが現在地で、このまま数キロ進んだ、この海岸沿いに出た辺りが私の予約している旅館」

「うんうん」

 と勇が頷く。勇はウイッチの持つスマホ画面に見入った。

「私も明日の朝から勇さんと同じ海沿いの道を北上するんですけど、勇さんが宿を探す町ってここですよね?」

「そうそう」

「で、町の手前で道が三つに分岐していて」

「うんうん、漁師町に出る道と、俺が宿を取る町へ続く道、あとは内陸の山の方に向かう道ですよね」

「そうです。勇さんは一泊したら町を抜けて、そのまま半島の東側を南下して半島一周を目指すんですよね」

 と言いながらマップの上を人差し指でなぞった。ウイッチの指は長く、しっかりとしていて、ピアニストを連想させるような品が漂っていた。勇はウイッチの言葉に頷く。

「私は明日の早朝に旅館をたって、この山の方に向かうんです」

 勇は少しポカ~ンとした表情になった。

「山の方って、何か観光スポットあるんですか? 穴場的な」

「いえ、内陸に向かう道は、山を越えてそのまま南下すれば東の海岸沿いを走る道に出ますよね」

「うん」

「山を越える手前に、左に曲がる道があるんです。その先に昔小学校だった廃校があるらしくて。廃校と言ってもちゃんと管理はされてるみたいですけど」

 勇はウイッチが遺跡や古い建物が好きな、そっち系のマニアなのかなと一瞬思った。

「ウイッチさんは古い建物とか好きなんですか?」

「いえ、好きではないですよ。ちょっと行くのは事情があって・・・・・・」

 一人で山奥の廃校に行く事情ってなんだろうか。勇は無意識の内に眉間にしわを寄せた。そして聞くだけ聞いてみるかと思った。

「事情ってなんですか?」

 と、思い切って直球で聞いてみた。内心面倒ごとに巻き込まれるのではという心配も脳裏をよぎったが、持ち前の好奇心と探求心がそれを軽く上回った。

「聞いてくれます?」

「え? うん」

「少し移動しませんか? ここ、ちょっと落ち着かなくて」

「あ、はい、いいですよ。店の入り口ですもんね」

 二人は自転車を漕いで、長い下り坂をブレーキをかけながら走った。坂を下ってしばらくは平坦な道が続き、海沿いの道に出た。ウイッチが先導する形で左に曲がり、海の方に出る舗装していない幅二メートルもないくらいの細い道を、土ぼこりを上げながら駆け抜けた。その先に小さな公園を見つけた。背もたれ付きのベンチと地図の看板、トイレもあった。二人は自転車を止めベンチに腰掛ける。

 勇は目線を下げてスマホを見た。あと十分程で十一時になろうかとしている。話を聞いたらすぐ出発しよう。ウイッチの宿は近いが、自分の目指す町までは先が長いと勇は思った。そしてウイッチは語り始めた。

「私のブログ友達で、一人仲良しがいるんですけど、その子とは連絡をよく取り合ってて、何度か会って遊んだりしてたんです。その子のブログのハンネは、ゆきのあかり。私はあかりちゃんって呼んでます」

 そう言ったウイッチの表情は、少し元気が無くなったように見えた。

「あかりちゃんは遺跡や古い建物を、見たり、写真に収めるのが好きで、昨日の午前中にあかりちゃんは一人で廃校に向かったんです」

 勇は無言で頷く。

「廃校に着いたあと、私と連絡を取り合っていました。あかりちゃんが事前に調べた情報だと、その廃校は管理されてるみたいで、グラウンドは綺麗に整備され、校舎の扉や窓はいつも施錠されていると。だけど昨日はなぜか、正面玄関が施錠されていなくて、でも、あかりちゃん以外の車とか人の気配は無かったらしいんです」

 勇は頭の中で整理しながらウイッチの話を黙々と聞いている。

「廃校に着いてから、ずっと私と通話しながら移動してて、私は止めたんですけど校内も撮影するって言って、教室や職員室、それから体育館に音楽室だったかな、あちこち写真を撮りながら、最後に図書室に入ったんです」

 勇はウイッチの話の結論が読めないまま、ただただ理解しようと、時折り頷きながら耳を傾けていた。

 図書室の本棚からは綺麗に本が無くなっていて、たった一冊だけ残っていたみたいなんですけど、その本はかなり古そうな感じで、カバーは無く、表紙もボロボロ、紙は変色してたって言ってました。

「う、うん」

「本のタイトルは、決戦場。本を開くと各ページに一匹ずつ怪物の絵と、その下に怪物を説明するような言葉が少し書いてあって、最後のページに決戦場のルールと入場方法って書いてあったそうです。あかりちゃんがそのページの写真を撮って送ってきて、これなんですけど」

 ウイッチはスマホを差し出した。勇はスマホを受け取り画面を拡大しながら読んでみた。そこにはこう書かれていた。


 ※ 決戦場のルールは三つ

① 入場も退場も何度でも可

② 各決戦場に、一度に入場できるのは四人まで

③ 決戦場の中では、強い念のこもった言葉が具現化する。


 ※ 決戦場の入場方法

① 怪物を選ぶ

② 怪物の下に記された言葉を唱える


「あかりちゃんは私との通話中に、ある言葉を唱えました。それっきり彼女との連絡は途絶えてしまったんです。時間を置いて何度も掛けなおしましたけど繋がらなくて、今は電源も入ってない状態です。あかりちゃんのブログと、他のSNSの更新もすべて止まってます」

「え? じゃあ、その図書室で倒れたかもしれないってこと?」

「はい。私もびっくりして、でも廃校の詳しい場所も聞いてなかったし、どうしようって思って」

「うんうん」

「あかりちゃんはどんなに忙しくても毎日SNSを更新する人で、朝と夜は必ず欠かさなかったから。でも夜になっても更新されず、私は警察に相談に行くことにしたんです。

「うん」

 勇は冷静に頭を働かせながら真剣に聞き入って、今夜の宿まで先が長いことなど忘れかけていた。

「そう思った矢先にあかりちゃんからLINEが届いたんです」

「なんてきたの?」

(おねがい! 信用できる人を一人か二人だけ連れてきて。入場できるのはあと二人まで。一旦出たけど、あの子が居るからまた戻る。私もあの子も長くはもたない。警察も役には立たないと思う。まず信じないから。スマホの電池ももう切れる)

 (どうしたの? 何があったの?)って返したんですけど、既読にもならず、電話を掛けても繋がらず。

「う、うん」

「それがあかりちゃんからの最後の連絡です。あかりちゃんの言葉通り警察には言っていません。私は一人で探しにいくつもりでした。信用できる人が思いつかなかったので。でも昨日、勇さんのブログを見て・・・・・・その」

 ウイッチはそこまで言って言葉を詰まらせた。数秒の沈黙が過ぎ、ウイッチに言葉が戻る。

「あかりちゃんが写真を送ってくれた決戦場のルールにはこうありました。入場できるのは四人まで。あかりちゃんからのLINEが本当なら、すでに二人入場していることになります。中にもう一人いて、一緒に退場したいけど、できない事情があるということになります」

 そう語るウイッチの眼差しからは、あとに引けない決意のようなものを感じとった。数秒の沈黙の後、勇は静かに口を開いた。

「旅館をキャンセルして今から一緒に行く? 明日合流して行ってもいいけど早い方がいいよね? 一応、暗くなってもライトとかランタンならあるし」

 にわかには信じれない内容の話ではあったが、少なくともウイッチが嘘をついているようには見えなかった。

 ウイッチの目に一瞬、光が差した。

「一緒に探してくれるんですか?」

「うん。ただ、今からだと迷わず行っても廃校に辿り着く頃には夕方だよね。そこから捜索だから、う~ん、長期戦になる可能性があるからランタンとライトの予備の電池が欲しいな。またコンビニあったら寄るわ」

「はい」

 それを聞きながらウイッチは不安に押しつぶされそうになりながらも、勇の言葉が放つ何かに不思議な安心感を覚えているようだった。

「先は長い、行こうか」

 勇が言うと、ウイッチは黙って頷いた。結局いくら進んでもコンビニは無かった。電池の予備はあるけど長期戦になることを考えると余計に持っておきたかった。MTBのハンドルにライトを二つ付けているから、必要なら外して使えるなと勇は思った。真っ暗な夜の山道を走ることや、雨や衝撃でライトが壊れることも想定して、ハンドルに二つ、それとは別にウエストポーチにも一つ、それにマグカップくらいの大きさのランタンもリュックに入れていた。

 再び山越えをくり返したが、旅の仲間ができたせいか幾分楽に感じた。後ろを走るウイッチは、今何を考えているのだろうか? 今夜は二人とも宿無しになりそうだ。ウイッチの言っていることが本当なら宿でくつろいでいる場合ではない。もしこれが自分を騙すための演技だというなら黒幕を殴ってやりたい気持ちだ。しかし、ウイッチの言葉を確かめる方法は、その廃校とやらに行って確かめるしかないと勇は思った。

 途中短い休憩も挟みながら例の分岐点までやって来た。運命の別れ道だ。


不死者の決戦場

 中学三年生の一人(かずと)は、先生達の都合でお昼前に授業を終えて帰路に着いた。

 半島の最北端から車で約十五分ほど南下した場所に、山間の集落がある。一人はそこに母親の優子と二人で住んでいた。わずか五十人ほどの集落で、今はもう年寄りばかりだ。集落の人達は、食料のほとんどを自給自足でまかないながら、これといった贅沢もせず、慎ましい暮らしを送っている。

 一人が通う中学校は、そこから南に自転車で一時間かかる。雪が積もる時期は毎日、優子に車で送ってもらっている。

 一人が通っていた小学校は歩いて行ける距離にあったが、小高い山の上にあり、徒歩だと一時間近くかかる。道は舗装されていたものの、かなりの急勾配である。優子は学校行事に参加するため、年に数回は車で登っている。馬力の小さい優子の軽自動車は、アクセルを踏み込んでもアクセル音が唸りを上げるだけで、亀のようにノロノロとしか進まなかった。その小学校も一人が卒業した年で廃校となり、一人は最後の卒業生となった。

 三年生は一クラスしかなく十二人。後輩はいない。同級生の半分近くは、卒業と同時に遠くの町へ引っ越していった。残った友達も時間の問題らしい。

 一人の家は母子家庭で、父親は優子の妊娠を知り、行方をくらました。優子の両親は早くに病気で他界していて、頼れる親戚も近くにはいない。そんな中、優子が生まれ育った集落の人達は、まるで自分の孫のように一人を可愛がって、優子にも親切に接してくれた。お陰で二人は生活に困ることは無かった。優子は、日曜日を除いて朝から夕方まで隣町のスーパーで働いている。

 一人は部活も塾も嫌がり、他の生徒達がしているような習い事はしていない。母親の負担を減らそうとする一人なりの優しさである。優子もそれを分かっていたが、あえて深く追求することはしなかった。唯一、例外的に習い事を一つだけやっていた。隣町の小さな空手道場に、週に一回だけ通っていた。月謝が二千円とお金の負担が小さいことと、一人自身が格闘技が大好きだったこともあった。遠いこともあり道場に通うのは週に一回だったが、自主練は毎日欠かさなかった。

 決して贅沢は出来ない暮らしの中で、一人は三年生になってから、一つだけ母親に買ってほしいと頼んだものがあった。携帯電話である。

 これさえあれば、母親や友達とも連絡が取れるし、ネットから様々な情報が仕入れられる。オンラインゲームだって出来る。一人は高校に入ればバイトして携帯代を稼ぐつもりでいる。出来れば母親の携帯代もだ。


 勇とウイッチは、半島の最北端近くに位置する例の分岐点までやってきた。分岐を示す看板が見える。

 海の方へ向かう道は五十メートル先で二股に別れ、漁師町と温泉町へそれぞれ続いている。そして南に向かう道の先には小高い山が連なっている。

 山を抜ければ町に出て、そのまま進めば海沿いの道に出る。半島の東側を海沿いに南下する道に繋がる。

 勇とウイッチは南の山の方を目指す。南へ向かうのは、山間の集落に住む人か、南の町へ向かう人がほとんどだろう。途中で左に折れて、廃校へ向かうのは、廃校の管理者か一部の物好きだけに違いない。そもそも廃校は本当にあるのか? 勇は思った。

 看板の手前で、二人は息を合わせたように自転車を漕ぐのをやめて、ブレーキをかけ、地面に足を着いた。

 勇が携帯で時間を確認すると、すでに十六時を少し回っている。決して速くないウイッチのぺースに合わせていたこともあり、時間はかかった。それでも想定の範囲内だ。迷わず順調に来れたけど、ここからが本番か・・・・・・。

 心の中で呟いてから、ウイッチに聞こえないくらいの小さな溜息をついた。とにかく行ってみようと勇は思った。

 図書室にある古い本の話が本当だとは思えない。だとしたら、俺をその廃校とやらに連れていくことが目的? 宗教の勧誘と洗脳をするため? 数十年前によく耳にしたマルチ商法の勧誘? しかしもし本当だったら?

 あかりは信用できる人を一人か二人連れてきてほしいとLINEしてきたらしいが、どんな人間か指定はしていない。警察は避けている様子で自由に連絡が取れる状態ではないのかもしれない。

 勇はここに来るまで、自分が不利になる色々な可能性を考えていた。結局なんでウイッチの話に乗ったのかといえば、三つ理由があった。

 一つ目はウイッチが嘘をついているようには見えなかったこと。二つ目はブログのネタになるから。三つめは勇自身が真実を確かめたかったからである。探求心が旺盛で、ここぞという時の行動力に秀でた勇ならではの判断なのかもしれない。

 ウイッチが自転車を降りて背伸びしている。勇も自転車を降りて脚のストレッチを始めた。

 この感じだと今夜は廃校で夜を明かすことになりそうだな。廃校とはいえ管理されてるみたいし、もしかしたらソファーもあるかもしれない。保健室ならベッドもあるかな? さすがに残ってないか。

 ウイッチの表情から疲労の色が見て取れる。一晩休んでからではなく、すぐ出発したことが吉と出るか凶と出るか。今からなら町へ向かえば、今夜の宿は確保出来そうだ。俺は大丈夫だけど、ウイッチはどうなんだろう。勇はウイッチの方を見た。

「ウイッチさん、調子どう? ここからなら町までそんなに遠くないと思うし、宿に泊まって休んで、朝からって方法もあるけど、どうしたい?」

 ウイッチは、すぐさま切り返した。

「私は疲れてますけど、あかりちゃんが心配ですから。勇さんはどうなんですか?」

 決まったな。勇は思った。

「よし! じゃあ廃校に向かおうか」

「はい!」

 覚悟はしていたが、想像以上の登り坂が二人を待っていた。勇は走っている間、たまにチラッと後ろを確認していた。勇はわざとペースを落としていたが、ウイッチがこれ以上漕ぎ続けるのは厳しそうに見えた。勇は自転車を止め、歩き始めた。

「さすがにきついね、押して行こうか」

「あ、はい、もういっぱいいっぱいだったんで助かります」

 そう話すウイッチの脚は少し震えたように見えた。かなり無理がきているようだ。

 十分と歩かないうちに左に折れる道が見つかった。看板は無かった。見るとかなり勾配のきつそうな坂の入り口が見えている。鬱蒼とした森に覆われている。木々に陽の光を遮られ薄暗くなった入り口は、この先の苦難を暗示しているようにも見えた。

 二人は黙々と自転車を押しながら、急勾配の坂をゆっくりと登っていく。登り始めてすぐに、熊出没注意の看板が見えた。しかし、気持ちが前に出過ぎてハイになっているのか、ウイッチは気にする素振りも見せなかった。

 勇は、ふと立ち止まった。つられてすぐ後ろを歩いていたウイッチも立ち止まる。

 濃い霧が前方を覆っている。視界は悪かったが、ゆっくり歩く程度の速度なら気をつければ進めそうだ。道は何度も右へ左へとクネクネと曲がり、勾配は更にきつさを増しているように思えた。

「大丈夫? 視界悪いから足下に気を付けてね」

 勇は周囲に注意を払いながらウイッチに声をかけた。

「はい、霧凄いですね。たぶんもうすぐ学校だと思います」

 そう言って勇のすぐ真横を指さした。霧で隠れて勇は見落としていたが、そこには小さな木の看板が立っていた。

(この先 五十メートル しらほね小学校)

 看板を過ぎて、一度だけ左に大きく曲がった先に、開けた土地が見えてきた。霧で覆われて校舎は見えなかったが、森を抜けたのは間違いない。校門と駐車場らしき場所を通り過ぎ、グラウンドに出た。

 グラウンドの真ん中までくるとフェンスが見えた。その先に林が見える。あれっ? と思って振り返ると、今しがた通ってきた駐車場らしき場所の霧が少し薄くなってきていて、駐車場らしき場所のすぐ横に、二階建ての校舎が姿を現した。

 勇は唖然として、濃い霧に見え隠れする校舎を眺めた。すぐ横を通り過ぎたのに気付かないなんて・・・・・・。

 二人はUターンして校舎を目指す。先ほど通り過ぎた駐車場らしき場所に正面玄関のような入り口が見えた。霧で見えなかった駐車場の片隅に、白色のミニバンが一台駐まっていた。

「あかりさんの車?」

「はい、間違いないです」

 ウィッチは車内を確認したが、中には誰も居ない。二人は自転車を止めて、鍵はかけずに扉へ進んだ。ギィ〜という音を立てながら、勇は扉を押し開けた。

「図書室だよね?」

「はい、二階だったと思います」

 いよいよ来たな・・・・・・。勇は胸の奥に幽かな高揚感を覚えた。二人は冷静さを装いながら、吸い込まれるように廃校に侵入した。空の下駄箱が所狭しと並んでいる。

「土足のままでいいですかね?」

 ウイッチが口を開いた。勇は玄関を少し歩いて辺りを見渡した。

「スリッパは無いみたいし、何があるか分からないから靴は履いてた方がいいと思う」

「ですよね、私、ちょっと怖くなってきました」

 ウイッチはそう言ってから咳き込んだ。不安と緊張のせいか表情は重く見える。

 入ってすぐに、正面と左右に通路が伸びている。左手は数メートル先で行き止まり。その横に階段が見えていた。右手は真っすぐ長く続いていて、奥の方までは暗くてはっきりと見えない。正面の通路は突き当りに扉が見えて、扉は閉まっている。

 勇は、やや緊張した表情を緩めて、深くゆっくり深呼吸してみせた。

「早くあかりさんと合流できるといいね。分岐してからほとんど休んでないし、とりあえず図書室に着いたら休憩しようか」

「はい、ほんと疲れました」

 そう言ってウイッチは目をパチッと開けて笑顔を見せた。勇は内心、失敗したかなと思った。あかりの状況ははっきりしないし、急いだ方がいいのかもしれない。しかし、ウイッチの体力も考え、宿で休んで朝からにするべきだったか。

 あるいは自分一人で来るべきだったかも。もしもここに、自分達に危害を及ぼす者が居るとしたら、自分だけなら何とでも出来る自信はある。打たれ強いし、逃げ足にも自信がある。しかし、ウイッチを守ることが出来るだろうか? 最悪、何が起きてもウイッチだけは逃がさなければ。

「勇さん、階段昇ります?」

「え? う、うん。あ、でもちょっと待って、正面の通路もちょっと行ってみる」

「あ、はい、何ですかね? あの先は」

 勇は正面の通路を進み、ウイッチはすぐ後を続く。勇は金属で出来た大きな観音開きの扉を力強く静かに引っ張った。

「体育館ですね。あ! バスケのゴールネット。懐かしい」

 ウイッチは嬉しそうな表情を見せた。勇が体育館の中を見渡すと、左手真ん中に大きな扉が一つ、左奥にも一つ、右手にステージ、右手前と右奥にも一つずつ扉があった。左手にあるのは位置的におそらく、外に通じる扉と用具室、右手前は控え室? 右奥の扉は校内の別の場所に通じていそうだ。

「ここ、通り抜けますか?」

「う~ん、戻ろうか」

「はい」

 勇は自分が、同じ道をグルグル回るように指示するナビくらい方向音痴なのも忘れて、ほとんど勘だけで先導していた。二人は正面玄関まで戻り、今度は入り口から見て右の通路を進んでいく。すると右手にもう一つの玄関があった。下駄箱は無く、正面玄関よりも作りが立派に見えた。おそらく先生や来賓用の玄関だろう。左端には、かつて美術品が飾ってあったであろう立派な木の棚があった。右側の壁には畳二畳分くらいの大きな絵が立派な額に飾られていた。たくさんの子供たちが青い龍の背中に乗って山の上を飛んでいる。山の頂上には校舎とグラウンドが描かれていた。

 玄関の外には池が見える。空のようだが、昔は鯉が泳いでいたのかもしれない。

 二人は玄関を後にする。放送室を通り過ぎると、突き当りに職員室があった。窓から職員室の中を眺めながらL字の通路を左に曲がる。そこから真っすぐ進むと広い空間に出た。

 左手に階段と奥に進む通路が見えた。階段の先は教室か、あるいは別の部屋があるのかは分からなかったが、図書室ではない気が勇にはした。奥に進む通路の先は、位置的におそらく体育館に通じていそうだ。

 右手には給食室に向かう通路があった。それらを後にして、二人は周囲を確認しながら慎重に先へと進む。少し進むと、何か動物を飼育していたらしい大きめのケージがあった。

 更に進むと、また階段がある。階段のすぐ左手には理科室があった。窓の外から室内を覗くと、年季の入った木のテーブルが整然と配置されているのが見えた。階段の右手には音楽室が見えた。

 階段を上がると、右手奥には家庭科室が見えた。そして、階段の左手にそれはあった。図書室だ! 正面玄関から入って右に進んだのは正解だった。左手の階段を進めば、ここには通じていなかっただろうと勇は思った。

 図書室の扉は廊下側から見て二か所あり、手前側は、人一人かろうじて入れるほど開いている。他の部屋はすべて扉が閉まっていたことを考えると、やはりここにウイッチの仲間は居るのか?

 ウイッチは半開きの扉から恐る恐る室内を見渡した。整然と並んだ古びた長テーブルとパイプ椅子も残っていた。左の壁際と右奥の方に空の本棚が並んでいるのが見える。ウイッチは勇の方を見て、小さく首を傾げて不思議そうな顔をしてみせた。

 勇も見渡してみたが、見える範囲に人の姿は無い。奥に居るのか? 勇はウイッチの顔をチラッと見たあと扉に手を掛ける。扉は、誰かが反対側で開かないように押さえているのでは? と思えるほど重たく、ギギッ、ギギッと音を立てながらゆっくりと開いた。

 図書室に入ると、正面に大きめの窓がある。窓はあまり感覚を開けずに右奥まで続いていた。外はすでに暗くなってきている。学校全体を綺麗に覆い隠していた霧は、嘘のように晴れている。勇はショルダーポーチから携帯を出して時間を確認した。十八時を少し回っていた。

 思った以上に時間が経過していた。ずっと自転車を押して歩いていたことと、濃い霧で視界が遮られ、ペースを落としていたことが要因だろう。

 部屋の中は薄暗く、探索は急いだ方が良さそうだ。二人は部屋の中を注意深く見渡しながら奥へと進んだ。奥には空の本棚が三列並んでいた。人の気配は無い。

「誰も居ないね」

 勇は薄暗くなった室内を見渡しながら、入ってきた扉の方へ戻り始めた。

「居ませんね」

 ウイッチは困った顔で答えながら、奥の本棚に一番近い長テーブルの前で足を止め、うなだれるようにパイプ椅子に腰掛けた。少し涙ぐんでいるようにも見える。

 勇はウイッチの落胆した様子を見て、ふぅ~っと、ゆっくり息を吐きながらウイッチの隣に座り、目の前にある本棚の方を向いてこう言った。

「ちょっと落ち着いて考えよう」

 そう言ってウイッチの方を見た時、後ろの長テーブルの上に、何かが置いてあるのが目に入った。

 本が一冊、閉じられた状態で置いてある。カバーは付いておらず、表紙は変色して茶色になっていた。薄暗い室内で、まるで擬態した虫や動物のように、テーブルと同化していた。

「ウイッチさん、後ろ見て」

 勇はウイッチの斜め後ろを指さしながら、ゆっくりと声を掛けた。

「え?」

 うなだれて下を向いていたウイッチが後ろを振り返る。

「あ、本! ぜんぜん気付かなかったです」

「テーブルと同化してたね。俺も気付かなかった」

 ウイッチは立ち上がり、本を手に取って再び椅子に座った。座ったあとに脚が震えている。かなり無理しているようだ。勇も疲労がかなり蓄積されていて、もし今、長テーブルの上で横になったなら、すぐに寝れる自信があった。

 本の表紙はボロボロでタイトルもはっきり見えない。勇はリュックからランタンを取り出してテーブルの上に置いた。スイッチを入れると、パッと周囲が明るくなった。

 暗がりに紛れ、姿を隠していた本のタイトルが、二人の前にあぶり出された。

 決戦場・・・・・・確かにそう書かれていた。

「これか」

 勇は、しばらく感じたことのない胸の高鳴りを感じた。それはまるで、父親が産まれて間もない我が子を、初めて見た時のような高揚感だった。

 勇が余韻に浸っている間に、ウイッチは本を調べ始めていた。小さなショルダーポーチから紙のメモを取り出して、一ページずつ調べている。

 勇が近づくとウイッチは、メモを見せてこう言った。

「あかりちゃんがこの本を見て唱えた言葉です。覚えている範囲でメモしておいたんです」

「うんうん」

 メモにはこう書いてあった。

(夜明けを与える 私は永遠に陽の昇らない 私は不死者を束ねる者)

 途中で言葉が飛んでいるようで、意味がよく分からない。ウイッチはページごとに描かれている怪物には目もくれず、絵の下の文章だけを素早く読んでいる。矢継ぎ早にページをめくりながら、あかりの手掛かりに近づいていく。

 勇は何かを思い出したようにウイッチに話しかけた。

「ちょっと探し物してくる。そのまま探してて」

 勇はそう言ってライトを手に持ち、図書室を出ていった。ウイッチは一瞬戸惑ったような表情を見せたあと、再び調べ始めた。

 十分ほど経っても勇は戻ってこない。それほど厚い本ではなく、各ページ下に書いてある二行か三行ほどの文章を読んでいるだけなので早い。すでに半分を超えていた。

 あった! 半分を少し過ぎた辺りで、メモの文章によく似たものを見つけた。そこにはこう書かれていた。

(亡骸に夜明けを与えるのが神ならば、私は永遠に陽の昇らない闇を与えよう。私は不死者を束ねる者)

 勇が右手にライトを持って戻ってきた。図書室の窓から見えるはずの校舎は、すでに夜の帳が下り、識別は難しい。勇がテーブルの上に置いたランタンの光が無かったら、室内も闇に包まれていただろう。

 ウイッチは戻ってきた勇の姿を見て、ホッとしたような表情を見せた。と、同時に、勇が左手に持っている二本の棒のようなものが気になった。

「なんですか、それ?」

「刺又だよ。職員室と、あと、教室から近い廊下にもあった。壁に掛かってた」

 防犯上の理由で常備していたものが、運よく残っていたようだ。

「一応、身を守る物くらいはあった方がいいかなって」

 そう言って二本の刺又をテーブルに立て掛け、ウイッチの横に座った。

「勇さん、ありましたよ。多分このページです」

 勇は本を覗き込む。

「うんうん、そうだね、で、その下の言葉を唱えたら決戦場に入場出来て、あかりさんがそこに居るかもしれないと・・・・・・」

「分かりません。でも、試してみます」

 ウイッチがそう言ったのを聞いて、勇は持ってきた二本の刺又を左手で握りしめた。右手はライトを持っている。

 ウイッチはそれを確認したように口を開いた。

「読みますね」

「あ! ちょっと待って。その絵をよく見たい」

 二人は改めて、そのページに描かれている怪物の絵を眺めた。フード付きの黒いローブを着た骸骨の姿が描かれている。これが不死者を束ねる者?

 勇はウイッチの方を見て黙ったまま頷いた。ウイッチはリュックからペットボトルの水を取り出して一口飲んだ後、落ち着いた表情で真っすぐ前を向いたまま立ち上がった。

 勇は少し怖くなり、刺又を握る手に力が入った。そして静かに立ち上がった。

 ウイッチは、まるで悪魔でも召喚するように言葉を発し始めた。

(亡骸に夜明けを与えるのが神ならば、私は永遠に陽の昇らない闇を与えよう。私は不死者を束ねる者)

 ウイッチは両目を瞑り、両手を合わせ祈った。あかりちゃんの居る場所に行けるように・・・・・・。

 勇は、テーブルの上にある誰も触れていないはずの本が、得体の知れない不思議な力でゆっくり閉じ始めるのを目にした。そして、本を中心に半径三メートルくらいの空間が歪んだようにも見えた。

 次の瞬間、意識が遠のくような感覚が襲ってきて、勇は反射的に倒れまいと踏ん張った。ウイッチは両手で頭を押さえ、前屈みになったあと椅子に沈むように座った。勇の意識が戻ると、辺りの様子は一変していた。


 地下道? 学校の廊下ほどの高さと幅があるだろうか。通路が奥に向かって一本真っすぐに伸びていた。薄暗い通路は、天井も、壁も、石で作られている。

 照明らしきものは見当たらなかった。通路の奥は闇に包まれているが、十五メートル先くらいまでならなんとか見える。勇の数メートル先で、ウイッチが座り込んで辺りをキョロキョロしていた。

 通路の壁や天井が微量な光を発しているように見える。照明が無くても視界を確保できているのは、このおかげだろう。後ろを振り返ると、数メートル先で蜃気楼のように空間が歪んで見える。

 痛夫は何となく、そこに立てば今さっきまで居た図書室に戻れるだろうと思った。勇は右手に持っていたライトをウエストポーチにしまいながらウイッチに近寄った。左手に持っていた二本の刺又の内、一本をウイッチに渡す。

「ウイッチさん、一本持ってて」

「あ、はい、ここが決戦場?」

「多分、この先がそうなのかな。で、後ろの歪んで見える空間が図書室に繋がっているんだと思う」

 勇はそう言って、蜃気楼のように揺れる空間を指差した。ウイッチは立ち上がり、決戦場の入り口らしき揺れる空間を見つめた。そして勇から刺又を受け取り、通路の先に顔を向ける。

「ちょっと様子見てくる。待ってて」

 勇はそう言って歩き出したが、ウイッチが腕を掴んで引き止めた。

「一緒に行きます!」

「・・・・・・分かった」

 なるべく足音を立てないように、二人は慎重に進んだ。薄暗い通路はしばらく真っすぐ続いて、その先に広い空間が見えた。

「ウイッチさん!」

 勇は早口な小声で、通路の端に身体を寄せるように手で合図をしながら、自分も壁に身体を寄せた。勇とウイッチは、向かい合うように両側の壁に立っている。

 広間の入り口には扉は無い。勇には一瞬、広間の中に数人の人影のようなものが見えたのだ。ウイッチは察して、広間から見えないように、背中を壁にはりつけた。幸い広間の入り口近くは、通路の端に寄れば中からは死角になる。

 二人は壁際に移動しながら、広間の入り口まで来た。勇は耳を澄ませ、壁の向こう側の広間から聞こえる音を聴いた。

 ウイッチは、勇の一挙手一投足に注意を払いながら、刺又を握る右手に力が入った。

 広間からは何も聞こえてこない。まるで時間が止まっているかのような静けさだった。さきほど、確かに何か居た。勇はそう思い、ウイッチにそのまま動かないように左手で合図を送ったあと、広間から自分の姿が見えないように、恐る恐る中の様子を覗いた。

 勇は血の気が引いた。勇の方からは反対側の広間左側だけが確認できる。奥までは見えないがパッと見た感じ、体育館くらいの広さはありそうだ。その中に人が、いや、人型の何かが数体立っているのが見えた。入り口から近い場所に動かずじっと立っているのだ。しかしよく見えない。数本の太い柱も見えた。

 勇はウイッチの方を見て、苦いような表情を見せた。視力の良いウイッチは、広間の右側をそっと覗いた。直径一メートルはあろうかという太い円柱型の柱が数本見える。広間の天井は通路よりずっと高い。三倍近くはありそうだ。柱の近くには人型の何かが数体、じっと立っている様子が見える。ウイッチは人型の中で、ひときわ目立つ、他の倍の背丈はあろうかという者の姿を目にした。

 全身を包帯のようなもので覆われている。がっちりとした胸と肩、肩から伸びるウイッチのウエストより太いと思われる腕、 木の幹のような逞しい脚、真っ赤に充血した大きな目、潰れた耳、頭には何か刺さっているようにも見えた。

 他の者もよく見ると、眼球やはらわたが飛び出している者、腕がちぎれかけ、足がありえない方向へ向いている者、肉が腐り落ち、骨が剥き出しになっている者など、異形の者たちだった。

 ウイッチは気が動転しながらも、なんとか気持ちを落ち着かせようと、広間から目を遠ざけ壁側に身を引いた。次の瞬間、力が抜けたのか刺又が手から離れてしまった。

「カターーン!」

 静寂に包まれていた空間に緊張が走る! ウイッチは焦って、床に落ちた刺又を広間から見えないように素早く拾った。勇は青ざめ、顔を引きつらせながら中の様子に耳を澄ませた。

「ああぁ~!」

 広間内に、地の底から這い出たような呻き声が無数に響き渡る。足を引きずりながら、奴ら異形の者たちの近づく音が聞こえた。

 まずい! 奴らが来る! 勇は両手で刺又を握りしめながら、異形の者達の足音を聴くことに全神経を集中させた。

 奴らがここまで来るなら、ウイッチもいるし一度引こうかと考えた。しかし勇は、奴らが来るかどうかは半々だと、根拠の無い予想をしていた。

 ウイッチは広間の入り口をじっと見つめている。おそらく恐怖に支配されそうな心と向き合って必死なのだ。それでも目はまったく死んでない。戦う者の目だ。

 異形の者達の足音が小さくなっていく。勇たちが恐る恐る広間を覗くと、奴らが広間の奥に戻っていく姿が見えた。

 勇はウイッチの方を見て、胸に手を当て、ほっと胸を撫で下ろす仕草をしてみせた。ウイッチは天を仰いでから、カクッと頭を下げる仕草で返した。一気に寿命が縮まったという表情だ。

 勇は、とりあえず、あかりが中に残っているのかを確認したいと思った。ウイッチもそれは同じだろう。問題は、あかりが中に残っていたとして、ケガを負って逃げたくても逃げれない状況になっているかもしれないということだ。もしそうなら面倒なことになる。あかりから来たLINEでは、もう一人いるような感じだった。最悪の事態になっていなければよいが。

 勇はウイッチに一旦戻るように合図した。手をグーにした状態から親指を立て、その立てた親指を入り口の方に何回か振った。そして勇自身も壁沿いに入り口へ向かって慎重に移動し始めた。ウイッチは合図を見るや小さく頷き、勇の後を追った。

 二人は蜃気楼のように空間が揺れる入り口まで戻ってきた。

「ここまでこれば大丈夫やろ」

 勇はそう言って、その場にあぐらをかいた。ウイッチも倒れ込むように勇の方を向いて座った。

「あの全身包帯グルグル巻きの巨人見ました?」

「え? そんな奴も居たの? 俺くらいの背丈のゾンビが数体見えただけだよ。俺、目はあまり良くないんだよね」

「視力どれくらいですか?」

「う~ん、0.3あるかどうかくらい。車の運転は眼鏡かけてるしね」

「そうですか。私は1.5くらいあるんですけど、私たちと似たような背丈のゾンビが数体と、巨人は身長が三メートル近くあったんで、もし居たら勇さんも見えてますよ」

「そか・・・・・・その巨人は厄介だね」

「はい、しかもかなり筋骨隆々でした」

「さっきはもうダメかと思いました。刺又落としてすいません」

「そんな巨人見たら驚くのも無理ないよ。とりあえず、中にあかりさんが居るかだけでも確認したいね」

「はい。無事だといいんですけど」

「ウイッチさん、ここで待ってて」

「え? どうするつもりですか?」

「とりあえず、中に人が居るか確認したいから。奴らは追いかけてくるだろうけど、逃げ回りながら中に誰か居るか探ってみる。居ても居なくても確認したら一回戻ってくるよ。さっき聴いた音の感じからすると、そこまで動きは速くないんじゃないかな」

「あの巨人は、他のより速いと思います。なんとなくですけど」

「歩幅もありそうだしね。とにかくやってみる」

「わ、私が行きましょうか? 走るのなら速い方だと思います。学生の頃はバスケ部で、毎日走ってましたから」

 勇は、はっきりいって走るのは自信がなかった。もともと特別速い方ではなかったし、二十代の頃と比べると体重も増えている。おそらくウイッチの方が速いだろう。しかし、巨人の話を聞いてしまっては行かすわけにはいかないと思った。

「いや、下手をするとゾンビたちと戦わないといけなくなるかもしれないし、俺が行くよ。まあ、無理はしないから任せといて」

「はい」

「もしここまで奴らが来そうだったら、図書室に戻ってて。後から俺も戻るから」

「分かりました」

 勇は、もし帰ってこなくても決戦場の中には入ろうとしないで、と言いかけたが、寸前のところで思いとどまった。俺は必ず戻ってくる。

 勇は走り回るのに邪魔になるであろう刺又を置いていこうか迷っていた。迷ったあげく、重いものではないし逃げるのに邪魔なら、その時捨てようと決めた。ゾンビたちの戦力は未知数だ。少なくても巨人に捕まれば無事には済まないだろう。勇は恐怖を心の奥に隠して、ウイッチには平気な顔をしてみせた。

「じゃあ見てくるよ」

 勇はそう言って、通路を壁沿いに奥へと向かって歩き出した。突如、勇の頭の中に、この現実とは思えない世界へ導いた、本のタイトルが思い起こされた。そう、ここは決戦場だ!

 勇は再び決戦場の入り口までやってきた。先ほどと同じ位置に立った。そっと中の様子を伺う。今度は時間をかけてじっくり見た。もし見つかっても突入する覚悟を決めている。

 先ほどと同じだ。自分と似た背丈のゾンビが数体。巨人は反対側にいると思われた。勇はウエストポーチから、ランタン用の予備の単四電池を一個取り出し 左手に握りしめた。

 なるべく奴らに見つからないように注意しながら、左手に握った電池を、力いっぱい左側の高い所を目掛けて放り投げた。上から落とせば、こちらの位置は掴まれにくい。

 勇は投げてすぐ身を隠した。決戦場左側にいたゾンビたちが一斉に慌ただしく周囲を動き回る。それに反応したのか、右側にいたゾンビたちが左側に移動し始めた。

 上手くいった! 巨人も釣られて反対側へ移動している。勇は思い切って決戦場の中へ入った。右側にはもう、一体もいない。左側のゾンビたちはまだ慌ただしく動き回っていた。こちらは見ていないようだ。勇は決戦場入り口から見て、右側の角に見える、数本の太い柱目掛けて走り出した。一番近い柱に辿り着く直前、後ろを振り返ると、左側にいた一体のゾンビと目が合ってしまった。

 まずい! 柱の後ろに隠れて、さらに奥の柱へ移動した。決戦場右側の壁まで一メートルほどしかない柱の陰に身を隠した。どうやら決戦場の四隅にそれぞれ四本の柱が並んでいるようだ。

 勇は柱の陰からゾンビたちの様子を伺った。ゾンビたちの群れまでは四十メートルは離れているだろうか。巨人の姿も見える。

 突如、足を引きずるような音が聞こえた。見ると一つ向こうの柱の陰から一体のゾンビが現れた。先ほど目の合った奴のようだ。俺を探し回っていたらしい。勇はじっと動かなかった。片足を床に引きずりながらジワジワと近づいてくる。引きずっている足の指はすべて無くなっていた。

「ああぁ」

 両手を前に突き出し、ゆっくりとこちらに向かってくる。勇は刺又を構えて、ゾンビが近くまで来たところで少しずつ後退し間合いをとった。ゾンビが柱の陰に入るや否や、刺又で力いっぱい、全体重を乗せて首を突いた。そのまま休むことなく、一回転させるくらいの勢いで、石の床に頭から押し倒した。

 グシャ! っという音とともにゾンビの動きは止まった。すぐさま周囲を見渡したが、他のゾンビが来る気配は無い。良かった、俺に気づいたのは一体だけか。こっちにあかりさんは居なかったな。

 勇は決戦場内を注意深く見渡した。目が慣れてきたのか、かろうじて反対側の壁辺りまで見えるようになっている。

 あかりさんが隠れるとしたら四隅の柱のどれかだろう。他に通路らしきものは無さそうだ。勇はゾンビたちの様子を伺った。すでに動き回るのをやめ勇たちが最初に見た位置に戻り、じっとしている。あの場所が定位置なのだろうか? 巨人も含め、顔はすべて入り口を向いている。勇は決戦場右奥の柱に向かって静かに歩き始めた。

 ゾンビたちは決戦場入り口の方を向いたままだ。近くで音を立てたり、視界に入らなければ平気なのかもしれないと勇は思った。決戦場の床は割れているところもあり、たまに石の破片が落ちていた。勇は足下に注意を払いながら慎重に歩いた。誰か居ないか探りながら柱の裏に身を隠した。こっちの柱にもあかりさんは居なかった。

 ん? 勇は柱の裏の壁に、梯子が設置されていることに気づいた。金属で出来た、丈夫そうな梯子だ。少し後ろへ下がって見上げると、梯子を登った先に、壁の一部だけ綺麗にくり抜かれたような狭い空間が見える。天井は低く、立ち上がったら頭を打ちそうだ。あの空間はなんだろう? 勇は不思議に思った。

 反対側の決戦場左奥の方に目を凝らした。勇の視力でも四本の柱は確認できた。

 居た! 勇は鼓動が早くなるのを感じた。誰かが柱の陰で、頭を膝に当てて座っているように見えた。あかりさんか? とりあえず合流しよう。勇はゾンビたちを警戒しながら、一歩、また一歩と、あかりらしき人影に近づいた。決戦場の入り口から、真っすぐ突き当りの壁を通り過ぎた時、ゾンビたちの一番後ろにいる巨人の顔の向きが変わった気がした。大丈夫! 勇は自分に言い聞かせて歩みを止めなかった。

 勇は、あかりらしき人影に近づいた。よほど疲れているのか、勇が近くにきても頭を膝につけたままだった。寝ているのだろうか。

「あかりさん?」

 勇が小声で話しかけると、彼女はハッとした様子で慌てて顔を上げ、座ったまま身構えた。狐のような細い吊り目の彼女の顔は明らかに疲労の色が見えている。こんな状況下では、まともに寝れるわけもない。当然だろう。痩せて、すらっと長い脚は、座っていても長身であることが一目で分かった。年齢はウイッチと同じか少し上くらいだろうか。

「俺は勇っていいます。あかりさんじゃないですか? ウイッチさんの友達の」

 一瞬で彼女の顔に生気が戻ったように見えた。彼女は緊張が解けた感じで口を開いた。

「ウイッチに頼まれて来てくれたんですか?」

「うん、そうですよ。俺はウイッチさんのブログ仲間です」

「ウイッチと二人で?」

「ええ。とりあえず、あかりさんが中に居るのか探るのに俺だけ来ました。ウイッチさんは入り口で待機しています。ここは、あかりさん一人?」

 あかりの表情が一瞬曇ったように見えたが、その理由はすぐに分かった。四本の柱は、正方形をかたどるように配置されている。その内、一番奥、角の柱にあかりが居る。その左側の壁沿いの柱にも人影が見えた。

「やっぱり、もう一人居るの?」

 あかりは頷き、もう一人の紹介と、決戦場に入った経緯を語り始めた。

「彼は中学生で、廃校の卒業生だったんです。母校に来ると不思議と落ち着くそうで、嫌なことがあった時とかに訪れていたそうです。そして私が興味本位で図書室に入った時、私は気づきませんでしたけど彼も居て、彼は私が入ってきたのを見て本棚に隠れたそうです。私が例の本の言葉を唱えた時、すぐ近くに彼も居て、一緒にここへ飛ばされました。私たちは事情を打ち明けあい、そのあと決戦場の中を二人で探索することにしたんです。あんな奴らが居るとも知らずに」

「彼は大丈夫なの?」

「ケガしてます。彼、格闘技やってるみたいで、強いんです。で、襲ってくるゾンビたちの攻撃を避けながら一匹倒しました」

「へ~凄いね! 中学生にしては根性あるよ」

「ええ、でも、あの巨人に襲われて脚と腹部を負傷したんです。歩くのも無理です。私は逃げながら何とか入り口まで奴らを引きつけ、一旦退場しました。で、ウイッチにLINEしたあと再び戻ってくると、彼は上手くこの柱の陰に隠れていて、そのあとはずっとこの状態です」

 あかりはそう言って彼の居る柱の方を見た。

「あ、彼は、かずと君っていう名前です。漢字で一人と書いて、かずと」

 勇は一人の方を見ると、一人は脚を押さえながら小さく会釈した。勇は挨拶代わりに軽く右手を上げた。

「一人君のケガはかなり悪いの?」

「左脚と左わき腹を痛めているんですけど、かなり痛みを我慢している感じです。私、頭痛持ちなんで、たまたま強めの痛み止めを持ってて、なんとかそれでごまかしている状況ですね」

「それじゃあ下手に動かすこともできないね。といっても、ずっとここに居ても悪化するだけだから逃げないと」

「はい。背負って逃げても、ゾンビはなんとかなるかもしれないですけど、あの巨人には捕まります。だから、あの巨人を誰かが引きつけている間に、別の誰かが一人君を背負って入り口まで逃げる必要があるんです」

「確かに、あかりさんとウイッチさんが巨人を引きつけてくれれば、あとの奴らは動きが遅いから、俺が一人君を背負って逃げれば何とかなるかも」

「ただ、巨人は移動速度が速いので、ただ真っすぐ逃げるだけでは捕まります。うまくできるか・・・・・・。とにかく、一人君をなんとか早く病院へ運びたいです」

「そうだね。そういえば、向こうの柱の裏に梯子があったけど、あれはどこへ通じているの?」

「え? そんなのあるんですか? 気づきませんでした」

「まあいいや。とりあえず、俺は一回戻ってウイッチさん連れてくるね」

「はい。勇さんの持ってるの刺又ですか?」

「うん。学校の中で二本見つけて、もう一本はウイッチさんが持ってる。これで一体倒せたよ」

 あかりは何か返事しようとしたが、声が出なくて少し苦しそうにした。勇はリュックから五百ミリリットルのミネラルウォーターを二本と、落花生の飴を一袋、それにチョコ味のカロリーメイトを一箱取り出して、あかりの前に置いた。

「よかったら食べて。ここから無事に出れたら、温泉にゆっくり浸かって美味しいものでも食べたいね」

 勇はそう言って笑顔を見せた。勇は来たルートを慎重に戻り始めた。あまり遅いとウイッチが心配する。ゾンビたちに変わった動きは見られない。勇は先ほどの梯子のことが気になっていた。あの上の狭い空間はどうなっているのだろうか?

 勇は梯子のある壁まで戻ってきた。勇は登ってみることにした。刺又を後ろの柱に立て掛けた。しっかりとした梯子で、勇が乗っても音も立てず平気そうだ。一歩一歩慎重に登っていく。途中、チラッとあかりの居る柱の方を見ると、あかりがペットボトルの水を飲んでいるのが見えた。

 登りきると、わずか二畳くらいの狭い空間があった。どこへも繋がっていない。空間の一番奥に、大きめの宝箱のようなものが見えた。近づいて開けようとしたが、鍵が掛かっていて開かない。念のため辺りを見渡したが鍵は無かった。鍵はどこに隠してあるんだろう? と思ったが、探している時間は無い。早くウイッチのところへ戻ろう。

 勇は刺又を握りしめて、決戦場の入り口右側の柱まで戻ってきた。先ほど倒したゾンビを横目に通り過ぎる。勇は床に落ちていた石の破片を拾っていた。その石を、奴らの死角から決戦場左側のゾンビたちの居る方へ思いっきり投げた。石は高く弧を描いて飛んでいった。左側のゾンビたちの動きは慌ただしくなり、右側のゾンビたちも釣られて移動を始めた。

 勇は今のうちに入り口へ素早く移動しようとしたが、寸前の所で思いとどまった。まずい! 肝心の巨人が動いていない! おそらく、あいつだけは他の者より賢いのだ。すでに侵入者がいることも気づいているに違いない。だが、このまま待っていればゾンビたちは戻ってくる。何回も同じことを繰り返せば、気づかれるのは時間の問題だ。

 勇は意を決し、決戦場入り口へ向かって走り出した。次の瞬間、まるで待ち構えていたかのように、瞬時に巨人が反応した。巨人は勇の方ではなく、入り口へ向かって最短距離で走り出した。やはり賢い。逃がさない気だ。巨人は勇より早く入り口に到達し、雄叫びをあげた。

「グオオオオオーー」

 巨人の雄叫びは決戦場全体に響き渡った。雄叫びが止んだあと、辺りの空間が何か所か歪んだ。次の瞬間、歪んだ空間にゾンビが出現した。

「くっ!」

 あいつは雄叫びでゾンビを召喚できるのか! 単体なら脅威ではないけど、増えると厄介だな。

 それより、あいつをどうするか。勇は心の中に止めどなく湧きおこる恐怖と焦りを鎮めようとしていた。どんな時でも最後にものをいうのは冷静な判断力! 勇は呪文のように心に強く念じて身構えた。

 迫りくるゾンビの群れ。巨人の雄叫びで四体増えた。十数体のゾンビが勇に向かってくる。勇は巨人の動きを警戒していたが、どうやら入り口から動く気はないらしい。走り回り、隙を見て逃げることを読まれているようだ。

 動きの遅いゾンビたちでも、四方八方から襲われれば危ない。柱を上手く使うか、走り回って動きをコントロールして、一匹ずつ相手しなければ厳しいだろう。できれば走り回って体力をロスするのは避けたい。勇はゾンビたちのペースに合わせ、ゆっくり後退しながら決戦場右奥の柱までゾンビを誘導することにした。あの場所には梯子がある。梯子に登り、登ってきたゾンビを刺又で突き落とすのもありだな。勇は作戦を練りながら後退を続ける。

「ウガーー!」

 入り口を塞いでいた巨人が叫んだ。ゾンビを召喚した時の雄叫びとは違いまるで痛みに苦しむかのような叫びだ。

 ウイッチだ! ウイッチが巨人の脚に刃物を突き立てていた。ウイッチは密かにウエストポーチの中にペティナイフを忍ばせていた。ウイッチの持っていたナイフは刃渡りが五センチと小さいが、持ち手が持ちやすく小回りの利くナイフだ。

 ウイッチは巨人の脚に突き立てたナイフを引き抜き、巨人の股の下を通って勇の方へ走り出した。その瞬間! 巨人にリュックを掴まれた。ウイッチは素早くリュックを脱ぎ去り、寸前の所で脱出できた。

「勇さん!」

「危ないよ!」

 勇は刺又を構えたまま、一瞬だけ笑顔を見せた。

「あかりさんは左奥の柱の陰に居るよ。もう一人、中学生の、かずと君っていう男の子が居るんだけど、ケガしてるみたいで自力で歩けないんだ」

「よかった。あかりちゃんは無事なんですね。あかりちゃんたちと合流しましょう。あ、刺又、入り口に置いてきちゃいました。体力使う武器は合わない気がして」

「そか、ナイフ持っていたんだね。でも、このままゾンビたちを引き連れて行くのはまずいな」

 その時、あかりが剣のようなものを持って手招きしているのが見えた。

「行きましょう! あかりちゃんは私と違って体力あるから戦えますよ」

 勇は頷き、二人はあかりたちの居る柱まで走った。巨人はまだ入り口に陣取っている。こちらを倒しに来る気配もなく、どうやら誰一人逃がさないつもりらしい。ゾンビも呼べるし、思っていた以上に厄介な相手のようだ。

 四人は柱の陰に隠れてゾンビたちの攻撃に備えた。あかりは、どこで見つけたのか刃の欠けた大剣を構えていた。ウイッチはペティナイフを構える。一人は心配した様子で三人を見ている。

「俺が刺又で倒すから、二人はとどめをさして」

 勇がそう言うと、二人は黙って頷いた。ゾンビたちが唸り声を発しながら襲いかかってくる。

 最初は三匹並んでやってきた。勇は左のゾンビの首を、刺又で突いて倒したと同時に、真ん中のゾンビを右のゾンビの方へ蹴り倒した。横腹を蹴られたゾンビと右のゾンビは、ドミノ倒しのように石の床に叩きつけられた。すかさず、あかりが倒れたゾンビの頭に次々と大剣を突き立てながら、ウイッチを制止した。

「ウイッチの武器は小さいから私たちに任せて!」

 ウイッチは、あかりの声を聞いて少し後ろへ下がった。二列目は四匹で向かってくる。勇は右端のゾンビを飛び蹴りして倒したあと、左端のゾンビの方へ素早く回り込んだ。三匹のゾンビたちは勇を襲おうと一列になった。その瞬間! 勇は右足を軸にクルっと回転しながら勢いに乗って、並んだゾンビを蹴り倒した。足の裏で押し倒すだけの蹴りで威力は今一つだが、一匹ずつまともに相手をしている暇は無い。すかさず、あかりが大剣を突き立ててとどめをさした。

 これで七匹。決戦場内のすべてのゾンビが来たわけではないようだ。辺りに静けさが戻る。

「勇さん強い! あかりは驚いた表情で言った」

「あかりさんこそ、ちゅうちょなく大剣をゾンビの頭に突き立てるなんて凄いと思うよ。お陰で助かったけど」

「え? だって勇さんが、とどめをさせって言うから」

「そうだったね」

 勇はそう言って苦笑いした。

「あ、ごめんなさい。助けに来てくれたんでしたね。なんか私、必死で」

 あかりはそう言って、少しばつの悪そうな顔をした。

「あはは。まあ、とりあえずゾンビは対処できることが分かったよ。これなら普段街中で遭遇しても大丈夫だね」

 勇はそう言って笑うと、あかりとウイッチも思わず顔を見合わせて笑顔になった。

「ウイッチさん、ここに来る途中、どこかで鍵なんて見なかったよね?」

「え? 鍵ですか? 見てないですよ。なんの鍵ですか?」

 勇は右奥の柱の方を指差しながら、先ほど見た壁に掛かっていた梯子と、その上の二畳ほどの狭い空間。その奥にあった空箱の話をした。あかりも一人も心当たりは無いと言った顔で、不思議そうに聞いていた。

「あの、もしかしたら、さっきの巨人が首にかけていたかも。リュックを掴まれて逃げる時に、一瞬、巨人の首から何か下がっていたように見えたんです。鍵にも見えたような。一瞬だったんで自信はないですけど」

「へえ~、お宝の鍵は巨人が持っているかもしれないってことか」

 それを聞いて、あかりが口を開いた。

「その宝箱って、もしかして討伐報酬ですかね? 不死者を束ねる者のページの下に、小さく書いてあったんですよね。討伐報酬(不老不死の霊薬)」

 ウイッチが口を開いた。

「じゃあ、巨人はその不老不死の霊薬を守るために居るの?」

 勇が口を開く。

「とにかく、一人君を無事に運ぼう。不老不死どころか、今生きるか死ぬかだからね。もしかしたら宝箱の中に巨人を倒すために役に立つものが入っているかもと思っていたんだけど、それなら要らないかな」

 ウイッチは心配そうに一人の方を見た。

「一人君、大丈夫? 顔色悪いけど、かなり痛むの?」

「はい、なんとかかんとかって感じです」

 一人は苦痛に顔を歪めながら下を向いた。この感じだと背負っていくのも危険だ。どうしたものか・・・・・・。

 勇は柱の方を見て考えた。あかりとウイッチも悩んでいるようだ。勇はみんなの顔を順番に見渡したあと、目の前に並ぶ数本の柱に目を向けた。

 勇は目の前の景色に違和感を覚えた。違和感はやがて恐怖へと変換され始める。柱が一本多い! 一人の居る柱の裏に五本目の柱が・・・・・・。違う! 柱ではない! 巨人だ! 巨人が忍び寄っていたのだ。奴は俺たちが話をしている途中、いや、その前から居た。俺たちの人数と持っている武器を把握したかもしれない。奴は視界に入る者を見境なく襲う低能なゾンビたちとは違う。今こうして、すぐに襲いかかってこないのが何よりの証拠なのだ。勇は小声でみんなに話し始めた。

「落ち着いて聞いて。巨人はすぐそこに居る。それでも! 逃げるわけにはいかない。俺が巨人を引きつけるから、なんとか二人で一人君を外へ連れ出して。あかりさん、その大剣、貸してくれる? 刺又であいつの相手は厳しそうだから」

 あかりとウイッチは恐る恐る後ろを振り返る。五メートルほど先から巨人がじっとこちらを見ていた。勇は欠けた大剣を両手で握って構えながら、巨人の方へと間合いを詰めた。

 あかりは刺又を握ってウイッチに言った。

「勇さんは強いけど、巨人の強さは異常よ。一人で戦えば確実に殺される。仮に私たちが逃げられたとしても、勇さんは死ぬわ。私たちも戦うよ!」

 あかりはそう言って立ち上がり、刺又を構えながら巨人に近づいた。ウイッチも覚悟を決め、ナイフを握ってあとに続く。

 勇はそれに気づいて苦い表情になったが、彼女たちの腹をくくった表情を見て、もう、みんなで戦うしかないと思った。

 突如、巨人が走り出した! 勇たちを避けるように走って、一人の居る柱に手を伸ばし、片手で一人の首を掴んで持ち上げ、絞め始めた。勇は大剣を握って追いかける。あかりたちもあとを追った。しかし、巨人は一人の首を絞めたまま、巨体に似合わぬ軽やかなバックステップで距離を取った。すでに一人の意識は飛んでいた。そして次の瞬間、一人を高く振り上げたと思ったら、勢いよく背中から石の床に叩きつけた。

「きゃあーー!」

 あかりの悲鳴が決戦場内に響き渡る。勇は渾身の力で巨人の脚に斬りつけた。巨人はサッと脚を引き、かわしながら、大きく一歩踏み出して、勇を正面から蹴り飛ばした。五メートルほど飛ばされた勇は、柱に強く叩きつけられ、大剣は手から離れた。とどめをさしに巨人が突進してくる。あかりが阻止しようと刺又を持って巨人の脚に突っ込んできた。刺又は巨人の逞しい太ももを捉えたが、予想を超える弾力に刺又は弾き飛ばされ、あかりも転倒した。ウイッチも続けて脚にナイフを突き立てにいく。巨人は横に飛んで距離を取った。ウイッチはジリジリと巨人との距離を詰める。あかりは起き上がり、再び刺又を手に取る。勇はよろけながら再び大剣を構える。

 一人は間違いなく死んだ。それは三人とも分かっていた。しかし、その現実を見せつけられてから、三人の中には、逃げるという選択肢は無くなっていた。普段は冷静な勇が、心を怒りに支配されていた。あかりもすでに引く気はない。

 そんな中、ウイッチだけは冷静に戦局を見つめていた。ウイッチはあかりの方を見てこう言った。

「決戦場の中では、強い念のこもった言葉が具現化する。そうだったよね」

 あかりはウイッチがそう言ったのを聞いて、決戦場のルールを思い出していた。そして、この状況でそんな言葉が出てくるウイッチが凄いと思った。あかりはウイッチの顔を見た。

 ウイッチは何か悟ったような冷静さを取り戻している。そしてゆっくりと口を開いた。

「怒りの念は火の如く、浄化の炎よ、我が闘気となって敵を焼き尽くせ!」

 ウイッチのからだは、燃えるような赤色の闘気をまとった。ウイッチが巨人に向かってナイフを振ると、燃えさかる火球が巨人目掛けて飛んでいった。次から次へと怒涛の如くウイッチはナイフを縦へ横へと振り続ける。

 巨人は必死に避けようとしたが、あまりの数にすべては避けきれず、三つの火球が、頭と両足に命中した。

「グオオオオーー!」

 巨人の身体は燃え上がり、のたうち回った。しばらくして姿は真っ黒になり、動きが完全に止まった。

 勇もあかりも、ウイッチの思わぬ活躍に驚き、勝利をかみしめた。あかりは一人に近づいて手を握った。一人はすでに息をしていない。首には巨人に絞められた時のあざがクッキリ残っていて痛々しかった。あかりは一人の手を握りながら静かに口を開く。

「魂の器が傷ついた旅人よ、器を癒そう! さまよえる旅人の魂よ、再び器に宿れ!」

 薄暗い決戦場内は一人が居る場所だけ、まるで雲間から陽の光が差したかのように明るくなった。癒しの光が一人を包み込む。一人の身体に生きる力が戻った。

「一人!」

「あれ? あれ? 全然痛くない」

 そう言って一人は立ち上がった。苦痛の消えた一人に笑顔が戻った。それを見たみんなにも笑顔が戻った。

「あ~、やっと帰れる」

 そう言って勇は喜んだ。

「勇さん、すいません。とんでもないことに付き合わせちゃって」

 ウイッチはそう言いながら、すべてが解放された安心から、安堵の表情を浮かべていた。

「いや、終わってみれば中々楽しかったよ。ブログのネタにはならないかもしれないけど。ウイッチさんやあかりさんが魔法を使ったなんて誰も信じないからね」

「そうですね。ある意味、貴重な体験だったのかも」

「かえろかえろ」

 勇はそう言って決戦場入り口の方へ歩き出した。三人も後に続く。ウイッチがふと思い出したように巨人に近づいた。

「勇さん! これ」

 勇が近づくと、ウイッチは巨人の胸を指差している。焼け焦げて黒くなった巨人の首から鎖がぶら下がり、先に鍵が付いていた。

「宝箱の鍵?」

 あかりがそう言って覗き込んだ。

「俺はいいや。ここから生きて出られることが何よりの報酬だよ。てか、せっかくなら金塊とかの方がよかったな。今、金は値上がりしてるから」

 それを聞いてみんな笑った。四人が決戦場をあとにしようとした時、突如として入り口が、ほとばしる赤い炎に包まれた。炎は奥の通路まで広がっている。

 背後に違和感を覚えた四人は一斉に振り返った。決戦場の中心辺りの空間が歪んだように見えている。歪んだ空間は一瞬で漆黒の闇に覆われた。

 四人が唖然として眺めていると、闇はいつの間にか消え、フード付きの黒いローブを羽織った、恐ろしく巨大な骸骨が姿を現した。勇たちは本に描かれていた絵を思い出した。不死者を束ねる者だ。そう、この決戦場の本当の主である。

 先ほどの巨人が子供に見えるくらいの巨体だ! 勇は身震いが止まらなかった。

 巨人は恐ろしく強かった。ウイッチが魔法に目覚めなければ全滅していただろう。しかし、突如として目の前に現れた決戦場の主は、挨拶代わりと言わんばかりに、一瞬で四人の退路を断った。入り口の炎は一向に弱まる気配はない。ウイッチが操った炎とは桁が違うようだ。突如、決戦場内に不気味で陰鬱な声が響き渡った。

「亡骸に夜明けを与えるのが神ならば、私は永遠に陽の昇らない闇を与えよう。私は不死者を束ねる者」

 奴は口を動かしていない。俺たちの頭に直接語りかけているのだ。更に言葉は続いた。

「我は不死者の頂点に君臨する者。不死者の王なり! お前たちに永遠の闇を与えよう。我が従者となって、永遠に闇をさまよえ!」

 勇は、からだ中の細胞の一つ一つに、恐怖と絶望を刻み込まれているかのような感覚に陥った。勇が周りを見ると、一人が恐怖で顔をこわばらせていた。

 ウイッチはチラッと一人の方を見ると、恐怖で身体を硬直させている。ウイッチは不死者の王を真っすぐ見つめて呪文を唱え始めた。

「陽の光を浴びない凍てつく大地。吹き荒れる氷の結晶よ! 氷の刃となって敵を切り刻め!」

 ウイッチのからだは、雪のように真っ白な闘気に包まれた。ウイッチが天高く両手を振り上げると、決戦場の半分から上は、雪をともなった暴風が吹き荒れ始めた。両手の動きに合わせて、猛烈な吹雪が駆け巡る。ウイッチは両手を頭上で大きくグルっと回し、そのまま勢いをつけて不死者の王に放った。

「グオオーー!」

 不死者の王は顔の前で腕を十字にし、腰を深く落とした。吹雪が収まるや否や、勇が走り出す。まだ反撃体制が整わないうちに、不死者の王の膝を狙って渾身の力で大剣を振り回した。命中したが、大剣は衝撃に耐えきれず、カキーーン! という高音を響かせ折れてしまった。

「勇さん!」

 あかりは刺又を勇の近く目掛けて放り投げた。四人はお互いに意識して距離をとっていた。同じ場所に固まれば、不死者の王は炎で四人を一掃しにかかる。みんな本能的にそんな危険を察知していた。だから、あかりも刺又を直接渡さなかったのだ。

 勇は刺又を拾い、不死者の王と大きく距離を取ったまま向き合った。あかりは呪文を唱え始めた。

「命を育む母なる大地。我が子を守る衣となって、その身を光で包み込め!」

 あかりの身体は眩い金色のオーラをまとった。オーラは光の衣に姿を変えて一人を包み込む。

 一人の中に、あかりの意識が入ってきた。一人を守ろうとしながら、不死者の王と真っすぐ対峙する強い意志だ。先ほどまでの恐怖に支配されていた意識は消え、不思議と勇気が湧いてきた。一人はそっと身構える。

 不死者の王は獲物を追い詰める肉食動物のような速さで勇に突進し、一気に間合いを詰めた。二メートルを超える長い腕を、勇の脳天目がけて振り下ろす。勇はとっさに刺又を両手で持ち、ガードした。

 刺又はへし折れ、不死者の王の腕は勇の脳天を直撃する。勇は一瞬クラッとしたが、なんとか持ちこたえた。ガードしていなかったら絶命していたかもしれない、重く危険な一撃だ。

 不死者の王は大きく後ろへ飛んだあと、胸の前で両手を合わせてから下を向いた。あかりが叫ぶ!

「魔法がくる! 気をつけて!」

 それと同時くらいに、ウイッチが呪文を唱え始めた。

「陽の光を浴びない凍てつく大地。吹き荒れる氷の結晶よ! 氷の刃となって敵を切り刻め!」

 ウイッチのからだは雪のように真っ白な闘気に包まれ、再び決戦場内に雪をともなった暴風が吹き荒れる。勇は一瞬、辺りが銀世界になったかのような錯覚を覚えた。不死者の王からは、燃えさかるような赤色の闘気がほとばしっている。ウイッチは放つタイミングを計っている。

 突然、不死者の王が赤い闘気をまとったまま走り出した。一気に一人との距離を縮めてくる。一人は鼻から素早く息を吸って、口からゆっくり吐き出した。微動だにせず身構えて、いい感じで力が抜けている。勇は、一人が致命打になる一撃を狙っていることに気づいた。

 不死者の王は、異常に長い左腕を、下から一人の顔に振り上げた。一人はバックステップで避ける。一人の顎がわずかに切れた。間を置かず二撃目、三撃目が襲ってきた。不死者の王は右腕で平手打ちをしてきた。一人はとっさに身を屈め避ける。三撃目は頭突きがきた。おじぎでもするかのように、腰から上を勢いよく落としてきた。一人は横に飛んで避けた後、一歩踏み込み、瞬きするくらいの間に、右足を下から時計回りに振り上げた。そして地面に届きそうなくらい下がっていた不死者の王の後頭部へ踵を勢いよく振り下ろした! ドゴッ! 落雷の如き速さで放った踵落としは、完全に不死者の王をとらえた。

「おのれ! 若造が! 灰にしてくれる」

 不死者の王は身体を起こしながら、両手を天高く突き上げた。一瞬にして不死者の王の頭上に、直径三メートルはあろうかという巨大な火球が出現した。火球が発する高熱が四人の皮膚にも伝わってくる。

 一人は一旦距離を取るため、後ろに向かって走り出した。不死者の王は、それを追いかけるように燃えさかる巨大な火球を放った。

 巨大な燃えさかる火球は、一気に一人との距離を詰める。あと数メートルまで迫った時、火球は勢いを失った。ウイッチが雪をともなった暴風を火球にぶつけたのだ。燃えさかる炎と凍てつく冷気は押し合い、一進一退の攻防を見せる。

 勇はその隙に、折れて半分になった刺又を手に、不死者の王の背後へ回り込んでいた。一人も正面からジワジワと間合いを詰めている。

 あかりは勇の方を向いて呪文を唱え始めた。視線の先には勇が持つ折れた刺又があった。

「切り立つ岩は大地の刃。闇を貫く力を満たし、戦士に力を与えたまえ」

 あかりの詠唱が終わると、勇のすぐ目の前の床に亀裂が走った。石の床の一部が宙に浮かび上がる。ダガーをかたどっているように見える。勇が刺又を捨てダガーを手に取ると、石のダガーは紫色と黒色の混じった禍々しい光を放った。それはまるで、かつて決戦場で戦い、散っていった者たちの怨念がこもっているようにも感じられた。

「呪われた武器か。嫌いじゃない」

 勇はそう言って少しニヤッとして、ダガーを持って身構えた。ウイッチと不死者の王の冷気と炎の攻防は、ウイッチが少しずつ押され始めていた。ウイッチは熱風を肌に受け、後ずさりしはじめる。

 一人は巨大な火球を操ることで隙のできた不死者の王との間合いを一気に詰める。小刻みに速い足さばきをしながら、ヒットアンドアウェイでテンポよく回し蹴りを叩き込んだ。魔法に集中できないように攻撃を続ける。不死者の王は嫌がり、一人を踏みつけようと蹴られた片足を振り上げた。その瞬間、勇が残った脚をダガーで切りつけた! 不意を突かれた不死者の王は一瞬バランスを失い、後ろへ倒れそうになる。透かさず一人が胴体に蹴り込んだ。

 背中から倒れる不死者の王に、自身が放った巨大な火球とウイッチの放った凍てつく暴風が襲いかかる。一人は後ろへ二回飛んで距離を取った。勇は氷の刃が当たらないギリギリの所でチャンスをうかがっている。

 火球は消えさり、冷気の暴風は止み、不死者の王は天を仰いだまま横たわり動かない。凍っているようにも見えた。

 勇は不死者の王の額に渾身の力でダガーを突き立てた。ダガーは深々と突き刺さり、頭蓋骨は無数のヒビが走ったあと砕け散った。不死者の王の最後を確認したかのように、呪われたダガーは、魔力のない床の石に戻り、勇の手から離れ床に落ちた。

 ウイッチは前に倒れ込むように座り、あかりと目を合わせて安堵の表情を見せた。一人も床に座り込み、頭蓋骨を失った不死者の王をジッと見つめていた。勇はゆっくり立ち上がり辺りを見回した。決戦場入り口の炎も消えている。もうどこにも敵の姿は見当たらなかった。


不老不死の霊薬

「やっと帰れるね」

 勇は穏やかな表情を浮かべながら三人を見渡して言った。一人は頷き、ウイッチとあかりは抱き合って泣いていた。

「とりあえず、ここから出よう! 出れなくなったりしても困るから」

 勇がそう言うと、三人はゆっくりと立ち上がり、入り口に向かって歩き出した。通路を通り、蜃気楼のように空間が歪む場所まで戻ってきた。

 勇は迷わず揺れる空間に入っていった。勇の姿は消え、あかりが後に続く。

「一人君、行くよ」

「あ、はい」

 あかりが進み、一人もすぐ後に続いた。ウイッチはみんなが消えた揺れる空間を数秒だけ眺めた後、振り返り、決戦場に向かって走り出した。

 三人は意識が飛んだような感覚に陥り、気がつくと図書室に戻っていた。図書室の窓からは陽の光が差している。さっきまで薄暗い場所に居た勇たちには少し眩しかった。

 勇はショルダーポーチからスマホを取り出して時間を確認した。朝の八時半を少し回っていた。

「一晩中居たんだ。あかりさんたちは、もっとだね」

「私は自業自得ですけど、勇さんたちには本当にご迷惑おかけしました。すいません」

「いや、ちょっと楽しかったし」

 勇はそう言って笑った。

「あ、でも、決戦場はもう行きたくないかな。貴重な体験は出来たけど。ねえ一人君」

 そう言って一人の方を見ると、一人は苦笑いして、それを見た勇とあかりは笑った。

「あれ? ウイッチさん遅いね」

「遅いですよね」

 あかりは心配そうな顔をしてパイプ椅子に腰掛けた。一人が口を開く。

「お母さんが心配してると思うんで帰ります」

「え? 家まで送っていくよ。疲れてるでしょ」

 あかりは言った。

「あ、いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

「一人君、ごめんね。こんなことに巻き込んじゃって。気をつけて帰ってね」

「はい」

 一人は勇とあかりに軽く頭を下げてから図書室を後にした。

「一人君のお母さん、相当心配してますよね。捜索願出して、お母さんも探し回ってますよね、きっと。私、あの子と一緒に行ってお母さんに謝ってきます」

 あかりは、そう言って一人を追いかけようとしたが、勇は引き止めた。

「待って! 事情が事情だし、本当のことを言っても誰も信用しないよ。それにこの本を俺たち以外の誰かに見せることになるのも問題があるかもしれない。ややこしくなるから黙っておこう」

「そうですか。確かに本当のことは説明できませんよね」

「まあ、いいやん」

 勇は図書室の窓から外を眺めた。グラウンドの真ん中に一台の白い軽自動車が止まっている。運転席から女性が降りてきた。その女性に誰かが近づいている。一人だ。

「あかりさん! ちょっと来て」

 あかりは驚いた様子で、勇と並んでグラウンドの方を見た。二人は何やら話している。チラッと一人が笑顔を見せているのが見えた。その様子を勇とあかりはしばらく眺めた。二人は車に乗り込みグラウンドを後にした。勇が口を開く。

「お母さん、来てたんだ。一人君がここに来てたの知ってたのかな?」

「どうですかね。なんとなく、そんな気がしたのかも。あの子のお母さんですもの」 

「そうだね」

「勇さん。私、もう一度決戦場に戻ってウイッチ見てきますね」

「うん、一緒に行こうか?」

「一人で大丈夫です。用を足していたら困りますし」

 あかりはそう言って笑った。

「ああ~そうだね」

 あかりは座って例のページを開いた。勇は一緒に移動しないように距離を取った。あかりが例の言葉を唱えると空間が歪み、あかりの姿は消えた。

 あかりが再び決戦場に戻ってくると、ちょうど通路の奥から、ウイッチが左肩を押さえながら歩いて来るのが目に入った。

「ウイッチ! どうしたの? もう一人君、お母さんと帰っちゃったよ」

「え? お母さん迎えに来たんだ。お別れ言えなかったな」

「遅かったけど、どうかしたの? 肩ケガしてるの?」

「ううん。中にリュック忘れてきて探してた。でもあったよ。肩はちょっとぶつけただけ。軽い打撲よ」

「そか、じゃあ帰ろうか。勇さんも図書室で待ってるよ。勇さんにはウイッチ用足しているのかもって言っといた」

 あかりはそう言ってイタズラっぽく笑った。

「ちょっ! リュック探してただけだからね」

 二人は笑いながら意気揚々と決戦場を後にした。図書室で合流した三人は、例の本をどうするかで悩んだが、結局、もともと置いてあった本棚に返しておくことにした。三人とも、これ以上関わりたくないというのが本音だったのかもしれない。おそらく、値段をつけられないほど、とてつもなく価値のある本だろう。勇には手に負える代物とは思えなかった。

 ウイッチは、あかりの車の後部座席にミニベロを積んでから、助手席に乗り込んだ。あかりは運転席の窓を全開にした。

 勇はMTBを押しながら、あかりの座る運転席に近づいた。

「じゃあ、二人とも元気でね! かなり疲れてると思うから気をつけて帰って。途中どこかで休んでいった方がいいよ」

「勇さんは半島一周再開ですか?」

「とりあえず温泉行って、今夜はどこかで泊まってゆっくり休むよ」

 ウィッチが横から顔を伸ばしてきた。

「勇さん、本当にお世話になりました。よかったら今回のことブログネタに使って下さい」

 ウィッチはそう言ってイタズラっぽく笑った。勇は早く行けと言わんばかりに笑いながら右手で合図した。あかりは、駐車場を出る時、二回クラクションを鳴らしてから学校を後にした。

 九時を少し回っていた。昨日ここに着いた時とは感じがずいぶん違う。昨日は学校全体が濃い霧に覆われ、辺りはうす暗かった。今は、これからグラウンドで、運動会が始まっても不思議ではないような青空が広がっている。九月も終わりに近づいて、これからは紅葉が綺麗な季節だな。勇はそんなことを思いながら、MTBで学校の正門をくぐり、時々ブレーキをかけながら急な坂を駆け下りた。今回の話はブログで書くより、小説にできるかも。そう思うと勇は少し嬉しくなり、三人との出会いに感謝した。



 廃校での出来事から一ヶ月が過ぎた頃、勇には気がかりなことが二つあった。一つは廃校に残してきた例の本。結局置いてきたけど、あの判断が良かったのか、今でも分からなかった。

 もう一つはウィッチのことである。ウィッチもあかりも、勇の知る限り毎日のようにブログを更新していた。しかし、半月ほど前からウィッチだけ更新がピタリと止まったのだ。

 勇は心配になり一度だけDMを送ってみたが、返ってこなかった。忙しいのか、それとも他のSNSに切り替えたのか。勇には見当もつかなかった。

 そんなある日、あかりからDMが来た。内容は、一度、電話か直接会って話たいとのことだった。勇はすぐにウィッチのことだと思った。

 一週間後、二人はカフェに居た。戦友との久しぶりの再会であったが、勇の目には、あかりが少し元気が無いように映った。軽く再会の挨拶を交わした後、椅子に腰掛けた。

「勇さん。ウィッチが二週間くらいブログ更新してないの知ってました?」

「うん、最近見ないね。何かあったの?」

「私も理由は分かりません。私はブログだけじゃなく他のSNSでも彼女と繋がっていて、電話もしますし会って遊んだりしてたんです」

「うん」

「だけど二週間くらい前から、全く、連絡がつかなくなったんです。心配になってウィッチの家に行ったら、家族から行方不明になってて捜索願いも出している。何か知らないか? そう聞かれました。私は廃校の一件以来はウィッチと会ってなかったし、行き先に心当たりはなかったんですけど、何か分かるかもと思って彼女の部屋を見せてもらったんです」

「行方不明? まじか! 何か手がかりあったの?」

「彼女の部屋には本棚が置いてあったんですけど、その中に、例の本が・・・・・・」

「例の本?」

「決戦場です」

 勇は言葉を失った。

「まさか、決戦場へ行ったかもしれないと?」

「わかりません。でもウィッチの部屋にあった本は、図書室にあったものと同じです。私は不死者の決戦場に入ってウィッチを探しました。でも居たのはゾンビの生き残りが数体だけです」

「決戦場は他にも沢山あるんだよね?」

「はい。入っていたとしても、どの決戦場に入ったかは本人しか分かりません。だからどうしたものかと」

「彼女は賢いから、無茶はしないと思うけど、なんであの本を持ち帰ったのか分からないね」

「勇さんは彼女の最後のブログ見ました?」

「最後の? 更新してたら見るようにはしてるけど、内容は覚えてないよ」

「そうですか。これは勝手な私の推察ですけど、決戦場から出た時、ウィッチだけ遅かったですよね」

「うん、遅いからあかりさんが様子見に行ったんだったよね」

「はい、私が中に入った時、ウィッチは左肩を押さえながら通路を歩いてきました」

「ああ、そういえば、帰る時も肩押さえてた気がする」

「でも、思い出して下さい。決戦場の中でも、四人で通路を歩いて帰る時も、一回だって肩なんて気にしてなかったと思うんです」

「え? じゃあ三人が図書室に戻って、一人になってからケガしたってこと?」

「はい。リュックを探してたと言ってましたけど、決戦場に戻る理由を作るために、わざと置いてきたのかもしれません」

「決戦場に戻る理由って、まさか!」

「あの決戦場の討伐報酬である、不老不死の霊薬です。で、私がウイッチの家を訪ねて本を見つけ、決戦場へウィッチを探しに行った時には、巨人の死体がまだ残ってました。けれども首から下がっていたはずの鍵は無くなっていたんです」

「あの時一人残ったのは、不老不死の霊薬を取りに戻ったのかもしれないと?」

「はい。そして勇さんと学校で別れて、私の車でウィッチを家まで送った時なんですけど、時間の経過とともにウィッチの目が異常なほど真っ赤に充血していったんです。みんな寝てなかったから多少は充血してたと思いますけど、ウィッチの目は短時間で急激に悪化しました。顔色も青白く生気が無くなっていく感じで、正直、見てて少し怖くなったくらいです。彼女はあとで病院へ行くから平気と言っていたので、そのまま送り届けて別れました。彼女とはそれっきりです」

「それって、まさか、一人で決戦場に戻った時に生き残りのゾンビたちに噛まれたりしたかもしれないとか?」

「四人で居た時は、誰もゾンビからの攻撃で傷は負ってないと思うので分かりませんけど、ウィッチが何かしらのゾンビの影響を受けた可能性はあると思います」

 勇とあかりは、ウィッチがどうなったのか? 今どこにいるのかを考えたが、結局答えは出なかった。

 彼女はゾンビに噛まれ、不老不死の霊薬を手に入れ、もしかすると、今もどこかの決戦場に居るのかもしれない。勇は、考えれば考えるほど心が参りそうになった。

 勇とあかりは、何か分かったら連絡する約束をして別れた。



エピローグ


 勇は自宅に帰り、パソコンを立ち上げていた。最後に更新されたウィッチのブログをじっくり読んでみようと思ったのだ。

 すぐに見つかり、その記事を見逃していたことに気づいた。タイトルは氷の魔女。そこにはこう書かれていた。



人生の時間は限られている

人間は皆、時間と戦っている


時間の限られた魂の器

永遠に朽ち果てない魂の器


選べるなら、私は後者を選ぶ

一瞬の光より

永遠の闇

この世が闇の世界だというのなら

私は、闇の頂点に君臨したい

私は氷の魔女



 勇は、不死者の王を倒した後、ウィッチとあかりが抱き合って泣いているのを思い出した。ウィッチは、誰にも見せない深い心の闇を抱えているのかもしれない。しかし周囲がどんなに暗くても、心が闇に覆われても、人は光を求めて生きていくべきだと勇は思った。

 勇はあかりにDMを送った。例の本をウィッチの家から持ってきてほしいと。

 あかりからすぐに返信がきた。すでに貰っていて、あかりの家にあるという。そして最後にこう書かれていた。

 (不死者の王の絵が消えて、氷の魔女に変わりました)

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